#38 鉄壁の戦士② 平穏な逃亡
ゆったりと流れる川のせせらぎと、柔らかな風が草原のおもてを撫でる音が耳に心地いい。雲ひとつないどこまでも澄み渡った空を仰いでいると、私たちが今置かれている状況をすっかり忘れてしまいそうになる。
私たち<ゼータ>は近衛騎士団を襲撃した反乱勢力となり、帝都から脱出して逃亡の旅を続けている。追手らしき影は今のところ見えず、ラルカンさんたちと戦った一夜の事件がどう処理されたのかもわからない。
それでも、私はそれほど現状を憂いてはいなかった。根拠はないけれど、みんながいれば何とかなるだろうという、なんとも能天気な信頼があったからだ。
最近は私と誰かもう1人でクエストに行くことが多く、他の仲間は牢の中に閉じ込められてしまっていたので、みんなが牢を出てこうして一緒にいられるのが単純に嬉しかった。それから、久しぶりに故郷に帰れるのが楽しみだという気持ちも。
私たちの行き先について、ゼクさんから魔王の血を引く自分は魔界への扉を開けられるので、このまま魔界に乗り込んではどうかという案が出た。だが、協会かレメクがそれを読んでゲートの前で待ち伏せしている可能性もあるため、却下になった。
こちらが帝都から離れていても、いずれレメクのほうから行動を起こすだろう。私たちは身を隠しながらそれを待つ――そういう方針に落ち着いた。ゼクさんは不満そうだったけれど。
それで今は、私の故郷に向かう馬車の旅の道中、川のそばで昼食の準備をしている。戦いの傷はほとんど癒えたようで、マリオさんもいつも通り見事な料理の手腕を披露し、そのそばにヤーラ君がくっついて甲斐甲斐しく手伝いに励んでいる。
こういうときに自由気ままに過ごすのが常のロゼールさんは珍しく、スレインさんの頼みを受けてコートの補修をしてあげていた。あれはラルカンさんの遺品で、戦いの中でズタズタに斬られてしまったものだ。
ちなみに、同じくボロボロになっていたラルカンさんの剣はヤーラ君が綺麗に修理して、今スレインさんの腰の鞘に収まっている。
「上手いものだな」
「私、あなたの召使いじゃないんだけど」
ぶつくさと文句を言いつつもロゼールさんの手先は勤勉に働き、生地の刀傷がすいすいと塞がっていく。スレインさんは上機嫌でその仕事ぶりを眺めていて、事件のことで尾を引いている様子は微塵もない。
「なんでこんなに働かされなきゃいけないのかしら。私ついこの間、串刺しにされたばっかりなのよ?」
「すまないな。身体が辛かったらやめても構わないぞ」
「……可愛くない。ああ、スレインが可愛くなくなっちゃったわ。前はあんなにからかい甲斐があったのに」
「君のお陰じゃないか。感謝しているよ」
「ほんとに可愛くない」
2人は相変わらず仲がいい。少しだけ、力関係が変わった気がするけれど。
そうこうしているうちに、マリオさんからご飯ができたという報告が上がってきた。食事といっても野草のスープとパンのみという実に簡素なものだったが、マリオさんの手にかかればどんな素材でもその素材の持つ最大値が引き出されるので、非の打ちどころのない仕上がりになるのだった。
「追手の気配はありそうか?」
「いや、全然」
いち早く食事を済ませたスレインさんとマリオさんが話し始める。
「帝都を出てから、敵の気配はほとんどない。向こうも事件の後処理で揉めて、ぼくらに構っている余裕はないのかも」
「トマス殿下などは我々を庇ってくださっているだろうが……レメクが暗躍しているかもしれん。奴は<勇者協会>を滅ぼそうとしているらしいからな」
「協会を?」
剣呑な話が飛び出して、私は思わず聞き返した。
「ああ、協会組織そのものが気に食わんのだそうだ」
「じゃあ、協会の関係者が狙われるなんてことは……」
ヤーラ君が心配そうな目を覗かせる。帝都に残してきたマトリョーナちゃんたちが気になって仕方がないのだろう。
「私の見立てでは、レメクは狙う相手を選ぶほうだと思う。手段を問わないタイプではない。君の心配しているようなことは起こらないさ」
「そう、ですよね……」
スレインさんが安心させようとしてくれたものの、ヤーラ君の目からは完全に不安が去ったわけではなさそうだ。親指の爪を口元に持っていきかけていたが、はっと気づいて手を下ろしていた。
「まあ……いざ敵が動いたら、そのときに倒しに行けばいいだけのことだ。今から思い煩うことはあるまい」
「あら、どこかのバーサーカーみたいなこと言うのね。といっても、今日はずいぶん大人しいみたいだけど」
ロゼールさんが皮肉っぽく流し目を送った先には、黙々と口に食事を詰め込んでいたゼクさんがいる。
「……あ?」
いつもは鯨が魚群を飲み込むかのごとく食事を豪快に掻っ込んで手早く済ませてしまうゼクさんだが、今日は一向にお皿の中のものが減らない。常に携帯している大きなタバスコも今日は使っていないようだ。
帝都を出てからずっとそうだった。何か心に引っ掛かっていることがあるのか、あまり私たちとも口を利かずにじっと考え事をしていることが多くなった。
「どうかしたんですか?」
思い切ってそう尋ねてはみたものの、反応はあまり芳しくなかった。
「なんでもねぇよ」
なんでもないはずはないのに、険しい横顔がこちらを拒んでいるような気がして、それ以上何も聞けなくなってしまう。それきり言葉は途切れてしまって、川のせせらぎの音だけが静かに流れ込んできた。
◇
それから何日も馬車に揺られる日々が続いた。途中で何度か町や村に立ち寄って食料なんかを補給したり、悪天候に見舞われて廃村に避難したりしながらも旅はそれなりに順調だった。
心配していた追手も魔族の刺客も、姿はおろか気配すら見せることはなかった。無関係な魔物や盗賊に襲われたこともあったが、みんなが一瞬で返り討ちにしてくれたのでそれほど問題にはならなかった。
そして、とうとう私にとって懐かしい風景が目に飛び込んできた。
帝都みたいな華やかな街並みとは対極をなしているような、地味で、平凡で、のんびりとした田舎の村。目を楽しませるようなものは何一つないけれど、私にとっては愛着の深い場所だ。
村のそばまで馬車が接近すると、もうすでに村の人たちが何事かと集まってきた。ふだんめったに外から人が訪れることがないので、たまの来客があると村中の人々がこぞって出てくるのだ。
突然現れた馬車と馬を御している白いコートのイケメンに騒然としている声がさっそく聞こえてきたので、私はその声のほうに顔を出した。
「……おお、エステルちゃんじゃねぇか!?」
その言葉を皮切りに、一気に村人たちが歓迎ムードになった。
「あら~、久しぶりね! 元気だった?」
「どうしたんだい、急に帰ってきて」
「まあまあ、長旅で疲れてるでしょうから……」
声をかけてくれる人も、遠巻きに見ている人も、全員顔も名前もわかる人たちだ。ここに帰ってきたんだ、という実感が膨らんでいく。
続いて仲間たちが馬車から下りてくると、村の人たちは珍しい宝石でも見るような眼差しを一斉に彼らに注いだ。
「あの……私の、仲間です。勇者の」
私が簡単に紹介すると、そこで村の人たちの好奇心が一気に跳ね上がったらしい。
「勇者!? エステルちゃんに、勇者様の仲間が!」
「確かになんだか強そうだわ……」
「勇者様がいらっしゃるなんて、エリック君以来だねぇ」
好奇の目に晒された仲間たちが戸惑ったり戸惑っていなかったりしている間、この騒ぎは私が一番会いたかった人をとうとう呼び寄せるに至ったようだ。
その人は人だかりの中をかき分けて現れ、真っ先に私に目を留めた。
「お母さん……」
嬉しさやら懐かしさやらいろいろな感慨が一気にこみ上げてくる。昔と変わらない丸い顔に、少し増えた眼尻の皺を深くして、私の顔をじっと見据えて――
「あんた!! 帰るときは手紙のひとつでも寄越しなさいって言ったでしょ!!」
開口一番、衰えを感じさせない大きな雷を打ち込んできた。




