第四話 溶けゆく朝のこと
魔女。魔術を用いるという性質をもち、他の妖魔より多彩な能力を持つ女の妖魔である。
彼女は森の妖魔たちにとって、森の平和を保つ畏怖すべきバランサーだ。
他の妖魔が行えない御業を、代償と引き換えに魔術によって代行する。
あるいは妖魔間における仕事の融通、手配を行う。
薬や道具を使って怪我や不調を訴える妖魔を助けるのも仕事のうちだ。
なかでも最も重要なのは、亡霊を率いる司祭としての役割である。
世界樹から漏れたちからの塊、地下深くを渦巻く怪物を封じるため、死した生物のからに魔術を吹き込んで亡霊に作り替え、怪物を監視し、封じ込める。
つまり女王によって命じられた生贄の儀式の一部業務を請け負い、代行しているのだ。
それ以外で魔女が女王を手伝っていることなどない。
生贄によって抑え込むことが人のためならず妖魔のためでもあることはわかっている。川の底をみれば分かる通り、泉の怪物が暴れだしたとき、真っ先に被害をこうむるのは妖魔たちだ。
ゆえに魔女は尊敬と恐怖、警戒が入り混じる複雑な念を向けられる存在であった。
その時代が終わろうとしている。
三代目には一代目ほどのちからはない。封印に必要なちからと捧げられるちからは年々つり合いを失っていく。
ちょっとずつ、ちょっとずつちからの蓄えも削られた。
怪物の暴走を抑え込むため、監視者たる亡霊のちからを強化する。当然、亡霊たちを支え、強化するのは魔女だ。
魔女は亡霊たちにもっと無駄なく、より多くちからを融通するために、今より亡霊たちに近しい存在になることにした。
魔女は亡霊を率いる亡霊となる。その前に、後継ぎを用意せねばならない。
○
「まったく、わけわかんないよ。長のいったこととココできくこととで、頭ごちゃごちゃしてくる」
魔女に誘いの言葉をかけられた二日後、肌が泡立つような早朝。
前夜は人と妖魔が寝静まった宵闇のなか、雨がふりしきった。ためこんだ水を落とすだけ落とし、日が昇る前にからりとやんだ。清浄な空気で満たされた朝だった。
「どういうこと?」
「人間って僕たちのことどういっているの?」
「妖魔の死体を編んだり、枕を全部裏返しにしたりはしないよね」
レフォリエは玄関先でうずくまり、しっかりと靴ひもを結びなおしていた。
多少不慣れな場所を歩いても問題ないようにしなければと思ってのことだ。
魔女のいうことをかなえよう。思うところあって、やることはもう決めた。それでもあれこれ気になって仕方がない。
「君たちにとっては魔女の話が当然なんだろう? それにわたしが驚いているように、お前たちが驚くような伝わり方をしているよ。ややこしいったらありゃしない」
ぶつくさ独り言をこぼすレフォリエの頭上で、心配そうに妖精が飛び回る。
薄い羽根と鱗粉は控えめにきらきら輝く。美しい少女の頂点に天使の輪のような円が浮かぶさまは幻想的ではあったが、レフォリエ本人は目に粉が入ってうっとうしくてならなかった。
「そっかあ、レフォリエちゃんは前は人里にいたものね」
「人間、うそついてるの?」
ストレートな物言いに苦笑する。
左右に首を振り、ひもから手を放してつま先をとんとん叩く。すぽっと奥まではまって、一日中だって歩けそうだ。
茶色の靴は小さな擦り傷だらけだが、よくなめされて、よく使いこまれ、よく磨かれて、チョコレート色の照りを出している。
「嘘をついているつもりはないと思うよ。考えてみたけれど、別段話がまるで違うってわけでもない」
冷気の風をふぶかせる太陽をなだめるための生贄。この太陽は、そのまま怪物に置き換えて問題がないだろう。
世界樹は女神が姿を変じたもので、怪物は世界樹のちからがこぼれたもの。同じ存在であるといっていい。
極寒の地を人の住める場所にするために女王は御業を使った。女王の絶大なちからが女神に与えられたなら、女神のちからを使って環境をつくりかえたはいいものの、ちからの余波で生まれた怪物はどうにもならなかった、と考えることにした。
極寒の地が変わるのが先か、生贄の儀式の成立が先か。細かな時系列を無視した考察である。
正確に把握することが目的ではないのだから、別によい。
問題は魔女の立ち位置であった。
魔女が話の中に出てきた二代目女王の三人の部下、そのうちの一人であることぐらいはすでにわかる。この森の魔女はグラヘルナしかいないのだから。
魔女は三代目は一代目ほどのちからはないといっていた。魔女が儀式の一部を担うようになったのは二代目が没した後からであろう。
「気になるのはさ。さて、魔女は三代目女王といかなる関係なのか? ってところだよ。
好意や尊敬から請け負っているとは考えにくい。女王や女神に対する言葉にはそんな雰囲気はみじんも感じ取れなかった。むしろ逆だ。
だとしたら、必要だからやっていると思った方が筋が通る。
魔女が熱意を傾けているのは女王ではなく、平和を保つという仕事なんじゃないかってね。
だから魔女が平和をより盤石にするために身をささげようとしているのは信用できなくはない。
やはり少し意外ではあるけれど」
そしてそんな魔女がレフォリエの出生とどのような関係があるのか。
真っ先に浮かんだのはレフォリエが女王の関係者であるということだった。
しかし二代目女王に配偶者はいなかったらしい。二代目女王の親は一代目なのだから、親戚の線も可能性は低い。
大それた夢みがちな発想でもあるから、それが自分の子どもっぽい予想を否定する材料として心強いものに思えた。
ならば二代目女王の部下か。もしそうならわざわざ森に逃げてきた三人が広く伝わるほど噂にならない気もするが、レフォリエとしてはこの線が最も濃厚だと考えていた。
なんにせよ、今の時点では計り知れないことである。
「結局行くんだけどさ」
知りたいことは沼女にじかに聞けといわれた。
信用はできない。それでも、レフォリエの秘密を知るには、魔女の要望に応えるしかないのである。
ヴァラールに聞ければ一番よい。だが彼は女王の話になると取りつくしまもない。その点、魔女たちの方がずっとやりやすい相手だった。
「いくの? 魔女さまが怖いの?」
「だ、だいじょうぶ、いざとなったらぼくたちが説得するから」
「いや、いいよ。魔女はおっかない、でもそんなんでやめるほど物わかりのいい性格じゃなくてね」
肩で押し込むように扉を開ける。
空気を入れ替えるために窓を変えたのと同じく、冷涼な風が隙間から一気に吹き込む。
ぶるりとからだをふるわす。
三着しかない、それでも妖精たちと一緒に笑い合って作り上げたお気に入りの服の裾がふわりと浮いた。
「色々考えてはみたけれど、ぜんぶ聞きかじりだ。本当の本当に知りたくて、ましてやそれがわたしのなにかを変えてしまうかもしれないようなものだっていうのなら」
ちゃんと自分の目で確かめなきゃ。
そこから考えないと、わたしが選んだ道なんだって心の底から言えない気がする。
「そっかあ。レフォリエちゃんがそういうのなら、とめられないね」
「僕たちは妖精で、きみはヒトだもの」
「君たちも時々よくわからないことをいうな。わたしのきげんが悪い日にはやめてくれよ?」
かばんをななめがけする。
入口にたてかけておいた長い杖をもちあげ、これもまた肩に乗せるようにする。飾り気のないシンプルな木製の杖。他でもない、魔女のものだ。
レフォリエが頼まれたことは実にシンプルだった。
なにも今すぐ死に絶えるわけにはいかないし、他者に魔術を使って作り替えていたのとはわけが違う。
しばらく魔女は家にこもり、術によって意図的に変異していくという。
その間、泉や亡霊たちとのつながりを維持するための触媒が必要となる。
「魔女になる気はないけれど、こんぐらいはね」
触媒となる魔女の杖を泉の底へ沈める。
それがレフォリエに与えられた仕事だった。
亡霊になる前、ひきこもっている間、泉の様子を杖を通して監視・管理する。
森の様子は杖を沈めたという因果をもつレフォリエを通じて行う。
いかなるしくみかはさっぱりだが、杖にはハルバードに似た書き方の文字が掘り込まれている。
体の半分以上の背丈はある杖は、手に吸い付くような触感と重みがあった。
「ならないの?」
「魔女になるなら、もっとそれっぽいきれいな服作ろうって思ってたのに」
「今のは動きやすさ重視だもんね」
「えっ」
「ふりふりのワンピースとドレス、どっちがいい?」
「あのさ、そういうこといって惑わせるのもやめてくれ。ドレス」
妖精たちには好みを握られていて弱る。
杖をくるくる回して、意気揚々とレフォリエは家を出た。
向かう森の先、大地においしげる柔らかな草を踏む。
草葉から零れ落ちる寸前まで膨らみ、溶け始めた氷の玉が朝陽を浴び、光を幾度も曲げて七色に輝いていた。
自然の英気がみなぎる一帯に妖精たちが空中で八の字を描く。
「いきかたはわかるの?」
「魔女に地図貰ったから。すぐにこんなにかけるとは、魔女の知識ってすごいな」
細かな部分まで迷いない一線で描かれた地図は、簡素ながら正確であると思わせる。
三角推量だのうんたらかんたらいっていた気がするが、レフォリエにはよくわからない。
亡霊たちが潜む道は泉につながる秘密の小道だとゴマ粒のような字で注釈が記されていた
あの不思議な緑の園のことである。
もっとも亡霊たちの使う道なので、生身であるレフォリエが進むには厳しい。
緑の園は迂回して、別の道を使うようだ。
一点、泉を中心にした円形が描かれており、レフォリエが通る小道の上にも線が走っていたのが気になった。
「このまま進んでいいんだよな?」
「何にも書いていないのならそうなんじゃない?」
妖精たちの適当な返答はまるであてにならない。
レフォリエは肩を回して気合を入れた。指もぽきっと小気味よい音を鳴らす。
妖精たちが口やかましくとがめたが無視する。
かがんで茂みに頭からいれて、がさがさと枝に悲鳴をあげさせて突撃した。
「いっつもこんなとこを通っていたら、いつかわたしまで小っちゃくなりそうだ。いい加減、思いっきり走って迎える場所をいくことになってもいいんじゃないか?」
そんなレフォリエの文句は妖精たちには理解できなかったらしい。
当然だ。彼らはもともと小さいし、そもそも歩かない。飛んでいる。
「レフォリエちゃんが妖魔になったら、きっとちょっとした怪獣だね」
「いってろ」
ふんと鼻を鳴らした後で、まるで魔女みたいだと気づき、渋面をつくった。
深い呼吸を二十回するぐらいの長さ、茂みの下を這いずって、やっと目の前が開ける。
やっと立ち上がれるとなって、レフォリエは思いっきり背をのばす。
あたりは緑の園と変わりない豊かな湿気が肌にしみこむようだった。
随分時を経たと思われる石畳の道が蛇のような曲線を描いて敷かれている。
黒ずんだ灰色の石の上はふさふさの緑。
レフォリエの知る多くの家は、屋根に緑の芝をしき、暖をとりやすくしていた。
晴れの日に力づくで屋根に登り、転がって昼寝をすると非常に気持ちがよかった。
胸をときめかせてそろっと踏んでみた。
ぐしゃと靴の裏が濡れる感触がする。足をあげれば、緑の覆いは茶に変色してしまっていた。
「しばじゃなくて苔か……ということは、結構水源に近いのか? 少なくとも水はいっぱいあるよな」
内心少しがっかりしつつ、石が敷かれている方向を追う。道は通らなかった。
沼女が現れ出るでもなく、邪魔らしき邪魔は何もない。
不自然なほど濃密な緑が景色すべてを薄く染め上げ、垂れ下がった花と苔むした木々が周囲を囲んでいる。
だがレフォリエを押しとどめるものがあった。
先へ行ってしまった妖精たちが、立ち止まるレフォリエを振り返って騒ぐ。
「どうしたのー? 気になるものでもあった?」
「いけない」
「ここまで来たのに? やっぱり魔女さまに怒ってる?」
「怒ってるけれど、そうじゃなくって」
「じゃあなに!?」
「通れないんだって! 見えない壁があって! これ以上先にいけないのーッ!」
ちょうどそこが、あの線のかよっていた箇所であると気づいたのはとことんわめいた後のことであった。




