#36 露に濡れる薔薇⑫ 花飾り
店長さんのサプライズとも言うべき、ロゼールさんが敬愛していた奥方の絵は、歴代当主たちの肖像画の飾られている部屋に置かれることとなった。さっそく使用人の何人かがわいわいと絵の飾る場所や見せ方なんかを話し合っている。新居の家具を選ぶ仲睦まじい家族のように。
最終的に奥方の居場所はその夫――5代前の当主の肖像画の向かいになるところに決まった。久しぶりに愛する妻の姿を見られた旦那様は、どこか嬉しそうに見えた。もちろん、そんな2人を眺めているロゼールさんも。
「ロゼールさん、お屋敷に戻ってきてくれないんですか?」
若い女の子の使用人がねだるようにロゼールさんに話しかけたのを皮切りに、その場にいた使用人たちが群がってきた。
「そうですよ! 今いろいろ大変だし、ロゼールさんがいてくれたら助かります!」
「ルネ様だって、ロゼールさんがいなくて寂しがっておられますよ」
飾られた絵を仰ぎ見ていたルネさんは自分の名前に反応してぱっと振り向き、ロゼールさんと目が合うやいなや少し顔を赤らめて視線を戻した。
「……そうね。気持ちは嬉しいんだけど」
困ったように眉尻を下げながら微笑むロゼールさんが、私のほうを一瞥する。
「私にはまだ、やることがあるから」
その返答を聞いた使用人たちは「えー」と不満を漏らしていたが、すぐに仕方のないことだと納得し合っていた。ルネさんも残念そうに肩を落としていたけれど、その気持ちを飲み込もうとするみたいに表情を引き締めていた。
私たちが帰る段になっても、使用人さんたちがわらわらと名残惜しそうについてきて、ルネさんの付き人の女性が一喝して追い払うはめになっていた。彼女の吊り気味の目つきの上で眉間の皺が深くなる。
「ロゼール、いつからあなたはあんなに若い子に慕われるような人間になったのかしら?」
この人は昔はオリーヴの世話係をしていたのだが、厳しい態度が不評で一度解雇させられたのを呼び戻したのだと、さっきロゼールさんから聞いていた。2人はそのときから面識があったというが、彼女はその話の間、あまり面白くなさそうな顔をしていた気がする。
「あら、何か問題でも?」
「問題というわけではないけれど。料理長も別人みたいだって驚いていたわよ」
「あのタヌキに言われたくないわねぇ」
「そうですねぇ。僕が聞いていた<勇者協会>での君の話とはだいぶイメージが違いました」
店長さんがその疑問に乗っかると、ロゼールさんはすかさず横目でじろりと睨む。ルネさんは無垢な顔で不思議そうに2人を見上げていた。私も彼と同じ立場だろうとわかったので、肩を持つ意図もこめて断言した。
「ロゼールさんは、ずーっといい人ですよ」
その場にいた人たちの、呆気にとられたような顔が私のほうに集まってくる。別に変なことを言ったつもりはなくて、本心を口にしただけだ。
「……わ……私も、そう思う」
やや間があった後、細い煙みたいな声がぽつりと立ちのぼって、みんなの顔がそちらに移る。ルネさんが気まずそうに伏せた目をそらしていて、ロゼールさんがクスッと頬を緩める。
「私、本当はルネ様が思っていらっしゃるような女ではありませんのよ」
「そんなこと、ない」
彼にしては素早い切り返しだ。ロゼールさんは反論することもなく、かわりに少年の薄い両手を大事そうに包み込んだ。
「また来ます。必ず、会いに来ますから」
「うん。……待ってるね」
約束を交わす2人の姿は、澄明な水のようにまじりけのない美しさで満ち溢れているように見えた。
ロゼールさんは――いろいろなパーティで人間関係を瓦解させて「パーティ殺し」なんて呼ばれて、誰かを怒らせては楽しんで、約束の時間にも平気で遅れてくる、そんなふうに見られる人だ。
でもこのお屋敷ではたぶん、みんなが仲良くなるように取り計らって、部屋にこもりきりだったルネさんを救い出して、仕事も真面目にやっていたのだろう。だから、多くの使用人から慕われているのだ。ここに戻るという約束も、必ず果たしに来るはずだ。
付き人さんは「別人みたいだ」って言っていたけれど、私はそうは思わなかった。どちらのロゼールさんもちゃんとロゼールさんで、私の大好きなロゼールさんだから。
◇
屋敷を出て町のほうへ戻ると、ちょうど私たちを送ってくれる馬車が到着していた。店長さんが口利きして、早めに手配してくれたらしい。
「店長さんも、いろいろありがとうございました」
私のお礼の言葉を、店長さんは何でもないことのようにさらりと受けた。
「僕が君たちに依頼をして、君たちがそれを果たし、僕が報酬を払った。それだけですよ。礼を言われるほどのことではありません」
「そうよ。こんな人に下げる頭がもったいないわ」
ロゼールさんは、相変わらず店長さんに対してはつっけんどんだ。
「一応、君が一番喜びそうな品を手間をかけて用意したんですがね」
「ええ、あの絵は本当に素晴らしいものでしたよ。だから嫌なんです」
「……いつからこんなにひねくれた子に育ってしまったんでしょう。今の君をあの奥方が見たらなんて言いますかね?」
「うっさいわね、ばーか」
奥様もたぶん、こんな子供みたいな振る舞いをするロゼールさんに吹き出してしまうんじゃないだろうか。今の私みたいに。
店長さんは苦笑しながら私のほうに寄ってきて、内緒話をするときみたいに手を口元に添える。
「彼女のこと、頼みましたよ。あれで結構寂しがり屋なんです」
それは平素の本心の読みにくい笑顔ではなくて、子供を慈しむ親のような顔だった。
「任せてください」
私が頷くと、店長さんは満足したらしく――くるりと背を向けて軽く手を振り、町のほうに消えて行ってしまった。あまりにもあっけない別れだった。ロゼールさんは虫でも追い払うようにしっしと手を払っていたが、最後まで店長さんの背を横目で見送っていた。
馬車の中は、屋敷での賑やかさが恋しくなるほど静まりかえっていた。ロゼールさんは打って変わって寡黙になったかわりに、目だけはじっと私を捕縛している。その視線と沈黙に、私は長くは耐えられなかった。
「……あの……何か?」
「エステルちゃんは可愛いなぁって思って」
「はへ?」
急に顔に熱が上って紅潮する私を前に、ロゼールさんは無邪気にくつくつと肩を揺すっている。
「今回はね、あなたの真似をしたの」
「私の真似?」
「そう、お屋敷にいたときね。味方を増やさなきゃいけなかったから。仕事は一生懸命やって、困ってそうな人のお手伝いをして、人の話を親身になって聞いて……そんなようなことをしていたら、自然とみんな慕ってくれたの。完璧に真似するのは私じゃ無理だったけれど」
「いや、そんな……ロゼールさんの人徳ですよ」
「いいえ。前の私だったら絶対そんなことしなかったもの。だからね、あなたのお陰なのよ」
柔らかい指が私の髪をゆっくりと滑り降りて、ちょっとくすぐったい。
真似だなんて言っているけれど、ルネさんも屋敷の使用人たちも、ロゼールさんの繕った上辺ではなくて、ロゼールさんという人間そのものを好いているように思えた。
「私は別に、変わったことをしてるつもりはないですけど……ロゼールさんのお役に立てたなら、嬉しいです」
そこで私の両肩にロゼールさんの腕がするりと絡みついてきて、柔らかい頬が私の頬にぴたりとくっついた。
「も~~、エステルちゃん大好き」
「私も大好きですよ」
ロゼールさんの顔はそのまま私の胸のほうにすとんと落ちて、目の前に見えるのは彼女のつややかな金髪ばかりになった。じんわりと伝ってくる体温が心地いい。やがて、か細い声が漏れてくる。
「……エステルちゃんは、どこにも行かないでね。いなくなったりしたら、嫌よ」
「もちろんですよ」
「置いて行かないでね。一人に、しないでね」
「ええ。ずっと一緒ですよ」
「……そのまま健康に長生きしてあと100年くらい生きて、幸せな人生を送ってね」
「ど……努力します」
子供みたいにお願いを連ねるロゼールさんの表情は見えないが、私は全部真剣な気持ちで受け止めた。今度は私がその金色の小波みたいな髪を撫でてみる。花飾りなんかが似合いそうだな、なんて思いながら。




