お偉いさんは面倒くさがる
遥か遠く、月に向かうように飛翔するコウモリを、僕は望遠鏡を使って見ていた。
隣、望遠鏡ではなく裸眼の視力で僕と同じものを見ている鬼族の女性が、不安そうに話しかけてくる。
「アキサメ様、あの吸血姫を見逃してよろしいのですか?」
「うーん、まあ、いいんじゃない?」
「……か、軽くありませんか?」
「いやぁ、たぶん出て行くとややこしい話になるから……」
旅人ふたりに王国騎士、そして行商人。言ってみれば部外者四人に、共和国の土地を救われたのだ。
今出て行ってなにかを言われるより、素知らぬ顔をしておいたほうがいいだろう。
……特に行商人の方は、ふっかけて来られても困るからなぁ。
見たところ商人魔法を使っていた。あれはたぶん小さな家一軒買えるくらいはバラ撒いただろう。
どの国にも属さないという誓約を立てないと入れない商業ギルドの行商人は、利益を最優先する。完全に中立であるからこそ、どの国にも行き来が許されている。
他国への侵攻や破壊活動に直接手を貸すことは禁じられていて、流通という意味では重要な存在なので、国としては大事にも無下にもしづらい微妙な存在だ。
彼らは儲けられると思えば、たとえ国相手でもふっかけてくる。そしてうちは貧乏なので、ふっかけてこられても困る。
仕事外ならともかく、仕事ではあまり関わりたくない相手と言える。
こうしてただ状況を静観していたのは、手をくださずに片付けばいいと思ってのことだ。それが思い通りになっただけで満足しておくべきだろう。
ただ、うちの優秀な御庭番は気にいらないらしい。どことなく不満そうにしている。
「ひと声かけてくだされば、私たちは御庭番衆の名に賭けて、喜んで戦いますよ?」
「いやぁ、戦力は温存しておきたくてね」
「戦力、というと……なにか、あるんですか?」
「今のところはなにも。ただ……帝国の動きが気になるんだよ」
「帝国の……確かに、最近の動きは妙ですね」
「うん。ここ最近、明らかに帝国は『やる気がない』。そのくせ散発的には王国に仕掛けて、戦争状態だけは保っていてね……なにかあるんじゃないかって思うんだ」
「……いくら帝国が軍事大国とはいえ、王国だけでなく共和国にまで戦争を仕掛けるなんてことはないと思いますが」
「僕も無いと思うよ。僕が知る限りの帝国なら、ね」
そう。僕が知っている帝国なら、さすがにそこまで状況が見えないことはしない。大国ふたつを相手取って、勝機があるとは思えない。
けれど僕が知っている帝国は、ここ最近集めた情報にあるような手ぬるい戦争なんてしないはずなのだ。
頭の中、御庭番衆を使って仕入れた王国と帝国の戦争状況を整理する。ここ数年、明らかに帝国は手を抜いている。
まるで喉笛に噛み付く機会を窺っているかのような、不気味な動き。
たとえ今すぐこちらに仕掛けてこなくても、もしも王国が滅びた場合、調子づいた帝国が今度は共和国に狙いをつけても、おかしくはない。
……王国に手を貸すことも視野、かな。
ヨツバ議会に所属する僕以外の三人がなんと言うか次第だけど、勢力としてどちらにつくかと言われれば王国のほうが安全だろう。
あそこは王政が敷かれているけれど、絶対的な君臨をしているわけではない。各地の領主は結構好きにやっているようだし、同盟国には寛容だ。
「ま、準備だけはしておこうか、ハボタン。なにが起きてもいいように……ね」
「はい。我ら御庭番衆、悉く貴方に従います」
「いやぁ、本当に助かるよ。引き続き、情報収集お願いね」
「ははっ……」
服従の意を示してから、ハボタンが闇に飲まれるようにして消える。
相変わらず、その大きさに似合わない隠密力だ。
「さてさて、僕も戻ろうかな……ほんと、面倒な世の中だよねぇ」
代々受け継がれてきた役目とはいえ、国を維持するのはなかなか大変だ。
毎日ぼうっとして過ごせればいいのだけど、そうもいかない。
世の中は常に動いていて、ただぼうっとしてるだけでは置いて行かれるばかりなのだ。
自分のことを賢く立ち回れるやつだなんて思えないけれど、やれることはやっておこう。
僕にだって、愛国心や守りたいものくらいはあるのだから。
今後の方針を自分の中で定めて、僕はその場を後にした。




