#38 鉄壁の戦士⑮ 我が家
賑やかな宴の昼はすっかり暮れて、人々は飲んで騒いだ快さの余韻を引きずりながらそれぞれの家に戻った。彼らが皆幸せな眠りにつき、森閑とした闇が沈殿する深い夜が訪れる。
月明かりが薄く差し込むある古びた寝室に、5人の影がおぼろげに浮かび上がっている。5人はベッドを取り囲むように並んでおり、そこに臥している老人を見下ろしていた。突然の侵入者に囲まれた老人は、しかし一切の動揺を見せていなかった。
「お前が村長か」
5人のうちの一番大きな影――威圧的な目つきのゼクが、低い声で問うた。
老人はひどく痩せて衰弱しており、薄く開かれた目はいつ永遠に閉ざされてもおかしくないほどだった。
「……奥さんは薬で眠っています。死ぬようなものではないので、ご安心ください」
ヤーラが事務的な語調で言い添えてから、スレインが鋭く切り込んだ。
「さて、我々はエステルと違って、病人相手でも事と次第によっては容赦するつもりはない。正直に答えろ。――我々のことを魔族に伝達していたのは、お前か」
返事はなく、木の洞のような口元からはか細い呼気が時折漏れ出るだけだった。スレインはちらとマリオに目配せする。
「村長さんは見たところ動くのも大変そうだし、魔族――レメクのほうから接触してきたのかな? 彼はゲートを使って自由に移動できるからね。会ったのは、最近?」
老人は何も答えないどころか、石になってしまったかのように微動だにしない。マリオの切れ長の目はその微細な変化を読み取ろうとするが、難しそうな顔で腕を組んだきり黙り込んでしまう。
「あなた、エステルちゃんに何か恨みでもあったのかしら? それとも……あんなに優しい子を裏切らなきゃいけないほどの事情があって?」
ロゼールの冷酷な声は枯れ果てた老人の心の蓋をわずかにずらし、闇に溶けた碧眼がその中を覗き込む。詰め寄るような、責め立てるような眼差しは、しだいにその光を薄れさせていった。
長い沈黙が室内を閉ざした。ゼクもスレインも、それ以上哀れな老人に重圧をかけることはしなかった。
老人はようやく生きた人間らしい反応を見せた。皺の刻まれた乾いた皮膚に涙を伝わせるという形で。
「――るして……許して……くれ。あの子たちには……本当に、すまないことを……」
罪の告解のような独白は、細くたなびいて闇の中に消えていく。詳しい事情はわからずとも、この老人が長い間後悔の念に苛まれていたことは、そこにいる全員が了解した。
湿った静寂を、ゼクの大げさなため息がかき消す。
「あのお人好しのアホ女なら、お前が何したって許しちまうだろうよ」
「……」
老人の目はしばらく闇に覆われた天井を仰いでいた。やがてゆっくり瞼が下ろされると、それきりもう反応は返ってこなかった。
<ゼータ>の5人はひそやかに自分たちの家に帰り、平穏な夜を過ごしている母娘を起こさぬようそれぞれの場所に戻った。
翌朝、村人の一人が彼らの家を訪ね、村長の訃報を知らせた。
◇
村長さんの葬儀はしめやかに執り行われ、多くの悲しむ村人たちにまじって私もしんみりと神父さんの祈りを聞いていた。幼い頃から可愛がってくれていた優しいお爺さんは、見るのも辛くなるほど衰弱して痩せこけてしまった亡骸となって、棺の中で永遠の眠りについたのだ。
仲間たちは村長さんのことは少しも知らないのだろうけれど、みんな真剣な顔つきで一緒に死を悼んでくれた。お母さんも、さすがにいつもの快活な笑顔は見せず、始終静かだった。
悲しいことがあっても、私たちはいつもの日常に戻らなければならない。魔物の脅威がなくなってからは、仲間たちは村の人たちの手伝いをしたり、一緒に酒盛りをしたり、特になにもせずのんびりしていたりと思い思いに過ごしていた。
そんな日々が続いていたある夕方。私は近所のお爺さんお婆さんたちのお茶会におじゃまして帰ったところだった。
「なんか、あんたに手紙届いてるよ」
掃除中のお母さんが、テーブルの上に置かれたそれをひょいと顎で示した。こんな辺鄙な村に郵便なんてめったに来ないので、帝都の誰かからだとすぐ察しがついた。
「……! トマスさんからだ」
「誰?」
「えーと……勇者の仲間の、皇子様」
「あんた、この国の皇子様までたぶらかしてんのかい」
「そういうんじゃないってば」
なんてからかいつつも、お母さんはこちらの事情には深入りせず、ホウキやちりとりを片付けてご飯の準備にとりかかろうとしていた。
私は仲間たちを自室に集めて、トマスさんからの手紙を開封した。
その内容は――私たちにとっては喜ぶべき知らせだった。
近衛騎士団との件に関しては、関係者の証言やトマスさんたちの尽力により、魔族の謀略によって引き起こされたものであり、私たちに非はないということが<勇者協会>に認められたという。
ゼクさんや他の仲間たちの処遇も、私の弁明次第では今の監視体制が解かれる可能性があるとのことだった。もうあんな牢屋にみんなを押し込めなくても済むかもしれないということだ。
1枚目にはそんなような大事な知らせが書いてあって、2枚目は帝都の近況がざっと述べられていた。魔族の被害はめっきり減って他の勇者たちが暇しているらしいことや、協会内の混乱が少し落ち着いてきたことなど。
<スターエース>の現状は不明だが、魔族の被害が減っていることを考えると、おそらくまだ決着はついていないだろうとのことだった。
最後に、帝都にいるみんなが私たちを待っているというようなことを添えて、手紙は締めくくられていた。
「よかった。思ったより、早く帝都に帰れそうですね」
嬉々として私が話を振ると、存外みんなは気難しそうな顔で文面を睨んでいて、私一人が変に浮かれている形になった。
「……なんか、話がトントン拍子すぎねぇか?」
「僕も思いました。敵の罠……じゃないですよね?」
仲間たちが疑惑の目を向ける中、ずっと2枚の手紙を凝視していたマリオさんが鋭く指摘した。
「これ、1枚目と2枚目で筆跡が変わってる」
電流が走ったような衝撃に打たれて、私は改めて2枚の手紙を見比べる。私の目では、字の違いはわからなかった。
「じゃあ、偽物は2枚目ね。なんとなくあの皇子様っぽくないわ」
「つまり、2枚目に不都合な情報が書かれていたので中身をすり替えた……ということか」
誰がそんなことをしたのか――そんなの決まってる。レメクだ。あの魔人は、トマスさんの手紙すら偽装できる立場にいるのだ。
「とっとと帝都に戻って、野郎をぶちのめすしかねぇな」
「そうだな。1枚目が本物なら、我々が帝都を追われる理由はもうない」
やはりすぐに帝都に戻ることになりそうだが、手放しで喜べるような状況ではない。魔族のこともそうだし、それからもう1つ――
「帰るとなると……少し、寂しくなりますね」
ヤーラ君がぽつりと呟いた。私もみんなもこの村の生活に馴染んでしまったから、別れが惜しい気持ちもそれだけ大きくなる。
でも、ずっとこの村にいるわけにはいかないのはわかっていた。私たちは村を出ることを伝えるために、夕食の支度をしているであろうお母さんのところへ行った。
「……あの、お母さん」
「いつあっちに戻るんだい?」
トントントン、と軽快なリズムでタマネギを刻みながら、お母さんはなんでもないことのように聞く。やっぱりお見通しだ。お母さんにはかなわないな、とつくづく思う。
「ちょっと……急がなきゃいけないかも」
「ふぅん、じゃあ村の連中が送別会とかかこつけて飲み食いする暇はないってこったね。ざまぁないわ」
食事を用意するほうの苦労も知れと言わんばかりに、お母さんはフンと鼻を鳴らす。
「ま、ここは遠いけどいつでも帰ってこれるしね。しっかりやることやってきな」
「うん」
いつもと変わらない調子でも、エールを送ってくれているのはわかった。決意を表明した私の頭に、大きな手のひらが被さる。
「このヘッポコは、俺らが面倒見てやっから安心しろ」
ゼクさんの宣言に、お母さんも包丁を持った手を止めて振り返る。それからぷっと吹き出した。
「そうね、あんたらならこのヘッポコも任せられるわ」
あんまりヘッポコヘッポコと言われると少しむっとしてしまうが、本当のことなので反論できない。一通り笑ったお母さんは、改めて仲間たちにもその包み込むような眼差しを注いだ。
「あんたたちもね。ここを自分の家だと思って、いつでも帰ってきていいからね」
――翌朝、私たちは大勢の村人たちに惜しまれながら、この平穏で温かい故郷を発った。




