第十二話 交代劇はありうるか(エピローグ)
薄暗い夜闇に溶け込む家があった。
チョコレートやクッキーの建材ではないが、魔女の家である。
その外観は童話のなかでいたいけな子どもをだます怪物の名にふさわしい不気味で飾ってあった。
ありふれたつくりをした屋根の芝は飢えた獣のように乱れ、壁の表面は焼かれて荒い黒。
芝は断熱効果によって家の中を温める、この国の一般的な知恵。焼けた壁は炭化によって防虫と防腐を狙う、東の異国の『焼き杉』という文化を試したものなのだが、気の弱いものが出くわせば腰を抜かしてしまいそうだ。
他の妖魔たちとも離れた場所にぽつんとたつそんな家に、あかりが灯っていた。
窓越しに、室内で蜜蝋の炎が揺れる。暗くも暖かな橙の光のもとへ、雲めいた白い煙が重なった。
煙が室内に満ちると、家に閉じこもっている魔女が外に向けて呼びかけた。
「鎮痛効果のある香を焚いた。これで少しは穏やかに眠れるだろう」
それをきいて、森の木々のあいだから重いものが動く音が響く。
気高い青金石の鱗も、夜と傷と泥に汚れていた。
ヴァラールは長い首をもちあげて、静かな声音で問う。
「どうだ。無事か」
「命は」
魔女の言い方は冷たかったが、ヴァラールはため息をつく。
問いかけよりも軽い。安堵のため息だった。
激流にさらされ、猛烈な熱に焼かれ、そんななかで水底に杖をつきたてなければなかったレフォリエは炎の魔法によって、任された仕事を成し遂げた。
朴念仁に近いヴァラールでも、忘れもしない。
杖がつきたてられると、銀の杖はまばゆく輝き、星の鎖が咲いた。
魔女が封印の強化のために施した魔法が、条件を満たして発動したのだ。
星の鎖はうねって、八方に広がり網を張った。
すると虹蛇が『蓋』の方へ振り返り、目覚めたての緩慢な動きがうそのように一直線に泳ぎだしたのである。
まるで親に遊びをやめる時間だと知らされて、あわてて帰る子どものように。
虹蛇は自ら『蓋』の下へ飛び込んだ。しっぽまできっちり泉の底、その向こうまで潜ったのを見届けて、しゃらんという金属が連なる音が奏でられ、鎖は水底に根をはり……再び平穏な静寂が訪れた。
亡霊は封印さえ守られれば文句はない。
黄金の亡霊と魔女の命により、一時的に離れていただけの彼らは泉に沈み、渦を描いて遊泳し始めた。
ヴァラールも死力を尽くしたレフォリエに賛美を送った。あとは命が無事であるなら、嘆くことはなにもない。
不機嫌になっていたのは魔女のみであった。
「命は、といったであろうが!
無理に魔力を通したせいで魔力回路はぼろぼろだ。元から変形しちまってる。エラヴが与えた最高の素材が……」
「なんの問題がある?」
「大有りだ。今まで呪いを打ち破り、貴様を繋ぎとめた魔法が発動しやすかったのはレフォリエの性格が魔法向きだっただけじゃない。魔力を通しやすい身体だったのも大きいはずだ」
亡霊が泉の外へひきあげたレフォリエは悲惨な状態だった。
全身はやけどで皮膚がはがれていた。
しかも虹蛇の帰り際、熱のあがっていたしっぽにでも接触してしまったのだろう。
どうすればそうなるのか、腹部が熱した熱したナイフで切られたバターのようになっていた。
レフォリエは魔女の家へと送り届けられ、すぐに治療が始まった。
魔女が作り上げた道具とさまざまな魔術、知恵を総動員して数日。今晩、ようやく峠を越えたのだった。
薬がきれるたびに苦痛で玉の汗を浮かべながらも、彼女は生きていた。
だが、魔女のいう魔力の通り道、回路の損傷はレフォリエを守ってきた魔法という奇跡がより遠いものになったことを意味している。
いざというとき今までのように守ってくれる可能性が低くなった。
最初、レフォリエを亡霊にして、苦しみなく生を歩ませようという作戦はとうの昔に失敗した。
魔女にとってレフォリエが弱るというのは非常に芳しくない。
魔女以上にレフォリエを守りたいはずのヴァラールがしぱしぱと目を瞬かせる。
「ふむ。では聞きたいことがあるのだが」
「なんだ」
「俺の魔法は使えるのか?」
「何? お前の魔法を、何故レフォリエが使う」
ヴァラールの思わぬ言葉に魔女は目を細めた。
常日頃から眉間が寄っているせいで、睨んでいるようにしか見えない。
もっとも魔女は家のなか、ヴァラールは外。互いの様子は声でしかうかがいしれない。
妖精ならば泣きだしそうな威圧感もことなげにヴァラールは此度に関する考察を述べた。
「レフォリエとは大魔法によって繋がっている。俺と友になりたい――俺も今はその願いを了承した。奇跡のもとに女神へ誓約をたてたのだ。世界から繋がりを認められた、だから魔法の共有などという状態が発生したわけだ」
「……なるほど」
顎をつかみ、魔女は思案する。
ヴァラールは数秒も待てず、じれた様子で短く吠えた。
「どうだ、使えるのか?」
「そうだな。多分、使えるだろう。大魔法は世界との取引で成立した契約だ。体内のエネルギーを加工し消費した結果の妖魔の魔法と違い、体内の回路の重要度は低い。
魔力も貴様のものを通したせいでああなったなら、今から手を加えていっそ貴様の魔力に完全に合わせてしまえば、青い炎だけは使えるようになるかも……だがそれだけだ。大魔法には及ばない」
自分を道化と嘲笑い、魔女は両手をひらひらふった。
だが。
「余計な心配をさせおって。やはり問題ないではないか」
「話をきいていたのか!?」
ヴァラールはあっけらかんとしたままだ。
信じられないという態度を隠しもしない魔女がいるだろう方向をまっすぐに見つめる。
「奇跡だよりの人生など軟弱だ。戦う強さがあるのだ、お前のそれは過剰な心配だろう。
それに俺がいる。俺のちからが使えるということは、いつでも俺が守れるということではないか?」
「ヴァラール、貴様……貴様……脳筋にもほどが……何故考えない、そなえない!? だから嫌いなんだ!」
「同じ言葉を返そう。考えてばかりで楽しいか? 動いてしまえばいいものを」
沈黙が通り過ぎる。
女王の家臣であった頃から何度も繰り返したぶつかり合い。
無為なやりとりであることを思い出して、二人はそれ以上責めなかった。
そのあり方を認めても、考え方があまりに違いすぎる。すりあわせようというのは愚かなことだ。
ヴァラールはコホンと咳払いし、話題を変える。
「なんにせよ、だ。存外若者というのは恐ろしいものだなあ」
いつもの彼であれば飛び去っていたところだが、ここ数日は魔女の家に番犬のようにはりついて離れない。
出かけるのは、落ち着かず、滋養のつく獣を狩ってくるときぐらいだ。
肝心のレフォリエがまともに食事をとれる体調でない以上、すべて魔女の腹におさまったのだが。
それほどヴァラールはレフォリエを案じていた。
そのせいで暇つぶし替わりに話をふられる魔女はたまったものではない。
「貴様らしくないことを言う」
いつもなら雑音として無視する魔女も、レフォリエが安定した今ばかりは付き合ってやろうという気分になった。
いつでも自分が一番現役とでもいいたそうなヴァラールの台詞が興味をひいたこともある。
魔女は椅子をひき、どっかり腰をかけた。
「なんだと」
「てっきり怖いものもわからない馬鹿かと思っていたものでねェ?」
「怖いものは知っている。怖いからというのがとびかからない理由にならなかっただけだ。だが俺もあのように見えるのかと思うと、そう思われたのもやむないかと思えてくる」
「レフォリエか」
ヴァラールは頷く。地震をはじめとした一連の騒ぎが薄まったことによる余裕から動作はひどくゆったりになっていた。
今回の件でヴァラールはレフォリエを強く認めたのである。
「平穏な暮らしをさせてやるために、あれこれ手を尽くしたつもりだった。だというのに、何度でも首を突っ込む。火に注がれる油のようだ、見ていられん」
「はあ。本音か?」
「ああ。どんなに言い聞かせても自分の意志を信じる。心地よいものよ、あのお方に似ている」
実に嬉しそうだった。
魔女は首を振る。魔女の評価は竜のようにはいかない。灰を落とすようなか弱さでつぶやく。
「似ているものか」
蜜蝋の炎が激しく揺れる。魔女がその息をともしびにむけて吹きかけたせいだった。
窓から見える魔女の家のなかはあらゆる暗色が混ざり合っている。
こげ茶。炒り豆。腐葉土。暗がりのきのこ。誰も知らない秘密の薬品。
ずっと城のなか、部屋のなかで生きて戦ってきた女の部屋だ。刃ではなく紙とインク、書物をふるった女に見えていたものは竜とはあまりに違った。
「エラヴは疲れていたよ」
女王の手だった竜の前で、耳であった女はいう。
額に手をあてて、恨みがましい言い方で。それにヴァラールは共感できない。
「何を言うか。女王は強い方だった。俺はずっと人は自分の人生のみを切り開くものだと思っていた。己を研ぎ澄まし、ひたすら高みにのぼり続ける。世界は阻むものとたたかい続ける闘技場で、生きるとは勝利することだ。そのなかで唯一、戦う権利をゆだねてよいと思った」
「無理のある生き方だ」
「俺はそうは思わない。しかし、しかしだ。最近は他人の人生を手伝うのも楽しいものだと思うときがある。俺が妖魔である以上、人であった頃からそうした道を選ぶ可能性があったのだろう。気の迷いや勘違いではない。
ああ、突き進む姿とは、本当に心地よい!」
ヴァラールは頭痛を押さえて机につっぷす魔女と壁一枚はさんで隣り合う。
理解できないことをしようとは思わない。割り切ってどこまでも自分のことだけを伝えた。
「俺たちが主人公でいる時代も終わりかもしれんな」
世界を動かす物語は今を生きる若者が生きるのだ、と殊勝なことをいう。
魔女は応えない。
無愛想な沈黙が続き、再び暇を持て余したヴァラールは狩りのためにはばたいていった。
力強い翼が深夜に響く。森の集落の子どもがおびえて何人かなくだろうが、知ったことではなかった。
○
つよき妖魔が離れていくのを風が知らせる。
レフォリエも深い眠りに落ちて、家の周りから誰もきくものがいなくなった。
そこまで待ってようやく。ようやく魔女は本心をもらす。つぶやきを落とす。
歯ぎしりにそっくりなつぶやきを。
「傲慢だよ。誰もが死ぬまで主人公だ。自分の道は自分しか選べない」
指を組んで魔女は祈る。
神様なんてロクなものではない。だから祈る相手は一人だ。魔女は自分に対して祈りを捧げる。
明日もつよく生きられますように!
魔女は何度も胸元でローブをかき集める。
ヴァラールとレフォリエを見ているとひどくそこが痛むのだ。
魔女の願いはもう誰ともわけられないのだということが途端に不幸であると思ってしまう。
「何が問題ないだ。何が心地よいだ。力をふるうしかのうのないおまえたちなんかに価値などあるものか。役目がなければ不細工で醜い愚鈍どもが」
いない。もう隣にたつ人間は誰もいない。
魔女はそっとレフォリエの手を握った。
そこを通して、自分が求めるものが帰ってくると信じているかのように。




