第十一話 反逆の素質
指先が重い。鉛の指輪をはめたようだ。
疲れてだるくなったことはある。
虹蛇と戦った後は怪我と筋肉痛で、数日は眠るのも困難だった。
今レフォリエを襲う痛みは、それとは比にならない。
比較しようにも種類が違う。
全身から力が抜ける。
満足感は割った小石の欠片ほどだけだ。それも地に戦斧が落ちると同時にどこかへ失せてしまった。
空っぽの鍋に火をかけ続けたように、体の芯だけが熱い。
膝から崩れ落ちる。
後悔したかと聞かれれば、レフォリエはNOと答えただろう。
そういう以前の段階だ。
命を奪った。
名状するまでもなく魂が苛まれる。
この感情を知っていればやらなかったかといわれても、きっとそうはならなかった。
逃げ道のない窮屈な吐き気が、レフォリエを心臓の奥底にたまった暗くて生暖かいところに閉じ込めようとする。
ぼうぼうと燃え上がる炎。
乱れた髪を地面に散らすままにして動かない死体。
レフォリエは完全に火が尽きるまで、その前でずっと蹲っていた。
◆ ◇ ◆
三日が経った。
一日は雨乞いの儀式をしたかのように、世界中をザアザアと雨音が埋め尽くした。
二日目は曇天がありったけの水をだしきったのか、涼やかで爽やかな晴れだった。
三日目――今日の天気をレフォリエはまだ知らない。
三回目の朝日が昇った後に、まだ妖精達が来ていないからだ。
彼らは今のところ毎日家のなかに入ってくる。
そうしてレフォリエの視界にはいりこむと、身振り手振りで今日がどんな日だったか教えた。
そうしてようやく、レフォリエはまた魔女の死んだ日が遠のいたのだと知る。
レフォリエはあの事件以来、メリュジーヌから受け継いだ家から一歩も出ていない。
引きこもってしていたことは、ただひとつ。
寝る前も惜しみ、家のなかやもらい物を引きずり出して、机の上に広げることだ。
机に収まりきらなかったぶんは、床に積み重ねられて塔を築いている。
なかにはチンプンカンプンで放り投げた資料もあった。
これももう少し読書に慣れてきたら手を出すつもりである。
魔女に宿題だと押しつけられて、後で読めばいいと思っていた様々な本を、時折頭痛に悶絶しながら読みふける。
食事も外の様子も、妖精と竜だより。
今までは奔放に外を駆け回る少女であったレフォリエの異変に、彼らはいつになく優しかった。
ヴァラールも然り。
ベッドの上で顎の下に枕を敷きながら、今日何冊目かの風土記に目を通していた彼女に声をかけた。
もはや女王の家臣で唯一の生き残りとなった彼にはレフォリエも反応した。
顔をあげて声の主を探す。
すると、鍵をかけ忘れていた窓からにゅっと青金石の鼻が突き出しているのを見つけた。
「どうしたんだ、そんな格好で。すごいマヌケに見えるよ。何かあった?」
レフォリエの言い方に「マヌケとは……」と文句を言いつつ、は虫類の目がぎょろりとレフォリエをとらえる。
窓枠に挟まれた口が重々しく開く。
「ソクルタの亡骸だが……消えていた」
「消えて?」
「ああ。《クルイグ》がくわえて走り去ったらしい。主を彼女が愛した場所に持ち帰ったのだろう」
「……そっか」
「ふん。まあ、こちらにも遺体に用があるわけでもなし。それぐらいは許してやる」
軽く鼻を鳴らしてあんまりなことをいう。先ほどのレフォリエに文句はいえない。
ここにメリュジーヌがいれば怒っただろう。魔女なら馬鹿にしたかもしれない。
だがレフォリエには、それが自分のためなのだとわかっていた。
彼なりに、レフォリエの罪の意識を軽くしようとしているのだ。不器用な男だ。
そんなことをしても、ソクルタに手をくだしたのはレフォリエだ。あの地を征く竜から主人を奪ったのも変わらない。
レフォリエにとってヴァラールが切り離せない存在なのと同じだろうに、そうした。
この三日間、レフォリエは二言、三言かわすと黙って読書に戻っていた。
しかし今日のヴァラールは違った。
鼻を引っ込めず、神妙な面持ちで問いかけた。
「これからどうする、レフォリエ。《御遣い》も去った。今まで通り、森で穏やかな日々を過ごしてもいい」
「らしくもない遠慮はいらない。変に優しくするより、私の背をぴしゃんと叩いて真っ直ぐ立たせてくれ」
引きこもった少女をみて、ずっと思っていたのだろう。
できるだけレフォリエのことを想い、それゆえに厳しく決断を迫ろうとする。
だがレフォリエは、逆に「甘い」と説教し返した。
想定外に強かな様子に、ヴァラールは鼻白む。
更にレフォリエは続ける。
「いい機会だ。元々、この後のことは考えていた。この三日で結論も出してある」
「ほう。俺がいうまでもなかったか」
「別に私だって、ずっと面倒見られっぱなしの子どもじゃない。……こどものまま立ち止まれないって、実感した。今回のことで」
ゆるゆると息をつく。そうしてベッドの上に戻ってあぐらをかいて、楽な姿勢になる。
強気でいても気力のいる話だったからだ。
「最初はそうしようかって思った」
「そうとは?」
「森のなかでずっと暮らすっていう。多分、地下世界の妖魔の国に隠れ住めば、地上よりずっと安全に、のんびり暮らせるんだと思う。
妖魔と人間の常識と感性は違う。妖魔にとって生死は循環するものだ。だから死んでも聖者の糧となり、妖魔の伝承の一部に加わるだけ。魂は次の生に向けて天上の館に住まうのだ、と。
だから私がしたことも気にしないと思う。見知った私に優しくもしてくれる。
けど、それは今の私のまま、傷つきたくないからだ。
もっと多くを知っていたら、私はもっとあいつを殺したことに苦しんだと思う。
もしもこのまま外にいたら、三代目女王への脅威としてまた襲われるんじゃないかとか、そういう面倒事を避けたいっていう誘惑に、弱者顔で従おうとしてる。
多分……それはダメ。でもなんでダメだと思うのかがわからない。
私は生きているだけであまりに多くを犠牲にした。
そのうえにたつのに相応しくありたい。強く在りたい。
ましてや今回は自分で決めて、生きるのに必要のない殺生をした。
『間違えました、ごめんなさい』『そう思うけどわかりません』は通じない。
『どうしてもそうする必要があって私はやった』と、重みと誇りを抱えなきゃって思う。
だから、胸をはって『私は間違いなくこうするのが正しいと信じてやった』っていうためには、色んなことを知って、考えて、私が本当は何を考えているのか、自分で理解しなくては。
だから、だから……森をでる。
自分の目で観て、どんな苦痛が待ってても、知らないものに触れたい。
私は私の世界の外を知りにいく」
時折しどろもどろになりながら、うまく形にならない心をなんとか吐き出した。
疲れた顔で「どうだ」と見上げてくるレフォリエに、ヴァラールはやれやれと首を左右に振ろうとしたが窓枠につっかえた。カタカタと窓が揺れる。
「ソクルタのことはもう吹っ切れたのか」
「まさか。でも私が悪かったっていえば戻ってくるのか。誰に謝って、誰が喜ぶ。悪いことをしてしまいましたって何も考えず全部捨てて謝るだけなら簡単にできるんだ。だったらこれからを考える」
よく言えば乾性で生産的、悪く言えばふてぶてしい思考に、ヴァラールは軽く笑った。
楽しくはない。だが面白かった。
終わったものは終わったもの。通した信念の価値は、他者のはかりのうえでなく己のうちにあればよい。
共同体のなかで生きれば、致命になり得る思想だ。
群れのもつ共通した価値観からはみ出し、己を貫かんとする性。反逆者の素質。
しかしヴァラールにはみじんの余地もなく同意できる。
そういうところは俺に似たのかもしれないと思って、
(いや、王の娘にそのように思うのはわきまえていないか)
と思い直す。
「バカのくせにたいした奴だ。ついこの間まで齢むっつ程度の幼子かと思えば。一体いつ魔女の秘蔵の鮭を盗み食いしたのだ」
「なんだっけ、頭がよくなるんだっけ? 本に書いてあった。でも食べてない」
早速つけたばかりの知識を参照するレフォリエの頭を、鼻先でかき回す。
黄金を乙女の手で細い糸にしたような髪があらく乱れる。
「そういうことなら、最初の行き先にちょうどいい場所がある。太陽石祭壇だ」
「太陽石祭壇?」
「そうだ。山間部にある、森の聖泉と同じく世界樹の根の集うパワースポット。正確には、そこに住まうドヴェルグ達に会いに行く」
「いいけどさ。なんで山?」
「あちらは連なる山々に火山が含まれることもあり、現在でも噴火や地震が多い。自然の力が活発ということは、魔力のうなりも激しいということだ。
昨日、泉の亡霊が現れて、この家まで来ていたんだ。オマエの準備ができていないだろうと追い返したがな。守り人の魔女がいなくなったことで、その代わりに仕立てられていたオマエをたずねたのだろうよ。
とにかく。そいつ曰く、あちらの封印の蓋も様子がおかしいらしい」
「おかしいってどんな風に?」
「わからん。ヌシがどうだのはいっていたが、根で繋がっているとはいえ遠方のことだ」
ヴァラールは再び「どうする」という。
レフォリエはしばらく考えると、こくりと頷く。
「行く」
短く、しかしはっきり告げられた答えに、ヴァラールは一度翼を大きくはためかせた。
「よし。ではオマエが旅立つと決めた朝に飛び立とう。あちらの山は岩が燃えるようで絶景だぞ」
微妙に心遣いに欠ける彼なりの激励に、レフォリエはこっそり苦笑する。
早く読み終えてしまおうと本のページに目を戻しかけたレフォリエに、「そうだ」とヴァラールが口から何か吐き出した。
「え、何。べたべたして気持ち悪いんだが」
「黒曜石のナイフだ。炎、土、水……数多の神秘を宿し、この世で最も鋭い石。鞘がなければ俺の喉とて無事ではすむまい」
「黒曜石の……」
懐かしい響きに、レフォリエは布をもってくるのも忘れてナイフを拾い上げた。
半透明のでこぼこした黒い刃は、夜明け前の空を切りとってきたように美しい。
小さめのそれに、彼女は見覚えがあった。
「これ! 義父さんが私にくれた……」
「生け贄にされそうになった時、落としただろう。妖精達が見つけてきた。
もうすぐオマエの誕生日だから贈物をやりたいなどと酔狂を起こしたようだ。
神鉄で造られた戦斧とは比べものにはならんだろうが、そもオマエにとっては比べるまでもなかろう」
遠回しに「嬉しい贈物だろう?」と竜はいう。
レフォリエも得心がいった。
ああ、道理で、魔女の件が起きる前の妖精達が来なかったわけだ。
レフォリエはぎゅう、と石を包んだ鞘を抱きしめる。
暖かい。
その熱にレフォリエはちからを感じる。
荒れ狂うものではない。だが強い。
どこか遠い昔の過去からやってきて、未来へ進むレフォリエを支えようとするような。
これを持っている限り、熱が、どんなに蔑まれても、心を柔く暖かく包んでくれる。そうすれば前を向き続けられる。
そんな気がして、レフォリエは大切に石と思い出を懐にしまった。
こうして彼女の人生は、果てのない先へ続いていくのだった。




