#34 雪原のアルケミスト① 北方の雪国
「試練を与える」とレメクが宣告してから、そう遠くないうちにその日はやってきた。
私は再び本部に呼び出されて、デスクを挟んでメレディスさんと向かい合っている。前のことがあってからちょっと気まずいような気もしていたけれど、彼の態度は至極あっさりとしたものだった。
すぐ目の前には1枚の紙。それについて淡々と並べられる説明を聞いていた。
「北方の街の研究者が魔族と繋がっている可能性があり、これを調査する。要はそれだけです。ご理解いただけましたか?」
「ええ、まあ……」
いつの間にか申請されたことになっていた、覚えのないクエスト。その概要は私でも理解できるほどシンプルで、情報の少なさがかえって不気味だった。同行者の欄に書かれた名前も、私の不安を助長した。
「あの……一緒に来られるのって、1人だけなんですよね。もう1人増やすとか、できませんか?」
「できません」
きっぱりと否定されては取りつく島もない。口ごもってしまった私に、メレディスさんは眼鏡を押し上げながら付け加えた。
「人数の増員はできませんが、メンバーの変更なら可能です。クエスト自体のキャンセルも今なら受け付けできます」
せっかくの申し出だけど、きっとそれは無理なのだろう。レメクは<ゼータ>の一人ひとりに合わせたクエストを用意すると言っていた。引き受けなければ現場の人々に危害を加えるという脅迫も添えて。
「いえ、このままで」
「よろしいのですか?」
「はい」
「……では、変更はなしということで」
メレディスさんは始終事務的な態度で手続きを済ませ、必要書類をまとめて整頓する。私は改めて、同行者として選ばれた少年の名前を一瞥した。
私はその足で仲間たちのいる牢屋に向かい、メレディスさんから聞いたことをそのまま話した。すでにレメクからの予告を受けていたからか、さして動じている様子は見られなかった。
ただ、指名を受けたヤーラ君だけは、じっとクエストの詳細が書かれた紙を凝視していた。
クエストに同行できるのは1人だけ。つまり、私とヤーラ君だけで行かなければならない。戦う手段もろくに持っていない2人で。
「レメクの指定するクエストは、決して達成不可能なものではないと言っていたな」
スレインさんが横目でヤーラ君をうかがいながら独り言の体で呟く。
「レメク君は任意の人間を操って、自分の力を使わせることもできるんでしょ? まずは敵の情報が欲しいよね」
「このチビでぶち殺せる相手なら、ザコに決まってる」
マリオさんの指摘に、ゼクさんが自分ならひとひねりだと言わんばかりに豪語する。
「調査対象の研究者っていうのは、どんな人なんだい?」
「プロコーピー・ブラヴィノフ。高名な錬金術師です」
何か複雑な感情を秘めた瞳をその文字に留めたまま、ヤーラ君が名前を告げた。
「知ってるのかい?」
「……ホムンクルス研究の権威で、僕の父が師事していた方です」
その事実を聞いた瞬間、レメクの言っていた「試練」という言葉に、もっと大きな意図が内包されていたことを悟った。この「試練」は、単に敵と戦って勝てばいいというだけではないのだ。
「だったら、なおさら楽勝だぜ」
ゼクさんが、さっきよりも自信満々に断言する。
「えらい研究者ってのは、だいたいジジイだろ。ジジイなら弱ぇ!」
浮上しかけていた気持ちがずり落ちた。がははと笑うゼクさんに、ロゼールさんは嫌味すら言わず、ただかわいそうなものを見る目を送っている。
「いいかチビ、ジジイのヨボヨボの腰を棒っ切れでバコンと」
「前に操られていた番兵の人は、額に痣みたいなのがあったよね。それがある人は、レメク君の力が使えるってことだと思う。まずはそこをチェックしたほうがいいね」
ゼクさんの斜め上アドバイスをぶった切って、マリオさんが有益な助言をくれる。
「相手が戦闘に慣れた者ではないというのが幸いだな。レメクの力とやらも、ヤーラなら無効化できるかもしれない」
スレインさんもヤーラ君の不安を少しでも取り除こうとしてくれている。
「じゃあ、私からもアドバイスしてあげようかしら」
いたずらっぽく便乗したロゼールさんが、その目をかすかに細めた。光の薄れた瞳が、深海の色に変わっていく。
「全部、あなたの思っている通りになるわ。後はそれをするだけ」
肩をすぼめて俯いていたヤーラ君が、目だけを大きく見開いた。気まぐれなロゼールさんは満足した様子で、牢屋の奥にすとんと腰を掛けた。
「ヤーラ君、行けそう?」
返事はだいたいわかっていたけれど、確認のつもりで声をかける。彼はおずおずと、それでも勇気を振り絞るように頷いた。
「大丈夫です」
◇
ずずずっ、と雪に沈んでいく長靴をどうにか引き上げては、また沈めるの繰り返し。雪に覆われた北方の道なき道を、私は苦心しながら進んでいた。前に雪山に行ったことはあったし、それなりの準備をしてきたつもりだけど、雪と寒さにはいまだに慣れなかった。
一方で北国出身のヤーラ君は雪の上をなんともないようにひょいひょい歩いていって、たびたび振り返っては亀のように遅い私を待ってくれている。
途中までは、協会が手配してくれた馬車で難なく移動できたのだけど……雪が深くなったところでそれ以上進めなくなり、仕方なく馬車を降りて徒歩で行くしかなくなってしまった。
協会から監視体制を敷かれているわりに、クエストのときはほったらかしのようで、今は私とヤーラ君の2人しかいない。いつもの人数を思うと、少し寂しい。
「大丈夫ですか?」
「あっ……うん、平気」
「滑らないように気をつけてくださいね」
私がぼーっとしていたので気を遣わせてしまったみたい。ヤーラ君の声は落ち着いていたけれど、その瞳の奥には暗然とした何かが居座っているように見えた。
苦労に苦労を重ねて歩き続けた末、薄暗い灰とその底に広がる白の世界にぽつぽつと街の灯りが浮かんできて、ようやく目的地に辿り着いたという実感が喜びとともにこみ上げてきた。
私は溜まりに溜まった疲労を長いため息とともに吐き出して、すぐに気を取り直す。ここはゴールではなく、これから始まる「試練」のスタート地点に過ぎないのだ。
錬金術師プロコーピー・ブラヴィノフ。今までの話から考えれば、彼はおそらくレメクと繋がりを持っている。そんな人間が潜む、遥か北方にあるこの小さな街は――意外にも、平穏で静かなところだった。
家の前で雪かきをしている家族。雪合戦で遊んでいる子供たち。大きな鹿にソリを引かせている老人。周りにはのどかな田舎町の風景が広がっている。
「とりあえず、宿を探しましょうか」
「そうだね」
ヤーラ君の提案に従って泊まるところを探しに歩き出す。北国の太陽は弱々しく、歩いてからそう時間の経たないうちに姿を消した。辺りはすっかり暗くなって、民家から漏れる明かりが温かな色彩を道の上に投げかけている。夕食の時間だろうか、遊んでいた子供たちの姿も見えなくなった。
だからか、道の真ん中でたった一人で佇んでいる少女の姿は、私には異様なものに映った。
見たところ、10歳前後だろうか。長い髪をつむじに近い辺りで結わえた、少し寒そうな格好の女の子。背を向けているので顔つきはわからず、その立ち姿からも何の感情もうかがえない。
周りには大人の姿も、他の子供の気配もない。なのに、その少女は誰かを探す素振りもなく、誰かを待っている様子でもなく、そこに生えている植物みたいにじっと立っている。
「……どうしたの?」
私はなるべく脅かさないように声をかけてみた。少女は何も聞こえていないみたいに、ぴくりとも動かない。
「ねぇ……」
近づこうとしたところでようやく少女がちらりと振り向いて――私は戦慄した。
切り揃えられた前髪が被さったその眼は、死人のように無機質で、作り物のように不気味だった。
私が息を呑んで静止したわずかな間に、少女はこちらに興味をなくしたのか、再び背を向けて宵闇の中へ消えてしまった。




