#37 不死身の騎士⑫ 栄誉ある死
団長の帰還を気を揉みながら待っていたルアン以下近衛騎士たちは、皆一様に絶句していた。妹を奪還したラルカンがここに戻って来次第、<ゼータ>の残党を始末する手筈であった。彼の白いロングコートのはためきが夜闇の中に浮かんだとき、ルアンは思わず大声で名を呼んだ。
しかし、現れたのがラルカン・リードではないと認識した瞬間、その場にいた全員が言葉を失った。
彼の身につけていたコートは刀傷で穴だらけになっており、中央部の大きな切れ目に沿ってどす黒い血の跡が広がっている。明らかに、今それを着ている人間の血ではなかった。
返り血に染まった顔も、人を食ったような薄笑いの表情も、まるでそっくりだった。兜を被れば本当に見分けがつかなくなるだろうが、夜風にたなびく黒い髪がかろうじて兄との差異を示している。
「スレイン……ラルカン殿はどうした」
「兄上は実にご立派な最期を遂げられた。貴殿も兄上に殉じなければならぬ」
ルアンは後頭部を殴りつけられたような衝撃を二度も味わった。
「なんっ……何を、言っているのだ、貴様は……」
「今、兄上の魂は私とともにある。私を兄上だと思え。そして、私に斬られることを光栄に思え」
「き……貴様ァ!!」
単純で忠義に厚い男はすべてを了解し、瞬時に沸き上がった血の熱に任せて抜刀する。対するスレインは傷だらけの兄の剣を抜いた。
先手必勝とばかりに、ルアンは迷いなく大きく一歩踏み込んで距離を詰め、素早く突きを繰り出した。
模擬戦のときに大まかな実力は掴んでいる。この速度と力ならば咄嗟にかわすのは難しく、剣で防いでも刃は無事では済まない。
だが――直後に彼が見たものは、綺麗に切断されて地面に転がり落ちる自分の両腕だった。
「は……?」
排水パイプから水が溢れ出すかのような出血がびしゃびしゃと街路を汚す。いつ刃を振るったのかわからないスレインは、ルアンの真横で悠々と血振りをする。
「近衛騎士団を軽々と葬った悪の手先に、団長は見事互角に渡り合う……敗れはすれども、その雄姿を人々は胸に刻むというわけだ……」
スレインは舞台を演出する劇作家のように、恍惚とこれからのシナリオを呟く。
「だから、お前たちはなるべくあっさりと殺されてくれ。ラルカン団長の名誉のために死ねるのなら、この上ない幸福だろう?」
「ぐっ……。気でも触れたのか、貴様!!」
「騎士と名乗る人種で、気の触れていない者などいない。そうだろ、ルアン?」
その口調も仕草も、本当にラルカン・リードの魂が乗り移ったかのように感じられて、ルアンは戦慄した。
「……おい!」
恐怖を振り切って、ルアンは近衛騎士の一人に目配せする。すると奥から、大きな荷物のようなものを抱えた騎士が出てくる。
それは荷物などではなく、縛られてぐったりとしているロゼールだった。
「そこまでだ! これ以上馬鹿な真似をすれば、あの女の命はない!」
ひどく血を失って元々の色白をさらに蒼白くしているロゼールの顔を見つめ、スレインは怒るでもなく、嘲るように笑った。
「ははは! なるほど、面白い」
くるりと踵を直角に回し、ロゼールに剣を向けている騎士に向かって堂々と大股で歩き出す。真正面から来られると思っていなかったのだろう、騎士は見せつけるように剣先をロゼールにあてがうが、スレインは構わず突き進んでくる。
「どうした? 殺すんじゃないのか」
「くっ……!」
人質が無駄だとわかるやいなや、騎士はロゼールの身体を乱暴に放り、スレインに斬りかかろうとする。まもなく、彼の首だけが鮮血を纏いながら宙に舞い上がった。
首が落ちるのを合図に、他の騎士たちが一斉に団長の仇に襲いかかった。蜂のように密集する金属で覆われた武人たちの合間を、スレインの剣が風のようにすり抜けていけば、たちまち血飛沫と叫喚のほとばしる地獄が顕現する。
一人、また一人と騎士が血の海に沈んでいく最中、スレインは傷のひとつも負うことなく、快楽殺人者のように刃物を振り回している。
次第に恐怖がまさり始めた騎士の何人かはたまらずその場から逃げ出したが、スレインは彼らを追うことはしなかった。
とうとう近衛騎士で残った者は、ルアンを除けばたった一人になっていた。残った若い騎士は剣を鞘に納めたまま、片膝を立ててロゼールの身体を支えていた。仲間を殺戮した敵を見上げる瞳にはいくらか恐怖もまじっていたが、底のほうに湛えられた勇気が全身を支えているかのようだった。
「君は――」
スレインはこの若い騎士を覚えていた。近衛騎士団の練兵場でラルカンに怒鳴りつけられていた少年だった。縛られたまま放り出されそうになったロゼールを、たまたま傍にいた彼が受け止め、乱戦の中もずっと彼女を守っていたのだ。
「何をしている!! その女を盾にしろ!!」
ルアンの怒声が響く中、2人はお互いの視線を外さずに静止していた。やがてスレインのほうがふっと表情を緩め、彼に微笑みかけた。
「ありがとう」
その背後から、痺れを切らしたルアンが猪のように突進してきていた。スレインは一瞥もくれずにひらりと身を翻し、剣の一突きでもって迎え入れる。ルアンは突進の勢いを殺しきれず、自ら鋭利な刃先に飛び込む形となった。
「ぐ……ご……っ」
「不意打ちしか芸がないのか? あの世で兄上に鍛え直してもらうといい」
ルアンの厚みのある胸を貫いた剣を、スレインは無遠慮に思い切り引き抜く。飛び溢れた血液が白のコートをますます汚し、牛の模様のようにしていた。
本当に最後の一人になってしまった若き騎士は、副団長が無残に葬られるのを見届けてなおそこにいた。返り血に塗れたスレインが近づいても、先ほどのような恐怖心はもう見せなかった。
スレインは歩きながら剣を納めると、彼の手前で膝をつき、ロゼールの様子を確かめた。病人のような顔色で呼吸の気配もかすかだが、薄れた瞳は確かに仲間のことを認識している。吐血の痕の残る口元に、ヤーラから貰ったポーションを注いでやる。その間に少年は縄を解いてくれていた。
「……傷口を凍らせて止血していたのか。さすがだな」
ロゼールの身を預かって無事を確認し、傷口を縛り直して処置を済ませると、スレインは少年のほうに目を転じた。
「君は早く逃げるといい。近衛騎士はまだ残っている」
少年はやや緊張した面持ちでスレインを見つめ返す。
「……殺さないのですか」
「殺されると思っていながらここに残ったのか? 天晴れな根性だな。君は私や他の連中とは違う。特定の誰かのためではなく、正しいことのために剣を執れる人間だ。ここで死ぬべきじゃない」
「……」
少年はしばし思案していたが、大人しくスレインの言を受け入れることに決めたのか、丁寧な一礼だけを残して駆け去った。夜が明ければ、彼は事件の聴取を受けるだろう。そして彼は、誰に忖度するでもなく、自分の正義に従って証言するだろう。
「……とても美しい偽善だったわね、騎士団長様」
「少しは元気になったようだな、ロゼール」
彼女は相変わらず全身を気怠そうにスレインに委ねているが、表情にはいつもの皮肉っぽい笑みが戻っている。
「似合ってるわよ、その恰好。悪党が板についてる」
「く、はははっ!」
スレインは愉快そうに笑うと、突然鈍く黒光りする眼だけをギロリと睨み下ろして、挑むような顔つきに変貌した。
「お前がこうなるように仕組んだんだろう? 私に選択を迫り、葛藤させ、兄上を殺す道に少しずつ引きずりこんだ。私の理性に少しずつヒビを入れて、ぶち壊したんだ。どうだ、楽しかったか? 私で遊ぶのは」
降りかかる怒涛の恨み言を、ロゼールは真面目な顔つきで聞いていた。浴びせられた一言一言を嚙みしめるように目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。それから瞼を薄く開けて、澄んだ光を湛えた碧眼を覗かせる。
「あなたに……死んでほしく、なかったのよ」
ごく短い弁解を置いて、思い出したようにぶり返してきた傷の痛みに眉を歪める。一方のスレインはあっさりと険相を解き、慈しむように笑った。
「そうだな。……そうだろうな。君のお陰で私は生きている。本当に、ありがとう」
本心から礼を述べると、腕の中にもたれている彼女の額にそっと口づけをした。




