#38 鉄壁の戦士⑧ 本当の強さ
「エリック君が旅立ってから、もう随分経つねぇ……」
神父の老人は昔を懐かしむように、目を遠くにやりながらしみじみと呟いた。
「以前あの親子と話したのだよ。こんなに長い間帰ってこないのでは、もう……とね。せめて墓だけでも、と提案したのだが……あの明るい少女が、見たこともないほど青ざめて、悲痛な顔をして……見ているこちらまで心苦しくなって、それ以上何も言えなくなってしまった」
「……」
「あの母君まで押し黙ってしまったのだから、我々にはもう何もできんよ。墓など作ってしまったら、きっと本当に死んでしまったのだという実感が湧いて、辛いのだろうね」
ゼクが思い浮かべるエステルの顔は、いつも光の溢れるような笑顔だった。時には暗く沈むことはあっても、すぐに晴れることを確信させる予感を常に漂わせていた。その快晴の日のような表情をかき消してしまう暗雲は――エリックの死は、どれほど大きいのだろう。
彼は無意識に顔の傷に指で触れていた。この傷は、最強の勇者たるエリックと戦った勲章のようなものとして、むしろ誇りのように感じていた。敗北が屈辱として残らなかったのは、ただ一度だけだった。
「あんたから見てよぉ……エリックはどんな奴だった」
「強い子だったよ」
神父は間を置かず答えた。
「といっても、強敵に勝てる強さというだけではなくてね……こんな辺境の村にまでエリック君たちの名声が轟いて、帰ってきたときにはみんなしてエリック君の武功を囃し立てていたのだがね。彼はいつも、自分が勝てたのは仲間たちのお陰だと、仲間の話ばかりしていたのだよ」
ゼクの記憶では、エリックの仲間たちは確かに強かったが、それほど脅威とは感じなかった。エリックだけが際立っていた印象があった。
「単純な腕前の話ではないのだろうね。仲間がいるから頑張れる、仲間のために戦える、そんな強さを持った子だったよ」
神父は自分のすべきことはすべてし終えたというように、大仰な一息で話をしめくくった。
◆
ゼクは帰ってすぐ、自分の寝床のある離れの扉を吹っ飛ばさんばかりの勢いで押し開けた。その豪快な音に驚いたらしいヤーラの大きな目と、道具の手入れをしていたマリオのいつもと変わらない細目が同時に注がれた。
「お前ら、今日見回りだよな」
魔物の騒動があってから、<ゼータ>が日替わりで村の周辺を警邏することになっており、今日の担当はマリオとヤーラの2人だった。ゼクは担当ではなかったが、どうせ勝手についてくるであろうことは全員が了解していた。
「そうですけど……時間は午後からで――」
「今から行くぞ」
「はい?」
ヤーラが頭に疑問符を浮かべて怪訝な顔をする一方で、マリオはその強引な話を真剣に受け止めた。
「何か出発を早めなきゃならない事情があるんだね?」
「別にそういうわけじゃねぇ」
疑問符はマリオの頭上にも現れた。
結局、ゼクは強引に2人を引っ張り出して魔物が出た森へ向かった。その先のことは何も考えていなかった。ひとまずエステルが普段そうしているように、2人の後ろを歩きながらそれとなく様子をうかがっていた。
「どうしたんですか? 急に……」
ヤーラは子供のわがままに付き合わされている母親のような顔をしている。
「別になんでもいいだろ」
「よくないですよ。スケジュールが狂うじゃないですか」
「見回りの時間をずらしたほうが、敵にこちらの行動を読まれにくくはなるね」
「ほらな」
マリオが合理的な角度からゼクの気まぐれを支持したため、ヤーラは不平を満面に表しつつも反論することはできなかった。
「このチビが生意気こいたら何か言ってやれよ。お前の言うことなら聞くみてぇだからよ」
「そう?」
「マリオさんはいつも冷静だし、言うことも理屈が通ってるから……。僕も、そのくらい落ち着いていられたら、って思うんですけど」
少年の吐露の中には、不安定で崩れやすい自分の心を嘆いているような含みがあった。それを受けたマリオもまた、心持ち苦い表情を返す。
「……ぼくなんて、見習わないほうがいいよ。何かあったときに、慌てたり、驚いたり、怒ったり……っていうのが、普通なんだと思う。ぼくは……そういうのが、よくわからないだけなんだ」
「最近やけにショボくれてると思ったら、そんなこと考えてやがったのか。前はへらへら笑ってやがったくせによ」
「笑い方もなんか、忘れちゃったんだよね」
「……お前、頭打ってアホになっちまったのか?」
マリオは「そうかもね」と真面目くさった顔のまま呟いた。冗談のつもりではなさそうだった。
「僕だって別に、普通ってわけじゃないと思いますけどね」
ヤーラは自嘲というよりは謙遜するような調子で切り出した。
「ここに来たばかりの頃、エステルさんのお母さんが、『自分の家みたいに寛いでいい』って言ってくれたじゃないですか。それで僕、ちょっと衝撃を受けたんですよね。自分の家って寛げる場所だったんだ、って。僕の家は……そうでもなかったから」
少年の生い立ちの不幸はゼクもよく知っていたが、同情する気は湧き起こってこなかったし、おそらく彼も望んでいるところではなかった。
自分の家が寛げる場所であるという常識は、ゼクも共有していなかった。人生の大半は牢屋の中で過ごし、その後はほとんど一人で生きてきたからだ。そう思えば、ヤーラに対してはむしろ親近感を覚えた。
「初めて会ったとき、僕なんか変じゃありませんでした?」
「そうだな、やたらチビで軽ぃとは思ったけどよ」
「そういうことじゃなくて……。まあ、ゼクさんってそうですよね」
またしても子供に呆れる親のような目を向けられて、ゼクは少し苛立った。
「僕もレオ先輩とかエステルさんにいろいろと助けてもらって、お陰でここまで来れたと思うんです。だから……これから、変わっていけますよ。きっと」
マリオは少年の言葉を、自分の中にゆっくり浸透させていくように黙って聞いていた。ゼクはこの小さな少年の大人びた、達観したような、それでいて無理のない気楽な物言いに静かに驚いていた。
ゼクはヤーラと初めて会ったときのことを思い出した。当時の仲間たちと飲んでいる席で、レオニードが自慢げに紹介してきたのだ。随分小さい子供だと、全員で首根っこ掴んでかわるがわる持ち上げたりしてからかった覚えがある。
そのときと比べれば、ヤーラは随分変わった。鬱屈したような暗さは消えて、どこか凛々しい顔つきになった。彼ばかりではない。他の仲間も、大なり小なり以前とは雰囲気が違っている。それもみんな、エステルの影響なのだろうか。
自然消滅するように会話が途切れ、3人はそれぞれ自分の関心ごとに意識を向けた。穏やかな静寂。それを打ち破ったのは、雲のように差し込んだ大きな影だった。
3人に覆いかぶさる巨大な石碑のような影に、大樹のような太い尾がどこまでも伸びている。炎のような赤い鱗によろわれた大蛇の魔物、ファイアサーペントだ。
この大蛇は音もなく3人に忍び寄り、不意打ちのように姿を現した。真正面から迎えたゼクはすぐさま戦闘態勢に入れたが、背後をとられたマリオは――彼にはありえないはずのことだが――ほんのわずか、反応が遅れた。
振り返ったときにはすでに、赤蛇のサーベルのような毒牙が眼前に迫っていた。
「マリオさん!!」
ヤーラが叫ぶのと、ゼクが大剣を振るうのは同時だった。鉄板のような刃が大蛇の口に水平に切り込んで、その長い身体を裂きながら突き進み、魚を下ろす要領で真っ二つにしてしまった。
辺りは一瞬にして大雨の直後のような血だまりが広がったが、それは魔物のものだけではなかった。
「! おい……」
地べたに座り込んだマリオの肩から肘あたりにかけて大きな裂傷が走っているのに、ゼクは気づいた。すぐ傍でヤーラが解毒治療を施しているようだが、マリオは苦痛に顔を歪ませ、脂汗を滲ませている。
ファイアサーペントの毒は即死に至るものではないが、触れた部分に焼けつくような痛みを与えるという。毒には耐性があると称していたマリオだが、少なくともまったく影響がないわけではなさそうだった。
「解毒はしましたけど……出血がひどいです。すぐに戻らないと」
「しゃーねぇな、ちょっと我慢しろよ」
ゼクはマリオの長身を片手で担ぎ上げ、森の出口へ足を速めていった。




