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#38 鉄壁の戦士⑦ 誰がための刃

 その夜、ゼクはなぜかエステルの母親と2人きりでテーブルに向かい合っていた。なんということはなく、母親からちょっとした力仕事を頼まれて、その礼として温かい飲み物を出されたのだった。


「ありがとね~! うち、男手がないから困ってたのよ」


 ゼクはカップには手をつけず、黙って次の言葉を待っていた。手伝いなど口実で、本題は別にあるというのはさすがに察しがついていた。温かいミルクがそこまで好きではないというのもある。


「どうだい、うちの子は。迷惑かけてないかい」


「別に……どうってことねぇよ。ポンコツといやぁポンコツだけどな」


「やっぱりかい。あんたや周りの人たちに支えてもらってんだねぇ、感謝しないと。でもね、あの子は昔から不思議と愛嬌だけはあるんだ。村の年寄り連中には小さい頃から可愛がられてさ」


 ゼクの頭に、エステルのあの人懐こい子犬のような笑顔が浮かんだ。この村の陽気な連中にちやほやされる姿はあまりにも似つかわしかった。そんなことを想像しながら、ようやくとカップに手をつける。


「で、あんたあの子に惚れてんのかい?」


「ぶはっ!!」


 噴き出した勢いで白い飛沫が爆散し、テーブルに点々と飛び散った。


「何バカみてぇなこと言ってんだこのババア!!」


「おやおや、元気が出てきたじゃないかい。いやね、あの必死な戦いっぷりを見たら、そんだけうちの子のために頑張ってくれてんのかって思ってね」


「んなわけねぇだろ!」


「じゃあうちの村のために?」


「ちげーよ!」


「だったらあんた、何のためにそんなに頑張って戦ってんだい?」


 その問いはゼクの真正面からぶつかってきて、彼の気勢を完全に殺してしまった。


 自分は誰よりも強くなければならない。敵はすべて自分が殺し、何者にも負けてはならない。そんな考えが彼の奥底にずっと根を張っていた。だが、それが何のためかと問われれば、即座に答えは出てこなかった。


「あんた、うちのエリックに勝つって言ってのけたんだって? 村の奴から聞いたんだけどさ」


 母親は、ゼクの心の内を見透かすような目遣いでその顔を覗き込む。


「親バカで申し訳ないけど……まだうちのエリックのほうに軍配が上がりそうだね」


「何だと……?」


「そう目くじら立てんじゃないよ。そうね、あんたはもう少しうちの子たちを見習ったほうがいいかもねぇ」


 言うだけ言って母親は席を立ち、布巾で軽くテーブルをひと拭きしてから2人分のカップを回収していった。ゼクは何も言い返せないままに、一人で取り残されてしまった。



  ◆



 翌朝ゼクが離れで目を覚ますと、周りには誰もいなくなっていた。ただ寝坊したのである。


 綺麗に折り畳まれた2人分の毛布をよそに起き抜けのまま小屋を出て、母屋で朝食の残りを詰め込むと、父親の墓参りへ出かけようとしていたエステルに出くわした。少し思うところがあり、ゼクは彼女に同行することにした。


 道中すれ違う村人の中には昨日の恐怖を引きずっているらしい者もあったが、エステルはさして気にしていないように平然と挨拶をしていた。


 村の墓地は古びた小さな教会の裏手にあり、その片隅に彼女の父親の墓があった。エステルは墓を念入りに掃除すると、すでに供えられていた花の横に自分の持ってきた白い花を添え、じっと手を合わせた。


「……私なんかが勇者やってて、ゼクさんみたいな仲間がいるって知ったら、お父さんはどう思うかなぁ」


 半ば独り言のように、半ば亡き父に話しかけているように彼女は呟く。


「文句は言わねぇんじゃねーの。お前んちの連中、全員アホみてぇに能天気だからよ」


「あははっ。そうですよね」


 ゼクの粗暴な言葉遣いも、エステルはそれが彼なりの賛辞だとよく理解しているのだろう、心底嬉しそうに笑っている。


「お父さんは魔物のせいで死んでしまって、でも本人は自分のせいだって思ってたみたいですけど……お兄ちゃんはやっぱり、すごく悲しんでたみたいなんですよね。それで、魔族のせいで悲しむ人がいなくなるようにって、勇者になったんです」


「へぇ、あいつらしい」


「そのことをお父さんが知ったとしても、全然反対はしないと思うんですよ。魔族と戦うことだって、誰かがやらなきゃいけないことだし……。それがいつの間にか、世界を救うなんて大げさなことになっちゃって」


「大げさってこたぁねーだろ。あの野郎がクソ強かったのは事実だしよ。魔王ぶっ殺せそうなくらいにな」


 そこでエステルはいったん言葉を止めて、物思わしげな目で墓標を見つめた。


「世界を救う、って何でしょうね」


 それは針のように小さく、鋭い問いだった。


「そりゃあ、お前……魔王をぶちのめすこったろうよ。奴らが人間の世界に攻め込んでメチャクチャやろうとしてやがるんだから、奴らをぶちのめしゃ、この世界は救われたってことになるんじゃねぇのか」


「そうですよね。そうなんですけど……近衛騎士団と戦いになったとき、私、騎士の人たちの命より、スレインさんを選んだんです。本当は善良で罪もない人たちだったかもしれない。でも、彼らが犠牲になったとしても、スレインさんに生きていてほしかった」


「……ありゃ、仕方ねぇだろ。先に喧嘩ふっかけてきたのは向こうだ。やらなきゃあ、こっちがやられてたんだからよ」


「そうかもしれません。だけど……もし私たちが魔王を倒せたとして、私自身は胸を張って『世界を救った』なんて言えないと思うんです。その『世界』に、犠牲にしてしまった人たちは入ってないみたいで……」


 その無力な少女の沈んだ横顔は、英雄たる兄の姿と重なって見えた。力の有無は問題ではなかった。この兄妹は、世界中のすべての人間を本気で救いたいと願っているのだ。ゼクにはそれが、まさしく勇者の資質のように見えた。あの母親の言っていたことが少し理解できたような気がした。


 とりあえず、ゼクは俯き加減になっているエステルの後頭部を軽くぺしっとはたいた。


「いたっ」


「だからって魔族ぶちのめさなくていい理由にはならねぇだろーがよ。それで助かる奴だっているんだからな。お前はいつも通りへらへらしてりゃいいんだ」


「……そう、ですね。すみません」


 ようやく出てきたぎこちない笑顔を一瞥し、ゼクはふんと鼻を鳴らす。お互いにそれ以上は何も語らなかった。


 2人の背後から、ゆったりした足音が近づいてくる。ゼクが振り返ると、カソックに身を包んだ老人がにこやかに笑っていた。


「神父さん」


「やあ、エステル。帰ってきているのは知っていたんだが、タイミングを逸してしまって」


「こちらこそ、挨拶に伺えなくてすみませんでした」


 神父の老人は、よく見知った少女の隣にいる見知らぬ大男をまじまじと眺めた。


「おや、君はエステルが連れてきたという勇者さんかね。わざわざこんな辺ぴな教会に来てくれるなんて、信心深いのだねぇ」


「いや……」


 神なんか信じてねぇよ、などとはさすがに言えなかったゼクは適当に言葉を濁す。

 もし神がいるのなら、祈りが通じるのなら、魔界に連れ去られて牢の中で祈り続けていた彼の母親は救われていたはずだ。そうはならなかった現実から、彼はむしろ神を恨んですらいた。


「私は村長と古い知り合いなのだがね、勇者さんたちが村を守ってくれると聞いて安心しているよ。このところ物騒なようだからねぇ」


「そういえば、村長さんにも挨拶できてないんですよね。ご病気だって聞きましたけど……」


「ちょうどエリック君が向こうへ旅立った頃に体調を崩してね。心労が祟ったのだろう」


「そうなんですか……」


「しかし、君の顔を見れば少しは元気になるかもしれないね。どうだろう、一度会いにいってみては」


「なら、行ってみようかな……。ゼクさんも来ますか?」


「アホ。病人が俺のツラなんか見たらもっと具合悪くなんだろーが」


「そうかなぁ……? じゃあ、先に失礼しますね」


 ゼクはその能天気さに呆れながらエステルの後ろ姿を見送った。神父の老人も一息ついて教会に戻ろうとしたが、ゼクがすかさず呼び止める。


「ジジイ」


「なにかね」


 横暴な口のきき方にも、老人は穏やかな笑みで応じる。


「ここは、村人全員の墓があんのか」


「そうだね。……ああ、君たちはエステルの父君の墓参りに来たのか」


 のんびりと感心している老人に、ゼクはずっと気になっていた疑問をぶつけた。


「なんでエリックの墓はねぇんだ」


 ゆるやかに垂れ下がった白い眉に、少し切なげな影が差した。

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