第二話 正直者ども、打ち合う
ことが起きたのは、深い緑に包まれたおとぎの森深く。ときは太陽の昇りも浅く、昼まで幾分かの余裕がある頃であった。
ただびとであれば踏み込もうともしない神秘の地が、悲鳴をあげる。突然のことだった。
誰も見ていない人ならざるものの地にて砂塵が舞う。乾いた砂煙のなかに、鮮やかな青と澄んだ黒い輝きが瞬いた。
青は優雅に、それでいて空気を切り裂くように鋭く動き回る。
大地に拘束されない自由の徒、空をゆく翼をもった生き物であった。
蒼炎の竜:ヴァラールである。
しかし、あたりに響き渡るヴァラールの咆哮には隠しようのない苛立ちがにじんでいた。
人の言葉を操ることもなく、力いっぱい息を込められた笛に似た音色で叫ぶ。
それはヴァラールにかかんにとびかかり、空高く飛び上がる足と翼をすりおとさんとしている白のせいだ。
怪物となった獣に相対するのは、獣であり怪物。
全身を覆う岩の如き黒い鱗には、橙色の火を思わせる琥珀の妖美が灯っていた。
――わけがわからない。
空をくるくるとまわり、華麗に攻撃をよける身体の一方で、レフォリエの頭は混乱していた。
最近レフォリエと遊ぶ以外の趣味ができたらしく、しばらく会う時間が減っていた妖精たちが飛び込んできたと思えば、「白い竜が暴れている」という。
あわててヴァラールにのって空からきてみれば、いきなり攻撃。過去の時間が抜け出して、現在に襲いに来たようで、血の気がひいた。
「情けないツラをさらすな」
ヴァラールの余計なひと言がついた忠告と、地を這う竜の叫びが今が現実だと教えてくれる。
「私の顔が情けない? 目がにごったか、爬虫類」
軽口を返し、黄金の髪を豊かに波打たせ、地上から竜が放つ光の熱線を紙一重で避けていく。
ヴァラールと魔力を交わして短くない時が過ぎた。こうして空を飛ぶのも初めてではない。既に一人と一匹の竜は一心同体の動きであった。
それでも幾度かのみの攻防がひどく長い時間に感じる。
三回ほど琥珀の竜の攻撃を避けた時だ。女の声が騒々しい森を貫く。
途端、ぴたりと地を這う竜もとまった。
レフォリエは女の声に耳を傾けた。正体は、薄々予想はついている。
「貴女よ! 森の集落の娘、細工師ミシジャの養子、レフォリエでよろしいか!」
「いかにも! そういうお前は誰だ!?」
レフォリエはヴァラールの首にかけた縄をしっかりつかみ、上空から地上へ向かって問い返す。
しかし、レフォリエには問いかけた女の正体がわかっていた。わからぬはずがなかった。
いつも通りに過ごしていた平穏な朝に、突如知らされた竜出現の知らせ。
この世に生きる竜の数など知るわけもないレフォリエだが、彼女の知る竜はたったの二匹。
一匹は暴君にして滅びた女王の竜、ヴァラール。
そしてもう一匹は、今を栄える女王のしもべ、《御使い》の竜、《クルイグ》。
何より、まさに《クルイグ》の背にまたがって凛と背を伸ばした女、その青い髪、瞳。
いくら白皙の美貌がますます冴え冴えと光り輝こうとも、間違えようもない。
女は己の名を名乗る。
「ソクルタ。女王の御使い、女王の民の守護者だ」
ふぅん。我知らず、レフォリエの喉からそんな声がもれる。
天を舞うレフォリエと、地上にあって悠然と構えるソクルタ。
「なつかしいな」
レフォリエが生贄に選ばれて十年。妖魔の世界に紛れ込んで十年。
長い年月をすごし、成長してきたはずだった。
だがなぜか、レフォリエはソクルタを正視して、初めて十年という時間を実感する。
「わたしを覚えていたか」
ソクルタは滑舌がよくなっていた。
あどけなさからくる舌足らずな部分が抜け、はっきり、刃を打ち込むように話す。それにレフォリエは驚いた。
初めて会ったときは無機物な人形のようだった少女が、なんとも人間らしくなったものだ。
生贄の儀式場に向かう際に見せた、緊張に震え、必要以上におとなであろうとする姿とも違う。
飾り気がない。鋼の如くまっすぐな素面が透けている。まじめさだけは生来の性格であるらしい。
輝かしいはずでもないはずの思い出の女は、成長し、美しくなっていた。
妖魔は毛替わりや衣装替えはしても基本的に姿かたちも性格も、なんにも変らない。
美しくなった女を見て、ようやくレフォリエは自分が七歳から十七歳にまでなったのだと強く思った。
苦々しい状況のはずが感慨深い。
しかし、奇妙な感情にひたっていたレフォリエの耳朶に、嘲りの言葉が届く。
「なつかしい、とは。これはまた! 小娘のくせして、大した言葉を使う」
「うるさいぞ」
「ふん」
叱責を飛ばしても鼻で笑われる。
それがまた腹が立って、考えるより先に口から反論が出る。そういう態度こそが子どもっぽいのだとわかっていても。
「そりゃあ竜に比べたら十年なんてあっという間のモンだろうさ、でも人間の十年はウンと濃いんだよ」
「わかったわかった」
「ええい、私よりもな、下だろう下! あっちに集中しろったら」
泥鯨といい《御使い》といい、ヴァラールは余裕が過ぎる。
頼りがいがあるといえば聞こえがいいが、ヴァラールのはもはや傲慢だ。
ヴァラールとつながるあぶみを踏み込む。ギシリと綱がきしんだ。
指摘が半ば的を射ていたこともあって、言い訳を並べてしまう。
不機嫌に頬を膨らませても、ヴァラールは知らんぷりだから、態度の悪さはお互い様と言える。
「仲が良いのだな」
二人の口げんかを目撃したソクルタの声には戸惑いが含まれていた。
先ほどまで交戦していた二匹の竜。その一匹をたしなめ、地上に縫い付けながらも、ソクルタはレフォリエとヴァラールから目を離さない。
ソクルタの瞳は、レフォリエの握る綱に向けられていた。
獣の妖魔の毛で編んだ特性の縄だ。俗世にある品ではない。
レフォリエが三日三晩、魔女の家の周りで訴え続け、ついに根負けした魔女が製法を教えた魔道具である。狼男をはじめ、親しみの深い妖魔から少しずつわけてもらい、妖精たちと協力し、レフォリエ自らが編んだもの。
妖しい光沢を放つ丈夫な縄は、あぶみとなってヴァラールとつながっている。
あぶみのはきかたも随分と慣れた。ヴァラールと首と足の付け根に巻きつけることで固定された縄は、見た目こそ馬につける手綱のように見えなくもない。
しかし、少しも妨げられていない口腔をみれば、「彼女」にはヴァラールが決して安易に人に下るようなおとなしい竜であることは伝わるだろう。十年前とみじんも変わらずに、だ。
あくまで綱は、レフォリエがヴァラールと飛ぶためのもの。意志疎通と体のバランスとりを効率よく行う道具に過ぎない。
「あんたとて竜を駆るだろう」
「いいや、わたしは。わたしは御使いだ。貴女は違う」
女王に抗う竜と人の少女がともにある様子に、ソクルタは何を思ったか。
レフォリエにはまだわからない。
なにせ本当に唐突に、この女王のしもべはやってきて、竜と少女の名を呼んで森を駆けまわりだしたのだから。
間違いなく、レフォリエとヴァラールに会いにきたのである。
もう生贄の儀から十年たっているというのに。まったく目的がわからない。
今も過去に浸り、のんきに会話をしているようで、レフォリエという人間を観察されている気がしてならなかった。
わからぬままにふりまわされるというのは、あまり気分のよいものではない。
黙っていても事態は動かない。だからレフォリエは動いてみることにした。
「あんたは、なんだ、何をしにきた。いきなり妖魔の地で好き放題。考えなしのバカなのか?」
「そうだが」
「……は?」
レフォリエは挑発のつもりでいったのだ。うっかりぼろをださないか、と。
しかし、かえってきたのはよどみない肯定。しかも即答であった。
レフォリエが眉をしかめたのは、予想もしない返答に対する驚き。虚をつかれたがゆえの反応だった。
ソクルタはそれを怒り、己が至らないがゆえと受け取ったようだ。
背筋を正して天空を見上げる。
快晴の空を塗りつぶさんが如く、深く青い瞳が下方からレフォリエを貫く。
「わたしは貴女に会いたかった」
「必要ないだろう」
「今は違う。女王と女王の民のため、貴女の魂をはからねばならぬ。だがわたしはそう賢くないので、会わずしてどう見極めればよいかわからなかった」
「は、はあ」
「ならばもっとも簡単なのは、会うことだ。けれども、素直に呼んだところで来ないだろう? だから適当に動き回って、そちらから来てもらうしかないと思った次第」
「そんなことのために?」
「くだらぬことと思われるならば、その通り。事前に承諾はとったとはいえ、聖なる地で騒ぎたて、森の民には迷惑をかけてしまった。ばかといわれればその通りだ、甘んじて愚か者の評価を受ける」
長いまつ毛の瞬きを繰り返すレフォリエの代わりに、ヴァラールが小さなため息をついた。
「価値観が違う」
今度は聞えないように、炎まじりにこぼされた囁きは、レフォリエの困惑の答えだった。
価値観が違う。
世の人々とは違う場所で育ったレフォリエと、女王の元で人々のために生きてきたソクルタでは。
同じことに関して話しているはずなのに、基準も思考回路も、まるで異なる。
久方ぶりにレフォリエの白い頬に、冷たい汗がつたう。
同じ人間のはずなのに、妖魔よりもよほどわからない。
まったく異なる世界の住人のような気すらした。
「私の魂をはかるといったか。《御使い》のお姉さん」
「ああ」
「今話した限りじゃあ、できやしないと思うんだけどさ、どうだ。あんた、そう思わないか」
同じ天秤を持たずして、どうやってはかるというのだろう。
反対に、ソクルタは小首をかしげる。
「未熟はあるだろうが、わたしはわたしの役目を果たす」
「どうやって? 懇切丁寧に説法を受けよとでも?」
「いいや、わたしと貴女では、過ごした場所と時間があまりに違う。言葉を尽くしたところでわかるものは少ない」
「へえ!」
「なので」
てっきり話せばわかるとでも抜かされるのかと思いきや。
かすかに口角をあげたレフォリエだが。それはまだ早かった。
「一騎打ちを申し込む」
イッキウチ。
聴いたことのない単語だ。
代わり、ヴァラールがレフォリエの無知を補う。
「一対一での対決だ。つまりあの女は、お前と自分だけで戦おうといっているわけだな」
「ヴァラールは?」
「一対一といっただろうが。いない。フン、騎士の真似事か?」
かつての己をまねられているようで気に食わないのか。
ただでさえ気の短いヴァラールの鼻息がますます荒れる。ソクルタが彼を見習うことはなかろうに。
「なんでイッキウチなんだ!?」
「竜が戦えば被害が大きい。人民の不安につながる。これが一番シンプルで穏便な方法だ」
朗々と話していた口ぶりが、ほんの一瞬よどむ。
「どうやら何か隠した事情があるらしい。どうする?」
「わたしは貴女を殺すまでする気はない。こちらから申し出る以上、貴女はわたしを殺しにかかってもいい。貴女に人を思う心があるならば、どうか受けてほしい」
ヴァラールの煽るような問いに、響きだけは実直なソクルタ。
自分に向けられた二対の目だが、レフォリエの判断は早かった。
「逃げるに限る」
「それがいい」
一言告げれば、ヴァラールは心得たと旋回する。
「逃げるのか!?」
「肉にもならんのに戦いなどできるか!」
信じられないという様子のソクルタだが、レフォリエの方がそういいたい。
人間が竜が暴れたぐらいで(それも自分たちのいないところで)、どうにかなるほど弱いわけがあるか。
理由がわからないのでは、レフォリエの信念にも響かない。
森のなかで狩りをしていて、危険な獣と出会ってしまったら?
要りもしないのにわざわざ戦う馬鹿はいない。黙って離れて逃げるが善し。
当たり前のことだ。
「――悪いが、そうはいかんのだッ」
迷わず背を向け、立ちはだかるものは何もない空をいくレフォリエとヴァラール。
ここまで来たソクルタとクルイグが、すごすご引き下がるはずもなく。
こうして、二人と二匹の長い長い追いかけっこが始まった。




