五月色喫茶店
サクラノミヤに入ることは、結構簡単だった。というか起きたらもう、中に入っていた。
共和国の首都なのだから、ふつうは手荷物検査とかあるんじゃないかと疑問に思ったけど、クズハちゃんが言うには、
「サツキさんが馬車の中から手を振ったらそれだけで終わりましたわ」
だそうだ。ほんとにただの喫茶店の店長なんだろうか。
「さあ、つきましたよ!」
そのサツキさんは今、棺桶を背負って和傘を差したいつものスタイル。
当然、棺桶の中にはアイリスさんが入っている。棺の名前は『巡り花護』というらしい。
名前からして、やはり魔具なのだろう。効果は知らないけれど、少なくとも日除けとして使われているのは間違いない。
「……確かにこれは、喫茶店、ですね」
馬車を降りてすぐ、その建物はあった。
西洋風の、洋館と言えるような風情の建物。周囲は木造平屋が多いので、ひどく目立つ。
居住スペースも兼ねているためだろうが、かなり大きい。サイズ的にもデザイン的にも、周囲から浮いている。ある意味、景観を損ねていると言ってもいいくらいに。
ただ、サツキさんのお店だけがそういうわけじゃない。ここまでで馬車の中から見た感じ、共和国で見たような煉瓦造りの家などもわりとあった。
やはり、異世界。完全に和風ではないようだ。
当たり前か。看板に書いてある文字も、意味は分かるけど日本語じゃないし。
喫茶店メイ。そう書かれた大きな看板をサツキさんは愛おしそうに撫でて、こちらに手招きをする。
「サツキさん。ネグセオーはどこに?」
「看板にでも繋いでおいてあげてくださいな」
「分かりました。それじゃあネグセオー、また後で」
「ああ。行ってくるといい」
ネグセオーを残して、クズハちゃんとふたり、サツキさんに続いてお店のドアをくぐった。
からころと小気味のいいドアベルが鳴り、来訪を店内に知らせる。
「わ……」
「これは……雰囲気がありますね」
中に広がっていたのは、整った空間だった。
全体としては、やはり洋風。テーブルや床などは古い木々の香りが尊重された、深い色合い。
使い込まれて、けれど廃れてはいないテーブルの上にはランタンやマッチ箱が置かれている。
壁に設けられたインテリアとしての暖炉や棚なども合わさって、どこか温かみのある雰囲気だ。
棚には木彫の鳥や人形が遊ぶように鎮座していた。童謡にでも出てきそうな大きなのっぽの古時計が、かちこちと振り子を揺らして時間を小刻みに伝えている。
「ただいま戻りましたよ!」
サツキさんの元気な声は、響くというより、吸い込まれるようにして店内に沁みた。
言葉に返ってきたのは声ではなく、音。ぱたぱたという、うるさくは無いけど落ち着いてはいない足音だ。
店の奥、おそらくは居住スペースの方から飛び出すように現れたのは、黒髪に一束だけ白の色を混ぜた女性。
背は高い方だけど、サツキさんと比べるとさすがに低めで、線が細い。特に、失礼かもしれないけど胸がかなり平べったい。
周囲のシックな雰囲気に似合う、落ち着いた色合いをしたフリル付きスカートは、従業員の制服だろう。それを揺らして、女性はサツキさんの胸に飛び込んだ。
「お姉様、お帰りなさぁい!」
「おおう、フミちゃん! 元気にしてましたか!?」
「はぁい! ゆっくり休ませて頂いてましたぁ!」
親密そうに抱き合って、ふたりはくるくると回る。
サツキさんが振り回してそれに甘えるような、ダイナミックな触れ合いだ。
「柔らかそうですわね……」
わりと強めに相手がぶつかったのに、激突の衝撃はほとんど無いようだった。サツキさんがそれくらいに柔らかいクッションを備えていると、そういうことだ。主に胸とか胸とか胸とか。
……凄いんですよね。
桜湯の庭にいる間、何度か埋められた。
それは毎度サツキさんからの抱きしめによるものだったのだけど、そのたびに顔が完全に沈んでしまうほど、物理的な包容力が凄い胸だった。
鼻も口も塞がるので反射的に押し返そうとすると、押す力を込めた指が埋まるほどなのだ。
クッションというより、沼のような感じ。ずっと埋まっているとたぶん、多くの人がダメになる気がする。実際今、目の前で抱きしめられている人は恍惚とした顔で、
「あぁ、久しぶりのお姉様のおっぱいぃ……」
「あ、そうそう。お客さんがいるんですよ」
「はうん!?」
ふとこちらの存在を思い出したサツキさんが、相手を手放した。
振り回されていた勢いを抑えていた腕がなくなったことで、相手は軽く滞空した上ですっ転ぶ。ヘッドスライディングの逆再生みたいになっていた。
大丈夫かなと思ったけど、相手は強打した顎を撫でながら起き上がったので、無事のようだ。狙ったようにテーブルや椅子にも当たらなかったので、物損もない。
フミちゃんと呼ばれていた相手は、涙目を拭ってこちらを見た。瞳は金色なので、彼女は吸血鬼ではないらしい。
「あらぁ、かわいいお客さんですねぇ……初めましてぇ。フミツキ・イチノセよぉ」
「アルジェント・ヴァンピールです」
「クズハと申しますわ」
イチノセ、と名乗られたことに少し驚いた。サツキさんとアイリスさんと同じ名前で、でも、相手は吸血鬼ではないからだ。
ただ、それを言うならサツキさんとアイリスさんだって、たぶん姉妹や親子ではない。
イチノセというのが家族的な繋がりを意味してつけられているのなら、フミツキさんがそう名乗ったことはおかしなことではないので、気にしないことにした。
喋り方は間延びしたものでクロムさんにも似ているけれど、あの人とは違って粘っこくはなく、柔らかい印象だ。
「シノくんとクロちゃんはどうしました?」
「あのふたりなら休みなので、遊びに行きましたよぉ。フミはそろそろお姉様とアーちゃんが帰ってくるかなぁと思って、ここで待ってましたぁ」
「そうですか、フミちゃんはいい子ですね。そんなフミちゃんには、お姉さんがたくさんお土産をあげちゃいましょう!」
サツキさんがおっぱいの谷間からずるずるといろんなものを取り出すけど、あれは僕と同じブラッドボックスを使っているだけだ。谷間に手を突っ込むのは本人曰く「演出」らしい。
種が分かると芸として見られるけれど、それでも自分の手が挟まれて埋まるほどに大きいというのはとんでもないボリュームだと思う。
一通りフミツキさんにお土産を渡すと、サツキさんはこちらに振り返って、
「では、ちょっと奥でアイリスちゃんを開放してきますね」
「開放、ですの?」
「お店の奥、居住区やキッチンには日光が届かない造りになっているんですよ。アイリスちゃんを出してからお昼の用意をしますから、少し待っていてくださいな」
ひらひらと手を振って、サツキさんがお店の奥へと消えていく。
ぼぉんと古い時計が鳴り、店内に吸い込まれて消える。そんな軽い間とも言える時間を挟んで、フミツキさんがスカートを翻した。
慣れた動作でのお辞儀は堂々としていて、しかし飾らない。満面ではなく微笑みで僕らを迎えるのは、このお店の雰囲気に合わせているのだろう。
「それじゃ、席にご案内するわねぇ。メイへようこそぉ♪」




