血が生み出すもの
「くすっ……えいっ♪」
「えっ……あむっ!?」
突然の動き。血に気を取られていた僕は、その動作に反応することができなかった。
口元に、アイリスさんの手首が押し付けられる。唇を割って入ってきた血液の味を感じた瞬間、反応として溢れた唾液と血を飲みこんでしまう。
そう言えば、暫く血を飲んでいない。相手の意図は謎だけど、飲ませてくれるのならいいか。そんなことを考えて――身体が一気に熱くなった。
「ふぅっ……!?」
「はい、もっと飲んで飲んで」
「ちょ、ちょっと貴女、アルジェさんになにをするんですの!?」
「いいからいいから」
「いいって、苦しそうにしてますわよ!? いくらアルジェさんが吸血鬼でも、そんな無理矢理なっ!」
「大丈夫、少しぽかぽかするだけだから」
聞こえてくる言葉は分かる。クズハちゃんが抗議をして、アイリスさんが否定したという流れだ。
けれどそちらに気を向けて、アイリスさんの言葉の意味を考えたり、クズハちゃんに大丈夫だと言ってあげるだけの余裕がない。
唇はもう押し開かれて、血は難なく僕の中へと侵入してくる。熱い液体が、舌と喉を撫でるように落ちていく。
そして僕自身も、それを拒めない。自然な動きで血液を受け入れて、むしろ傷口に吸い付く。施されるものを、喉の奥へ落としていく。
フェルノートさんともクロムさんとも違う。アイリスさんの血はとても熱っぽくて、火傷するのではないかと思うほどだ。
実際はそんなことはない。でも、熱い。熱くて、なんだか粘っこくて、口の中や喉、胃まで焼きつくみたいだ。
「ん、ちゃんとお腹の奥まできちんと染みこませるんだよ……?」
耳元で聞こえる言葉に、僕はこくこくと頷いた。言われなくても、もう自然とそうしてしまっている。
思考ごと焼くような熱のある血液を、こくこくと飲み込んでいく。着ているメイド服すら煩わしく思うくらいに、身体が芯から熱されていく。
飲み込んだ血液が、内側から全身を撫でていくような錯覚。きゅうう、とお腹の奥が引き絞られる、痛みとも痒みとも取れるような疼き。
もっと欲しい、もっと。考えるのではなく、ただの欲望としての気持ちに、僕は従った。
久しぶりの吸血と、はじめての同族の血液にすっかり夢中になって、相手の血を飲み続ける。
クズハちゃんに見られていることにも構わずに、行儀悪く音を立てて僕は血を啜った。
「ちゅぅ、じゅるるるっ……は、んくっ……!」
「あはっ、いい子♪」
「ん、んんんっ、こくっ……」
ほっそりとした柔らかいものが、僕の髪を撫でる。身体はどんどん熱くなるのに、そうして撫でられて、不思議と安らいだ。
心の緩みができてようやく、息苦しさを思い出す。呼吸することを忘れるくらいに血を吸うことに夢中になってしまっていた。
「ぷぁっ」
赤くねばついた糸を引いて、唇を相手の肌から開放する。
ひうひうと取り込んだ空気は冷たく、火照った身体の内側を荒く撫でていく。その感覚に、またお腹の奥が熱くなった。なんだろう、この感覚。嫌じゃないけど、なんだかぞくぞくする。
「もう少しだけ我慢してね?」
「ふ、あぁ、えぇ……?」
「ブラッドブースト」
「あううぅっ!?」
意地悪げな笑みで紡がれた言葉。それが僕の耳へと侵入した瞬間、身体の奥が沸騰した。
熱さは痺れやかゆみにも似た感覚で、僕の全身の神経をかき混ぜるように駆け巡る。
呼吸で取り戻した理性が一瞬で焼かれて、目の前がちかちかした。足どころか腰までも力を失って、地面にへたりこむ。
「ふみゃううっ……!?」
小石だらけでざらざらの地面がスカート越しにお尻に触る感覚さえも全身を突き抜けて、喉の奥から自分のものじゃないような、ひどく甲高い声が出た。
……なんですか、これぇ……?
血液が巡ることにすら、身体中が反応してしまう。服が擦れるだけで全身を撫で回されているような感覚がして、ふるる、と震える。
なにをされたのか、声を出して問うことすらできない。喉を動かすことすら意識を失うような痺れを伴いそうで怖い。なにこれ、僕、どうなって……?
「アルジェさん!」
クズハちゃん駆け寄ってきて、僕を抱きしめる。
そうして触られることでまた身体がじぃんと熱くなるけど、クズハちゃんはそれに気付いていないし、僕の方も訴える気力がない。
ただ変な声が漏れそうで、そのことがとても恥ずかしく思えた。必死でお腹の奥からせり上がってくるぞわぞわを堪える。
冷たい夜の空気を何度も取り込むことで落ち着こうとする僕を抱きしめながら、クズハちゃんがアイリスさんを睨みつけた。
「アルジェさんをいじめないでください!」
「いじっ……ああ、まあ、そうも見えるか。大丈夫、いじめてないから」
「アイリスちゃん、説明不足が過ぎますよ」
「うん。サツキはまず鼻血拭いて、記録魔法使うのやめてからそれ言った方が良いかな?」
「ななななにを言っているんですか!? サツキちゃんはいかがわしい事はしてません! これは成長記録です!」
「十二分にいかがわしいよ。……まあボクも、かわいい子をいじれ……かわいがれるのは役得だけどね」
「は、ふ、はぁっ……」
「ん、アルジェ、苦しい? もう少し我慢してね。そうしたらブーストが効いてくるから」
告げられた言葉の意味は分からない。
そもそも三人の会話すら、聞こえてはいるけれど意識を向けるだけの余裕がないのだ。かろうじて分かるのはクズハちゃんが威嚇をして、アイリスさんがそれをあしらっているということくらい。
何度も身体の中に空気を送り込んで、荒い吐息を繰り返す。冷気と熱気の交換を幾度も行って、身体と心を落ち着けていく。
時折クズハちゃんの尻尾が身体を撫でて来て、そのたびに声を上げそうになる。彼女からすれば僕が心配で守ろうとしているだけだろう。悪気はないはずだから、なにも言わずに耐えることにした。
「はぁ、は、んく……はふ」
「落ち着いてきた?」
「はい、なんとか……」
ようやく言葉を出せるようになった頃に、アイリスさんが声をかけてきた。
全身にはまだ熱があり、浮いた汗が肌を滑り落ちるだけでも身震いしたくなるような状態だけど、なんとか会話を成立させられるくらいには落ち着いている。
お腹、特に胃と下腹部は熱くて、内側から撫で回すような感覚がまだ残っているけど、立てないほどじゃない。頭がぼうっとしてあまり考えはまとまらないけど、自分がしなくちゃいけないことがあることは分かる。
「うんうん。かわいい瞳だ。ボクのブラッドブーストを受けて、自分を保てるだけの自制心もあるようだし」
「ブラッド、ブースト……?」
「血液を与えたものの力を、引き上げる能力……ま、そんなことはどうでもいいよね。ほら、壊すべきものが目の前にある」
アイリスさんは僕の手を取って、支えるようにしてそれへと向ける。
彼女の逆の手首からは今も血が流れていて、白の和服に赤いものをいくつも花開かせるけど、アイリスさんは気にも留めない。
サツキさんが強引に手を引くのとは真逆だ。優しく教えるような、導くような引きに、僕は抗わなかった。
お腹の奥にあるぽわぽわした、温かいものが泳ぐような感覚が全身に広がる。意識は薄いのに、魔力だけがはっきりと練られていくのが感じられる。
ほとんど自然と口が開く。夢に揺られているときのように、ふわりと言葉が浮かんだ。
「流れを、元に」
薄い意識でもはっきりと分かる、魔力の奔流。今まで僕が扱ってきた回復魔法よりもずっと強力な、もはや暴力じみた癒やしの風が吹いた。
呪いを消し飛ばすだけに留まらず、周囲の草花さえ咲き乱れる。回復するというよりは強制的に活力を注射されたように、山が色付く。
明らかに季節を無視したであろうほどに、色とりどりの花が開いた山の一角。月明かりが踊り、きらびやかな光景を生み出した。
温泉は滝を逆さにしたように吹き出して、やがて重力に捕まる。降り注いでくるお湯を、サツキさんが大きな和傘を開くことで受け流した。
「こんなこともあろうかと、持ってて良かった特大傘〜♪」
「あ、あの、サツキさん。それどうやって胸の谷間から出してるんですの……?」
「いや、これただのアクションで。実際はブラッドボックスっていう収納系技能で出し入れしてます」
「紛らわしいですの!?」
「とりあえず一度離れよっか。ほら、アルジェ。行くよ」
「あ、はい……」
魔法を使ったからか、身体の奥にあった熱さが消えている。たしかブラッドブーストと言っていたけど、その効果が終わったということだろうか。ロリジジイさんが出してくれた初期技能表には無かったけど、どんな能力なのだろう。
それでもまだ、浅く痺れるような感覚が全身にある。
温泉の噴出に巻き込まれてしまわないように、その場から離れるために全員で動く。僕の方はまだ足取りがおぼつかなくて、クズハちゃんに支えられた。
「……ありがとうございます、アルジェさん」
小さな声でお礼を言って、クズハちゃんは花が咲くように笑う。
彼女からこんな笑顔を向けられるのは初めてかもしれない。そんなことを考えながら、僕はクズハちゃんに身体を預けた。身を任せてしまうことを謝るのも忘れて。
ざぶざぶとお湯が溢れてくる音色が山に吸い込まれていくのを聞きながら、僕は瞳を閉じる。なんだか、疲れてしまった。
意識が消えていくことを、拒まずに受け入れた。歩かなくても支えてくれる人がいる、そう確信して。




