第二話 朽ちる美貌は木陰の下で
引きずり込まれ、伏せた体勢で自由を取り戻す。
顔をあげるとあたり一帯は緑の藻に覆われたように碧の光に満ちていた。
野生の猫じみた動きで転がり、身を起こす。悪意があって喧嘩を仕掛けてきたなら正面からむかい、そうでないなら手段を見繕うために相手を見ようとした。場合によっては無視して帰ることも考えた。
「おいおい、なんだ? どこだ、ここ」
しかし素早く周囲を見渡したレフォリエは困りはてる。
まず相手が見当たらない。次にここがいったいどこなのかわからなかった。
となるとたよりは生まれてずっとこの森に住みレフォリエではいけない場所も動き回る妖精たちである。
目配せをしたが二匹の妖精は気づかない。互いの背中を追いかけるように円を描いて飛ぶ。
頭上に光の輪ができるのに、レフォリエは苦々しく顔面を歪める。
「こんな場所があったんだ……」
「魔力が満ちすぎてむずむずする」
「君たちまでそんなことをいうとは。さてはここは世界の果てか?」
軽口をたたくも足は後退しだす。
夏とはいえ、いやに湿気が強い。干したての厚い毛布ですっぽりと包まれたかのようだ。
そのくせ感覚は磨き上げられている。妖精たちがいうとおり、妙にむずむず、そわそわして落ち着かない。
興奮していてもたってもいられない時にそっくりだった。
二本の足で水はけの悪い土の上をぐるぐる回ってみる。空を覆っているのは黒い岩ではなく、垂れ下がってエメラルド色に光を振りまくツタと葉、そして花。ずっと奥まで続く草花のカーテンの果てをはかろうとすれば距離感覚を見失うだろう。
天国のように美しいが、地下らしくない。
「気色が悪い。こんな場所、魔女にいってやるー」
「いい加減怒られるよ! 魔女さま、怒るととっても怖いんだから」
「叱られるのはわたしだけさ、安心しろ」
おびえる妖精ににやりと笑みが浮かぶ。
ここ数年で学んだことは数多い。そのうちのひとつは『強くありたいときは笑った方が上手くいく』ことである。
なんでもないふりをして元の場所に帰ろうとしたレフォリエは、妖精にスカートのすそをひっぱられて動きをとめた。
「何?」
「なにかいる」
日頃、無垢と幼さの象徴のような彼らが小さく声を潜める。
意味もなく腰をかがめた。
優雅に舞う蝶を追いかけるようなのろまさで妖精の目の動きを追う。すぐに直視することができなかったのは、自覚せず恐れていたからかもしれない。
先ほど自分の腕をつかんだのと同じ気配が背後に立つのを察する。
すぐ近くには何もいないのに、何者かのまとわりつく呼気が清浄すぎる空気に口噛み酒のようにからむ。
「幼子のうちに殺すと、そういったのに」
それは冷たく囁く。
声のした方を向けば、にゅるりと頭頂部が生えてきた。
順番に身体の七分の一しかなさそうな小さな頭、透ける瞳、大人びた厚みのある唇が現れ、すぐに何もはいていない足までさらす。
さながら水にたっぷり浸かった死体だ。
すぐそばを飛び回る妖精や日頃会話する妖魔たちとは似ても似つかない。
なにより、どうしてかその造形が無性にレフォリエの神経へささくれをつくった。
「誰だ、君。森の妖魔か、よそのやつか」
「知ってどうする。お前の魂など、何にも必要とされていない。そのはずだった」
「おい、わたしの質問が聞こえないのか? 初めて会うのに随分な言いぐさじゃあないか!」
なんとか笑おうとしたのだが、耳元で妖精がため息をこぼす。
耳たぶにせわしない羽の振動がかすめる。
「犬歯むきだし、威嚇みたい」
「うるさい」
小声で気軽な会話を交わす一人と二匹に、沼女が小首をかしげる。薄い燐光をまとった青白い肌にべったり長い髪がはりつく。
レフォリエはその動きにうすら寒いものを感じ、片腕をなぜた。
「もう、君たちったら本当マイペースなんだから」
しかしおかげで平静さを保てるという恩恵もある。
簡単にわかることだが、この緑の園はまともな場所ではないとずっと本能が警報を鳴らしている。
ずっといるといつもの自分を失いそうだ。
そこに拍車をかけるのが目の前で微動だにせずたたずむ沼女である。
沼女の髪の色はここの見慣れない光の色と同じで、まるで沼女に無慈悲に抱きしめられていると錯覚しそうだ。
妖精たちにかたくなりかける頬を緩ますレフォリエに、沼女はひたすら不可思議そうにひとりごちる。
「何故そんな顔ができる。まさか知らないのか。己の生まれを」
今度はレフォリエが首をかしげる番だった。
聞き間違いかもしれないと一歩相手に近づく。靴の先っぽがぬかるんだ地面をえぐる。
胸がどくんと高鳴った。
「わたしの、生まれ? そんなものがあるのか?」
レフォリエは捨て子だ。しかし恵まれた子どもであった。
養父とココワの元で人の人生を過ごし、メリュジーヌ、妖精と成長過程にあるレフォリエを支えてくれた存在がいる。
だから今まで自分の出発地点を気にしたことなど一度もなかった。
何らかの事情で捨てられたことにこだわっても仕方がないと思っていた。
だが、それに妖魔が口出しするとなると少し事情が違う。
「妖魔と人は関わらない。なのにどうして君がわたしの生まれを知っているんだ」
沼女が糸のように目を細め、口を開こうとする。
刹那、ごうとかわいた風が吹き抜けた。
そこに含まれた魔力の流れに妖精がいろめきたつ。
「くる!」
「きた!」
こんなところに一瞬でやってこれる存在はひとつしか知らない。
人であるレフォリエは反射的に、遠慮ない暴風に腕で目を庇う。
風の威力は妖魔たちには屁でもないのか、沼女は平坦な声で何者かにたずねた。
「――ふむ。いってもいいのか」
「いいや、だめだ。いいか、黙れ。何もするな」
「魔女!? どうしてここに」
妖精が哀れっぽい悲鳴をあげて空中を舞う。
風に乗ってやってきた魔女は数度わざとえあしい咳をする。華奢な体躯のあちこちを葉で飾り、不機嫌そうな舌打ちもおまけした。
魔女は最初にレフォリエをねめつけたが、すぐに沼女に対して低く唸る。
「きちんと守り場についておれといっただろうに」
「魔女よ、魔女。これはいったいどういうことなのか。この子はあなたの手で死ぬはずではなかったのか」
「黙れといったのが聞こえなかったのか? ン? 戻れ戻れ!」
杖で魔女は沼女を追い払うしぐさをする。追い払われた側は土の上を滑るように杖をかわす。
何度か魔女とレフォリエを見比べ、やがて諦めたようにどこともなく沈んでいった。
去り際の口惜しそうな目線に、ふと不快さの理由を見つけた。
ぞ、っと鳥肌がたつ。
「魔女」
「なんだ? ああ、いい、いい。どうせあれこれ聞いてくるんだろう面倒くさい」
「今のやつ、メリュジーヌに似ていなかったか?」
緑の長い髪。美しく均整の取れた肢体。顔つきは別人の如く。額に宝玉はなかったが面影を感じた。
早口でまくしたてられるのにも負けず、レフォリエははっきりとそう問う。
心臓の太い血管の上を蟻がはっているかのように不快だ。いつ大事な場所に牙を突き立てられるかと怖くて仕方がない。
問いに、いらだちを隠さず歩き回っていた魔女がぐるんと頭の向きをレフォリエに変え、じっとり黙る。
「さっき、あの緑の妖魔がいった。わたしは死ぬはずだったんだって。君がわたしを呪ったのには理由があるのか?」
てっきり、あれは無差別な呪いをたまたま拾ってしまっただけなのだと思っていた。
しかしレフォリエを狙ったものなのだとしたら、そこにはただ妖魔らしい理不尽では片付けられない何かがある、はずだ。
思えば、メリュジーヌといい魔女といいヴァラールといい、彼らはレフォリエ自身をおいてけぼりにアレコレいっていた。
「なあ」
「今考えている。待て。そうさな……」
追撃をくじかけれる。しかも結局どの質問にも答えていない。
どうして妖魔はこうもはっきり答えるのが遅いのだろう。
怒りをぶちまけようとするレフォリエを妖精たちが抑え込む。といっても、肩や胴にぐいぐいと触れるだけで、振り払おうと思えばすぐにできてしまう。
それでも立ち止まったのは、八つ当たりで暴力をふるうのは好ましくなかったからだ。
「よし、そうだな。少し調べものをしてくる。あいつらに説明もしなくてはならん。それで気が向いたら、貴様にも教えてやろう。先に帰れ」
「気が向いたらって、そんなんじゃ」
意義を申し立て終えるより魔女が杖を振る方が先だった。
文様を描くような動きをしたかと思えば、レフォリエの見ていた世界が切り替わる。
そうとしか言いようがない。
レフォリエの認識能力が現実に追いついたとき、居場所はすでに見知らぬ緑の園ではなく、先ほどまでいた薪の山の前だった。
「わっレフォリエちゃんがでたッ!?」
「魔女さまが迎えに行ったのー?」
「あわてて出てったもんね」
「魔女さま、怒ってた?」
残っていた妖精たちは飛び上がるものあり、言葉を失うものあり、のんびりと語るものあり、おびえるものあり。
毒気の抜かれる穏やかさと裏腹に、レフォリエの心が引き締められていく。
きっとまた何かが始まるのだろう、と。




