#32 魔人の大鍋⑤ 孤立無援
奇襲を受けたミカルが身構える前に、クルトさんは剣の届く位置まで肉薄していた。2、3度攻撃の応酬を挟んで、クルトさんがひょいっと飛びのくと、脇から炎魔法の弾丸が群れを成してミカルに突っ込んでいく。
「あっつ!」
数発の炎を食らったミカルだが、皮膚が少し焦げた程度の威力で、そこまでダメージはなさそうだった。それがただの陽動だと知るのは、魔人の足元に潜り込んだ小さな影に気づいたときだ。
鞭のようなしなやかな足払いが、ミカルの脛の辺りをしたたかに打ちつける。短い悲鳴を上げてよろけたところに、必殺の雷撃が放たれた。
閃光は地面を焦がし穿つも、間一髪ミカルは身を捩ってそこから逃れている。
「強いね~。3対1なのに」
「ぼーっとしてると、あの変な魔術飛んでくるですよ!」
「ど、ど、どうしますか、スターシャさぁん!!」
クルトさん、リナちゃん、タバサちゃん。戦闘員3人を率いているスターシャさんは、いつの間にか私たちの傍に来ていて、堂々たる立ち姿で指示を飛ばした。
「炎魔術で動きを止めて、隙を見計らってクルトとリナが切り込む。これの繰り返しです。とにかく反撃する暇を与えないように!」
『了解!』
3人は一斉に飛び出し、ミカルを包囲する。その間にスターシャさんが、さっきまで敵に翻弄されていた私たちの様子を確認した。
「こちらに駆けつけて正解だったようね」
彼女はさっそく背中を負傷したレオニードさんのもとに屈んで、治癒魔術を施し始める。
「スターシャさんたちは、どうしてここに? ダリアたちのほうに向かってたはずじゃ……」
「ええ、ダリアとセトがいるという部屋の前まで行ったわ。けれど、その部屋もこの影のような魔術で封じられていて……。クルトとタバサが魔術で払おうとしたのだけど、傷ひとつつかなかったの」
「そんな」
そういえば、この黒い影はスレインさんの剣も効かなかった。一切の攻撃を通さない仕組みになっているのかもしれない。
「だから、その部屋の封印を解くには――錬金術師、ヤロスラーフ・イロフスキー。彼の力が必要だと判断したのだけど……」
スターシャさんの深い紺の瞳が、名を呼んだ少年のほうに寄る。その目線の先を追って、私は戦慄した。
血色を失った顔で、焦点の合わない目つきで、何かに取り憑かれたように爪を噛み続けるヤーラ君。親指の爪はすでに赤い亀裂が走り、血の雫が滴っている。
「ヤーラ君……」
非常にまずい状態だった。もう、暴走する一歩手前くらいに見える。
「レオニード・コスィフは無事です。命に別状はありません。ヘルミーナに任せれば、すぐに回復するはずよ」
スターシャさんが淡々と説明するが、ヤーラ君は何も聞こえていないみたいに爪を噛むのをやめなかった。
「……ここは我々に任せて、あなたたちは一度退避してください」
「わかりました」
レイも敵の魔術からは解放されたようなので、<エデンズ・ナイト>の2人にレオニードさんたちを任せて、私は足取りも覚束ないヤーラ君を支えながらこの場から離れることにした。
◇
私たちは一度トマスさんたちのいる本陣に引き返し、レオニードさんたちを保護してもらって、軽く状況報告を済ませた。ヘルミーナさんはまだロキさんの偵察に同行しているようだったが、他のヒーラーも残っていたので当面は大丈夫そうだ。
それから私はヤーラ君を連れ出して、どこか人のいないところで休ませてあげることにした。さっきよりも顔色の悪さが増していて、抱えた頭からひどい汗を流している。
「大丈夫だよ。レオニードさんは無事だから……ヤーラ君のせいじゃ、ないからね」
「……」
虚空を見つめたまま震える瞳は、一度もこちらに向けられることはなかった。荒く弾む呼吸の音だけが、真っ黒な空間の中でいやに耳についた。
落ち着かないまま上下する細い肩を、私はそっと撫でる。浮き出た骨の感触が指先から伝ってきて、今にも潰れてしまいそうなほど弱々しかった。
「…………無理、です」
ようやく絞り出された声に、私は神経を集中させる。
「僕には、何も……何も、できません」
そんなことはない。そう思っても、軽率に否定してはいけない気がして、黙っていた。嗚咽に近い吐息を挟んで、ヤーラ君は続ける。
「……この状況を……一番、どうにかできるのは、僕……だと、思うんです」
「うん」
「みんなを解放して、力を取り戻させて。そんなことも、できるかもしれない……けど。どうやればいいかなんて、わからない。あの、わけのわからない錬金術を使ったのは……僕じゃ、ない」
確かにヤーラ君は、底の知れない能力を秘めている。でも、それを発揮してきたのは、本人の意志ではない。望んでその力を使ったわけでもない。
「また……エステルさんや、先輩たちを巻き込んだらと思うと……怖い。怖い、です。だから、僕は、何も……できない」
最後はほとんど消えるように、ヤーラ君は悲痛な想いを吐き出した。
「……ごめんね」
謝ることしかできなかった。こんな小さな少年に重荷を背負わせてしまったことに。何もできないのは、たぶん私のほうだ。
ヤーラ君はいつの間にか、虚脱したようにぼんやりと床を眺めている。灰に濁りかけているその瞳に、何か嫌な予感がよぎった。
「……お腹がすきました」
独り言のようにぽつりと虚空に落とされた言葉。少年はにわかに立ち上がって、ふらふらと数歩ほど進んでいく。どこか、知らない世界に連れていかれてしまうみたいに。
暗がりの中で立ち止まると、丸まった背中が漆黒に映える。その、向こうに。
大きな、不定形に波打つ何かが、小柄な少年を見下ろす格好で闇に浮かび上がった。
「ヤーラ君!!」
ホムンクルスだ。そう察した瞬間、反射的に叫んでいた。意外にも、ヤーラ君は私の呼びかけに反応した。
「え?」
それはほとんど素の声だった。ヤーラ君は顔を上げて、ホムンクルスの巨体をまじまじと見上げている。
「……何、これ」
今のヤーラ君は、間違いなく正気のままだ。なのにホムンクルスは消えることなくそこにいて、自らの創造主と対峙している。妙な話だけれど、ヤーラ君にとってはこれが初対面ということになる。
「これが、僕の……ホムンクルス、ですか?」
私は頷いて肯定することしかできない。今までは正気をなくしたヤーラ君に付き従っていたホムンクルスだけど、この場合はどうなってしまうんだろう。
ヤーラ君も明らかに困惑していて、その奇妙な生命体を茫然と見上げている。ごくり、と唾を飲み込む音。
「……気持ち悪い」
不意にこぼれる嫌悪感。それが聞こえたかのように、ホムンクルスがぐにゃりとうごめいて、その太い腕を振りかざした。
「ヤーラ君ッ!!」
さっきよりも大きな声を上げた。はっと危険を察知したヤーラ君はその細い腕で頭部を庇ったが、ホムンクルスの怪力にはとうてい太刀打ちできず、思い切り叩きつけられて壁際に吹っ飛ばされてしまった。
私は一瞬呼吸を忘れた。あの華奢な少年が、ホムンクルスの一撃をまともに受けてしまったこと。そして――ホムンクルスが、創造主であるヤーラ君に牙を剥いたこと。その2つの事実に、喉をしめつけられるような恐ろしさがこみ上げてくる。
ホムンクルスの挙動に注意しながら、壁際でうずくまっているヤーラ君の傍に寄る。
「だ……大丈夫?」
「っ……」
大きな傷は見えないが、返事もできないほど痛みが激しいようで、丸めた背中を震わせて悶えている。私は急いでヤーラ君の鞄からポーションを取り出し、口に含ませた。
しばらくすると痛みも治まったのか、ヤーラ君の呼吸も落ち着いてきた。その間ずっとホムンクルスは置物みたいにそこにたたずんでいた。
「あれは――どう、すればいいんですか……?」
震える声でそう尋ねられて、私は答えに窮する。
――わからない。いつもヤーラ君が正気に戻るタイミングで自然と消えていたから、わからないと言うほかない。
私の沈黙で、ヤーラ君は察してしまったらしい。その顔が恐怖に侵食されていくのが、手に取るようにわかる。
ずるり、と引きずるような音が追い打ちをかける。あのホムンクルスは私たちに興味をなくしてしまったのか、背を向けてどこかへ動き出した。
私たちはしばらくその後ろ姿を見送っていたが、はたと我に返ったようにヤーラ君が立ち上がる。
「待って……」
何かに誘われるように、彼はホムンクルスの辿った道を駆け出した。
「ヤーラ君!」
私も反射的に立ち上がって、暗闇に吸い込まれていく少年の背中を追いかけた。




