#4 友達想い④ 夜回り
家の中に充満する香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐって空腹感を後押しする。その匂いの源を取り囲むように、私たちはそれを凝視していた。
「お前よー、マジで何でもできるのな」
「何でもってことはないよー」
「……自信、なくします。主婦として」
驚いた、マリオさんは料理も上手だなんて。その手際の良さにゼクさんまで感心し、もてなしてくれるつもりだったであろうエバさんはしょげたように苦笑している。
大きな鍋にはとろとろのシチューが大きめの具材を巻き込んでグラグラと揺れ、隣のフライパンには中身のぎっしり詰まったソーセージが油に照り返ってパチパチと踊っている。視覚、嗅覚、聴覚、すべて私のお腹を刺激する……早く食べたい。
「……ダメだ。我慢ならん!」
ずっと真顔で待機していたパブロさんが、そう叫んでガタッと立ち上がった。
「一口!! 一口食べさせてくれないか!!」
「あなた、お客様の手前なのよ! もう、すみません。この人ったら、つまみ食いの常習犯なんです」
「だってお前、美味そうなもんが目の前にあったら食べたくなるだろう」
「それだけエバさんも料理がお上手ってことですよね」
私のフォローにパブロさんが「うむうむ」と頷くと、エバさんも頬を少し染めて一瞬言葉を詰まらせた。
「そ、そう言ってもらえるのはありがたいですけど……主人を甘やかさないでください」
ご夫婦が仲睦まじいやり取りをしている間、いつの間にかゼクさんが鍋にスプーンを突っ込んでいた。
「んめぇ」
「ちょっと、ゼクさん!!」
「ずるいぞ!!」
「あなた、子供みたいなこと言わないの!」
わいわい騒いでいる私たちを見かねてか、マリオさんが手を止めて振り返る。
「……すぐ食べれそうなの、もう一品作ろうか?」
『ぜひ!!』
私たち3人の返答は、綺麗に揃った。
◇
賑やかなひとときは太陽と一緒に沈んでいって、静かな夜が訪れる。窓を開けると、暗くなった外から冷たい風が吹き込んできた。
「あんなに賑やかな食事は久しぶりでしたよ」
エバさんが私のために用意してくれた寝室のベッドのシーツをきっちり整えている。どうせ寝ずの番だから必要ないと言ったのだけど、それでは失礼だからと押し切られてしまったのだ。
「皆さんが来てから、村が少し明るくなった気がします」
「それはよかったです」
そうは言っても、私たちは遊びに来たわけじゃない。この村を恐怖に陥れている元凶を倒さなければ、ここに来た意味がなくなる。
ドアが開く音がして振り向くと、パブロさんがひょっこりと顔を出していた。
「エバ、厚めの毛布ってどこだっけ。今夜けっこう冷えるみたいだぞ」
「ああ、納戸のほうよ。私が出しておくわね」
丁寧にベッドの用意をしてくれたエバさんは、「おやすみなさい」と一言添えて部屋を出ていく。働き者な人だなぁ、と変に感心していると、パブロさんが神妙な顔でそばに立っているのに気づいた。
「……なあ、勇者さん。もし俺に何かあったら、妻のことを頼んでもいいかい?」
「……もしもの話、ですよね。そんなこと絶対にさせませんから」
「ああ。それで……ダメそうなら、俺を見殺しにしていい」
その表情は真剣そのもので、両目には揺るぎない覚悟が滾っているようで、私はしばらく言葉に窮してしまった。
「それだけなんだ。おやすみ」
私は部屋を出るパブロさんの背中を、静かに見つめていた。
◇
がらんとした部屋の真ん中で一人、わざわざ用意してもらったベッドに座りながら、私は<ホルダーズ>を起動する。
慣れない操作に苦戦しながら、ようやく目的の機能に辿り着いたとき、聞き慣れた怒声がその魔道具から飛び出してきた。
『おっせぇぞ馬鹿野郎!!』
「す、すみません。手間取っちゃって」
実はこれ、首輪をつけた人の位置を把握するだけでなく、その人と連絡を取ることもできるらしい。だから今、外に見回りに行っているゼクさんの声が聞こえたわけだ。
こんな便利な機能はもっと早く教えてほしかったのだけど、製作者さんが伝えるのを忘れていたと照れ笑いしていた――と、ドナート課長から聞いている。協会の職人さんは、お茶目な人なのかもしれない。
「様子はどうですか?」
『何もねぇよ。不気味なくれぇ静まり返ってやがる』
『南側、同じく異常なしだよー』
ゼクさんとマリオさんは村の北側と南側に分かれて、それぞれ見回りを行っている。その経過報告を私が受ける形だ。位置もこちらからわかるので、どちらかに何かあれば、もう一方がすぐに駆けつけられる。
「夜明けまでまだまだ長いですからね。気をつけてくださいよ」
『誰に言ってんだ、ポンコツ』
……そりゃあ、ゼクさんならマリオさんが駆けつけるまでもなく、敵を倒してしまえるかもしれないけど。
『エステルも気をつけてね。なるべく見落としがないようにはするけど、敵はそっちに向かうかもしれない。何かあったらすぐに知らせて。絶対に部屋からは出ないで』
「はい、わかってます」
マリオさんの声は平坦なトーンだけど、ずしりと重くのしかかってくる。私は安全圏にいるわけじゃない。ここも襲われるかもしれない。もしそうなったら……。
「パブロさんとエバさんに何かあったら嫌ですもんね。あんなに優しくて仲のいいご夫婦が……」
『仲がいい?』
「? 良かったじゃないですか、2人とも」
『……へぇ、そう言うんだね』
マリオさんの言い方はなんだか妙な感じがした。仲がいいかどうかなんて、それこそ見ればわかると思うんだけど。
『……あっ!』
不意に鋭い声が飛んできて、一気に緊張が走る。まさか――
「マリオさん? どうしました!?」
『白い猫ちゃんがいたよ。逃げちゃったけど』
『ぶっ殺すぞ、糸目野郎!!』
それから数時間は特に異変らしいことは起こらず、ただただ夜が更けていくだけだった。しいて挙げるとすれば、マリオさんが逃げられた猫ちゃんと仲良くなれたらしいということくらいだ。人間だけでなく、動物とも友達になりたがるみたい。
『おい、とっとと出てきやがれ! 早く魔族をぶっ殺してぇんだよ!!』
「敵だって、そんな素直に出てきてくれないと思いますよ」
『そうだね。向こうもぼくらが来てることを知ってるだろうし、何かしら対策を打ってるって考えたほうがいいねー』
ゼクさんの堪忍袋が危機に瀕している一方、マリオさんはいつもの落ち着いた調子で現状を判断している。でもマリオさん、なんかゴロゴロ喉が鳴る音が聞こえるのは気のせいですかね?
「このままずっと、私たちが帰るまで隠れてるとか……」
『どうかな』
仮にそうなったとしても、その間は犠牲者が出ないはずなので、そう悪くはない気がする。私たちでダメだったら、また別のパーティに来てもらえばいいし。
『クソが!! 早く出てこいっつってんだろ!!』
……困るのは、魔族と戦いたがっているゼクさんだけだろうな。
キィィ、という軋んだ木の音とともに、ランプの明かりがドアの隙間から侵入してきた。はっと驚いて顔を上げると、見慣れた男性の姿がぼんやりと照らされる。
「パブロさん。どうしました? こんな時間に」
彼は何も言わず、ピクリとも動かない。昼間のときの穏やかで人当たりのいい雰囲気が嘘のような、別人みたいな不気味さを漂わせている。
恐怖が湧いてくるのと同時、彼は片手で木製のドアを引きちぎった。




