第三話 焼けば食える
レフォリエは困っていた。
今までになく困っていた。
ハルバードで雑草取りをして、魔女にしこたま怒鳴られたときだってここまで困りはしなかった。
なんとか《御使い》のソクルタと《クルイグ》をまいたところまではよい。
しかし、逃げ切った先で一休みした森の片隅で、ヴァラールが「地下に戻るな」と言い出したのだ。
あまりせかすので、レフォリエはとりあえず「地下に戻れぬ状況で危険な状態になったときのために」と魔女に渡された貴石を割った。
その時に
「《御使い》が来た。地下へはしばらく戻れない、手助けを求む」
とつぶやく。
小さくもまばゆい琥珀にふきこまれていた魔力は、石から解き放たれて持ち主の元へ戻るだろう。
透明な魔力の流れは、つぶやかれた言葉を乗せ、魔女へ伝えてくれるだろう。
いくつもない貴重な石が小粒な地面の装飾品になるのを一通り見守って、レフォリエは嘆息した。
そしてヴァラールに向き直る。
「おいヴァラール。帰るなとは、どういうことだ?」
「そのままだ。《御使い》を連れ帰るなど阿呆な真似はするまいぞ」
「妖魔の土地には立ち入り禁止……は今さらか」
もうすでに十分侵入している。
だが、地下こそが真実、妖魔の国。レフォリエは地下まで入り込むのは、たとえ女王のしもべであれど無謀なことであろうと思っていた。
約定を破り、堂々と敵地へ躍り出る。愚かだ。
胡乱な瞳でヴァラールを見上げれば、ヴァラールは長い首を左右に振る。
「妖魔の国に人は立ち入らず、妖魔は人の国に踏み込まず。初代の頃からの思惑だ。妖魔と人ははっきり分かたれきた」
「《御使い》は女王の代理人、だよな? そのルールを女王自らが破ると?」
「逆だ。女王こそが規律なのだ」
ヴァラールは「認識が甘いぞ」と鼻を鳴らして煽った。
何も感じないレフォリエではない。彼女の眉がぴくぴく動く。
自らに「人間の世に疎い幼子の頃から妖魔の国にいるのだから、多少疎いのは当然だ」と言い聞かせる。
「なんにせよ、三代目は王に至った経緯もあって妖魔には少々手厳しい。人にとって、もはや妖魔は魔物か獣同然よ」
「獣同然?」
ヴァラールの語る、女王と《御使い》の価値観がレフォリエの気分を害す。
怒りというほど激しくはない、もやもやとした感情だ。
レフォリエの心のうちには気づかず、ヴァラールは続ける。
「そもそも《御使い》は、女王に反する者どもに対する執行者でもある。
ただの反抗や人間同士の争いであれば各地から王都に集い、または引き抜いた有志、食客にでも任せておけばいいが。
強力な妖魔相手ならば《御使い》の出番だ。敵対者を打ち倒すことは民へのちからの誇示にもなるからな」
「ヴァラールも昔はそういうこと、やってた?」
ちょっとした気まぐれな相槌だったのだが、それがヴァラールに油を注いでしまった。
ふっとヴァラールが笑い、顎をあげた。自然と胸がそれ、尊大な態度に拍車がかかる。
「《御使い》などとは呼ばれておらんかったが、似たような立場だった。
もっとも三代目女王の《御使い》は女王の象徴のひとつとして、儀式と妖魔退治がもっぱらの任のようだから、詳しいところまで同じなのかは知らん」
「あ、そう。へえー」
レフォリエのしたり顔の頷きがまさか己への呆れからとは思わず、ヴァラールは自慢げに尾を揺らす。
「我が女王の時代においては、俺が敵対者を殺し、グラヘルナが魔術をはじめとした知識の収集と研究に勤しみ、城内の生活をメリュジーヌが取り仕切っていた」
「ふうん」
「しかし、我らが時代に比べれば、現在の《御使い》は平和に使って生ぬるいわ。正面から挑みかかり、まんまと逃げられるなど! はん」
レフォリエはこういうとき「ヴァラールはあまり頭がよいタイプの騎士ではなかったのだろうな」と思う。
沈黙は金を地でいこうとしているのに、女王の話になると実によく舌が回る。
レフォリエは、目の前にいる自分を忘れたかのように懐かしさに目を細めるヴァラールの横腹を蹴りとばす。
「とーにーかーく! 《御使い》は妖魔ならなんでも殺す奴らなの?」
「いいや? あくまでこれはという危険な妖魔だけだろう。
俺はよく海に赴いたが、それは海岸部では海に出た民が妖魔と遭遇し、妖魔が人の味を覚えて陸地近くまで進行する事件が多かったからだ。他の土地の妖魔は基本的に手出しせねば何もしない。
三代目女王は穏健だ、やりくちも理想と誇りに満ちたものとやらになるだろうよ。
もっともやっていることは。危険が襲ってくるから、民のために殺す。ほら、獣狩りのようだろう?」
ヴァラールの喉から唸りが漏れた。
「理想と誇り、ねえ」
レフォリエに対して名乗りをあげた姿から、レフォリエにもヴァラールの態度の理由が理解できた。
ただ美しいだけで善くあれるとは思わない。
ソクルタのあり方は美しい。否定はしまい、むしろ好意的な感情すら抱く。
だが真似はできないし、したくない。
二人の間に沈黙が降りる。
早く移動せねば、いつ《御使い》が現れるかわからないという焦りがぴりぴり背筋を焼く。
レフォリエは珍しく、愛らしい溜息をついた。
――ヴァラールに気遣いを求めるだけ無駄だ。お互い様ともいう。
レフォリエがこんなことを思うのは、ヴァラールの説明に、ひとつずつ不安と安堵を得たからだった。
少なくとも《御使い》はむやみやたらとは仲間を傷つけない。
だが、レフォリエとヴァラールは既に「脅威」とみなされている。襲ってきたのはそういうことだと受け取った。
「レフォリエちゃーん!」
常ならぬ重苦しい空気が漂っているなか、甲高い声が響く。
「ころころ」といった擬音が似合う明るい口調は、他でもない。近頃会えていない妖精たちのものだ。
「早いな!」
少女の喉から感嘆があがる。
レフォリエに初めて森に入り込んだ日が思い出される。あの時も真っ先に駆けつけたのは妖精達だった。
ああ見えて彼らはとてもすばしっこいのだ。
「レフォリエちゃんがピンチときいて! あわててとんできたの!」
「なんのおやくにもたてないけど!」
「でもね、魔女さまから伝言をあずかってきたからね!」
いつ聞いても騒々しい妖精たちが、今はレフォリエの口元をほころばす。
彼女はわざわざ腰を落として、彼らに極力目線を合わせた。
「そうか、ありがたい。当然いい知らせでしょう、魔女はなんだって?」
「直接じぶんからは助けにいけない、そのまま逃げ回れって!」
「はぁん?……なんだと?」
まず信じられないものを聴いたショックにガラの悪い声が出る。
続いて、「助言」であるはずの伝言の助言らしい面が理解できず、聞き返す。
レフォリエにしてはありえないほど柔和になっていた瞳がすさみ、七人の妖精達はそろって涙目になってあわてだす。
「ちが、ちがう! ちがうの、ちがうんですーっ」
「何が違うんだ、私は何も言ってないぞ」
「ちがうんです、魔女さまはなにもしないわけじゃなくて、ほんとに、ちゃんとジェムを受け取って」
かたまっておしくらまんじゅう状態の妖精たちのうえに暗い影が落ちた。無言のヴァラールである。妖精達は泣いた。
「泣いたらわからないんだが? ちゃんといえたら怒らないから、何か魔女がやるっていうのなら、教えてくれる?」
「う、うう……魔女さまはお家の魔法陣を通じて泉とつながっているから、すぐには家から遠くへ動けないって」
「いい調子だぞ。それでそれで?」
「準備をして相手を追い出す手助けぐらいはしてやるから、終わるまで時間を稼げ、逃げていろ、って。いわれたの……」
「そうか。ならば確かに頼もしいな」
褒める時には褒める必要がある。
レフォリエは時間をかけて役目を果たした妖精達の頭を指先でくすぐった。
妖精たちは泣いて赤くなった顔に笑顔を浮かべる。
それにレフォリエは癒されると同時に、恐ろしく思う。もしもこんな可憐な生き物を踏みにじられたらどうしてしまうだろう、と。
一応、妖精達も妖魔は妖魔。死体で飾りを編むなど、なかなか恐ろしい側面もあるが、それはそれである。
妖精たちは感情の薄い笑みを浮かべたレフォリエに、目を丸くするも、すぐに満面の笑顔になる。
そのまま嬉しそうに地下へ戻っていった。どんなに無害でも、今の地上にはいない方が安心する。
「……《御使い》は理想と誇りに満ちていて、妖魔を獣のように考えるというのなら。いったい彼女たちはどう妖魔を狩るのだろうな。ヴァラールはどうだった?」
小さな、とても小さな妖精たちの駆け足を見送る。
「勿論、己と異なる生き物に、同胞とは異なる形で接するのだ」
「つまり? 私たちなら命を無駄にしないため、毛皮を剥いで暖を得て、肉を食らって命を繋ぐものだ。しかし人は妖魔を食わない」
彼女のこぼした弱い問いに、ヴァラールはそれ以上何も答えない。
何も浮かばないまま、レフォリエが魚めいて淡い色の唇をぱくつかせたときだ。
ぎゅるう。と。
レフォリエの腹が鳴った。
「……おなかが減ったぞ!」
「堂々というな、堂々と」
「……お腹が減ったぞ?」
いくら気分がめいっていても、空腹は容赦なくやってくる。
数分後。森には、《御使い》たちを警戒する一方で、食材さがしにも精をだす一人と一匹の姿があった。
満たされない腹の苦しみに、人も妖魔も変わらないのである。
加えて食事の時間は朗らかであるか、楽しくなくてはならない。これは一人と一匹の暗黙のルールであった。
「鳥の死体があったぞ。よし、まだ新しい」
「油断するなよ、念のためよく焼いて食うか」
「おっと、よく見ればこのあたり、ビルベリーがある。ジャムにするかシロップに漬けたいな」
「そんな場合ではない。今は焼いて食いやすくしておくか」
「そこらへんにキノコがあったが、なんか、地下世界みたいな色してるんだが……」
「仕方がない。よこせ、焼いてやろう」
そんなやり取りを何度も繰り返し、レフォリエは相棒を見上げた。
黄金の瞳にゆらめきが宿る。
もう長いこと、この竜とは付き合っているはずなのに。いまだ時々よくわからない時がある。
「お前、まさか焼けばいいと思ってない?」
「違うのか?」
「違うだろ」
短く打ち返しあって、そういうものかと納得する。
その程度のことができるぐらいには、余裕があった。
魔女の伝言と妖精の愛らしさに英気を養われたおかげだった。
相手が諦めて帰るまで逃げ続ければいいと思ったのだ。レフォリエから何かする必要は何もない、と。
この時は、まだ。




