第一話 冷たく沈む
地下世界の木々は夏が近づき、毒々しいまでの鮮やかな紫に染まっていた。
色彩感覚が狂いそうな世界のなかにあって、レフォリエは戦斧を振り落す。
力はいれず、刃が落ちる重みで割れるようにするのがコツだ。
断面はなめらかで、一撃打ち込むたび綺麗にふたつに別れて倒れるのが面白い。
小一時間ほど同じ作業を続けていたレフォリエだが、それをとがめるものがあった。
「戦斧で! 薪を! 割るな!」
暗いローブを引きずって、魔女が家の窓から顔を出して怒鳴りつける。
十五歳のレフォリエは、彼女の怒りを受け流し、軽く肩をすくめた。
「こっちの方が使いやすいからなあ」
「ちゃんと普通の斧も用意しておいただろうが! 人の贈り物を粗雑に扱うんじゃない!」
「大切にしてるよ。使わずにしまうより大事に活躍させようというつもりなわけだ」
「……ああいえばこういう! 貴様からも何か言ってやれ」
話を振られたのは、他でもない。ヴァラールである。ヴァラールはレフォリエのそばで丸くなっていたのを片目だけ開く。
なお薪を割ろうとハルバードを振り上げるレフォリエと、ねめつける魔女を見比べ、軽く鼻を鳴らす。
「別にいいのではないか。達せられれば手段は何でも構わんだろう。もとはお前の頼んだ仕事じゃないか」
「よくない。よくないぞ、物の価値というものを考えたか? ン?」
「そうか」
「瞼を閉じるな、寝るな、起きろ」
魔女とヴァラールはたまたま会話をすることがあれば喧嘩ばかり。そのくせ仲は悪くない。
レフォリエはほんのすこし一人と一匹のやりとりを羨ましい気持ちで眺めながら、ハルバードで薪を割る。
「なんだ、その目は。妬いているのか」
「そうかもね」
つっかかるつもりだったのだろう問いに肯定で答えれば、魔女は面くらった顔をする。
仕事をさせてくれるよう頼んだり、意味もなく家の前でたむろしたりしだしたのはここ半年のことである。魔女は素直に接することと、節度を守ることさえ気を付ければ、それほど恐ろしくはないとわかった。
「変なところばかりメリュジーヌに似おって」
案の定ぶつくさ呟き、興をそがれた様子で家の中に戻っていく。
メリュジーヌ。その名を聴いて、レフォリエの胸がちくと痛む。
いつまでもいると思っていた彼女は、もう地下にいない。どこにいったか尋ねてみたものの魔女は首をふるばかりだ。
会いたい、謝らなければ。そう思う一方で、その反応でメリュジーヌとはもう会えないということを理解してしまった自分がいる。
「もう随分会ってないのに、似るものかな」
集落に飛び込み、ヴァラールを無理矢理連れ出してから一年が経つ。
ヴァラールには絶対に他者とともには存らないという鋼の決意があった。
魔女に寄れば、ヴァラールがここにいるのは竜の意志を上回る激情で強制的に縁を結んだに過ぎないという。つまりは人間の魔法。魔女の死の呪いを打ち破った時と同じ。
おおよそ一般的な価値観で言えば、随分傲慢なことだ。
レフォリエにとってヴァラールが大切だったから、レフォリエなりのやり方で大切にしようとした。
必要だったのだから、後悔はしていない。あの時、知力とか、経験とか、もっと他の方法が選べるだけのちからがあったなら、とは思う。
望実を成し遂げるにはちからが必要で、しかしその方法と手段はひとつではない。
なのにタイミングはただ一度きり。
「妬いているとは。あの魔女が好ましいのか? 変わり者だな」
義務として、退屈そうに侍る竜を横目に眺めればそんなことをいう。レフォリエはこれ見よがしにため息をつく。
ヴァラールはレフォリエのことをちっともわかっていないし、レフォリエにも彼がわからない。
この光景のためにはあの時しかなかった。だからやった。
「君ってやつは。わたしも大概だけれどね」
好きだから好きになってくれ、なんて本当にわかっているのか自分でも呆れる。
だがもっと努力していれば、もっといい方法があったのではないかと思い続けているのは事実だ。
メリュジーヌもいなくならなくて、自分とヴァラールはヴァラールと魔女のように気軽な仲で。スタートラインを間違えたという感覚はぬぐえない。
後悔はしていない。だが反省はしていた。
「でも、まあ、うん。彼女のことも嫌いじゃない」
もしも自分に魔女と同じだけの実力か残酷さがあったなら、もっと胸を張っていられるはずなのだ。
ココワのために生け贄をかってでた時、こんな反省は微塵も存在しなかった。
稚拙さといえばそれまでだが、できることならそういう生き方をしたかった。
「どうせやるなら図太いのがいい。魔女っていうからには色々知ってそうだしな。運動ができて知識があるとくれば、ほぼ最高だろう」
「ろくなことにならないぞ」
「何もそっくりそのままになろうっていうんじゃあないんだから。次の機を逃さないためには、できうる限りのことはしておきたいじゃないか」
「そうか。ところで」
軽く笑って受け流せば、ヴァラールもしつこくはいってこない。
竜から口を開くのは珍しいことで、何かいいたいことがあるのかと向き合う。するとあきれ返ったように鼻先でとんとんとつみあがった薪をつく。
「山になっているが」
「……しまった、割りすぎたな……」
明らかに頼まれた量より一回り多い。
青筋を浮かべた魔女が仁王立ちでしぶしぶ他の妖魔に配るよう新しい指示を飛ばすさまがありありと浮かぶ。
「ハルバードのことなんかよりこっちをいってくれればよかったのに! どうしよう、ヴァラールの背中にくくりつければ一日で配り終わるか?」
「やらん」
ヴァラールはきっぱりとレフォリエのすがる視線を切って捨てた。いちべつすることもなく翼を動かし、力強く空へ飛んでいく。
その余波で積んだ薪ががらがら崩れた。
「あー、ああー。転がる、転がる」
てんで違う方向にばらけていく薪を一人で集め直そうとするのは無理がある。
頭を抱え、やむなしに肩からかけたかばんのなかを開けた。
そこではぎゅうぎゅうになった妖精たちがすやすや眠っている。
ビンやナイフが入って危ないだろうに。妖精はよほど暗くて狭くて暖かい場所が好きらしい。
「起きろー、手伝ってー」
「えー、なにをー?」
「薪拾い」
「はいはーい」
妖精たちはのんきにいって、かばんのふちをつかみ、転ぶように地面に落ちていく。
頼まれごとをされた彼らの仕事は素早い。鱗粉をきらきら輝かせ、指をふってまきに魔法をかける。
すると彼らではとても持ち上げられないはずの薪はふわりと浮いて、元の場所へ戻ってしまう。
レフォリエは新鮮な牛乳の詰まった瓶をつかんでふたをなぜた。
牛乳もまた他の妖魔の仕事を手伝った際、お返しとして魔法のかかった瓶に保存してもらったものである。
「なんかわたしにもやることあるかー?」
「待ってていーよー!」
鮮やかな仕事に、先ほどまでと逆にできることがわからなくなってきた。
レフォリエにできるのは礼を示す何かだが、妖精たちは報酬を好まない。
妖精がレフォリエに求めるのは、彼らにできない仕事をすることと感謝を示すこと。
毎夜、仕事の礼に妖精が現れる窓際に新鮮な牛乳を置いておく。
業務的な対応を好まないのが彼らだ。自由である分、調子に乗って気持ちを損なうとヘソを曲げ、しばらく顔を見せなくなるので難しい。
「あ、レフォリエ! 一本、魔法をしかけそこねたみたい。拾ってー」
「拾って拾ってー」
「はいはい。一本ぐらいならわたしでもすぐ持ってくるからな」
妖精たちの言うとおり、不自然なまでに外れて転がるものがあった。
綺麗な三角形につみあがった薪の上に座る妖精たちをしり目に追いかけていく。
どうにも木陰に転がり込んで姿が消えたのを見て、全部で七匹の妖精のうち、二匹が山から離れてレフォリエの肩に乗る。
「わ、見える景色がひろい! 背、たかくなったねー」
「また?」
「ふふ、成長期だからな」
たまに近寄る機会があるたび、妖精はそう大げさに驚く。
集落に飛び込んだとき、体の脆弱さ、身長の低さがもたらす不便さはさんざん体験した。
竜に乗ったときも、首をつかむために足りない足の長さを恨んだものだ。
あれ以来、意識して運動を重ね、栄養もできるだけしっかりとっている。
その甲斐あってか、レフォリエの手足はすっかり伸び、幼さの残る顔立ちは怜悧な美貌を増し始めていた。
指先まで磨き抜かれた陶器の如くすべらかな体躯、きりりとした目元は井戸にすむウンディーネ曰く優れた女豹のようだという。
レフォリエは豹を知らないため想像がつかないが、おそらくほめられていることはウンディーネのにんまりした笑顔から想像がつく。
だから妖精たちが驚くのは、いろんな意味で気分がいい。
「ねえ、別に一本ぐらいいいんじゃない?」
ご機嫌だとなんでもできる気分になる。
いくら手足がのびようと、たかが十五歳。
奥に入り込んでしまった薪を見て妖精に適当な提案をされるとむきになる。
「自分だってできるんだぞ」という負けず嫌いな本性が顔を出す。
「いいや、とれるとも。枝にぶつかるなよ? この前ばかみたいな勢いでつっこんで、簡単に吹き飛んだのを見たからな」
地面にひざをつき、茂みに腕を突っ込む。いつかを思い出して懐かしい。
思い出に浸っていると、突如全身が泡立つ。
「つめたァ!?」
手首に冷たいものが触れている。
反射的に引っ込めようとしたが、少しも動かない。
――たちの悪い妖魔に目をつけられたか?
妖魔のすみかにあって、人間であるレフォリエがみなに好かれているわけがない。
魔女や竜と関わっているためにおもてだってふっかけてこないだけだ。
手首に細く、刺し貫くように冷たいものが組みついている。
繰り返し振り払おうとして、指先が相手をかすめた。
「大丈夫?」
「なんだこれ」
心配する妖精を一時、無視する。
二匹にはあとで説明すればいい。つかまれた手首から血の気がひく。
内側から外に向け、呼気のひとつまでが研ぎ澄まされ、感情が沸騰する感覚には覚えがある。
集落の人々の前に躍り出たとき、竜に自分の願いを否定されたとき。
あの徹底して戦わねばならない、という危機感だ。
そんなものを感じさせるのは、気に食わないだとか傷つけてやろうとか、そんなちゃちな悪意では、断じてない。
「はなせ!」
バランスのとりづらい体勢ながら、強く踏み込んで引き抜こうとする。
しかし後ろにひくための一瞬、身体の重心がずれるひとときに逆に引っ張り込まれ、目に茂みの葉が入った。
「ぅあッ」
「レフォリエ!?」
短く低い悲鳴をあげ、どこかに連れていかれようというレフォリエに妖精はしがみつく。
いったい何が起こっているのか、ぬるま湯につかっていた一人と二匹にはわからない。
これがレフォリエに向けられた、森の第一の牙であった。




