はじめての
「ん……ふわぁぁぁ……」
ネグセオーの背中に揺られて、僕は大きな欠伸をひとつ、空に向けて放った。
欠伸で吐き出した息の代わりに新鮮な空気を取り込むと、少しの寒さを感じる。
「服が欲しいですね」
言っても仕方がないことだ。なるべくどこかで調達したいところだけど……国境を越えるまでは無理かな。毛布にくるまって我慢するしかないか。
オズワルドくんが示してくれた王国から共和国に行き着くために越えるべき山は、段々と近付いている。
ネグセオーの見立てでは、早ければ今日にでも到着するということだ。走ればもっと早いらしいのだけど、寝心地が悪くなるからそれはやめてもらった。
「それじゃあ僕はもう少し寝ますね」
「アルジェ、お前さっき起きたのではなかったか?」
「そうですね。それがどうかしました?」
「……いや、なんでもない」
ぶふーっと疲れたような鼻息を吐いて、ネグセオーは歩みを進めていく。
心無しか、少し歩き方が乱暴になったような気がする。
……僕、なにか変なこと言ったかな?
疑問は浮かぶけれど、ネグセオーがなにも言わないなら突っ込まなくても良いだろう。面倒だし。
「お腹がすいたり、疲れたり、水がほしくなったら言ってくださいね」
心の中の疑問を放棄してネグセオーに言葉をかけてから、眠るために瞳を閉じる。
景色を遮断すればすぐに眠気がやってきたので、そのまま意識も遮断しようとしたところで、あるものを感じた。
「ネグセオー、少し止まってもらえますか? この匂いはたぶん、あの子だと思うので」
「ああ、近付いてきているようだな」
お互いに覚えのある匂いだから、相互理解はすぐに終わった。ネグセオーが足を止めてくれる。
淡い獣臭さと、女の子特有の甘い香り。間違いなくクズハちゃんのものだ。
どうも昨日より獣臭さが薄れているようだ。お風呂にでも入ったのかもしれない。
嗅覚への刺激はどんどん強くなるので、明らかにこちらに向かっている。視線を向けると、草原には狐の色が浮かんでいた。
「アルジェさーん!」
大きな声でこちらに呼び掛けて、クズハちゃんはさらに加速。
彼女はもう、みすぼらしい服装はしていない。和服は母親が着ていたのと同じく赤い花が描かれた、一目で上等だとわかるもの。
尻尾の数が二本から三本に増えているのは、レベルアップでもしたのだろうか。
三又の尻尾を揺らしてこちらまでやって来た彼女は、軽く息を整えた。
彼女は今、身体と同じくらい大きなリュックを背負っている。そんな状態で全力疾走すれば疲れもするだろう。
「アルジェさん!」
「あ、はい。なんですか?」
「どうして待っててくれなかったんですの!?」
「……え?」
告げられた言葉の意味が理解できず、首をかしげてしまった。
……待つ? なにを?
訳がわかっていない僕に対して、クズハちゃんの方はすっかり怒った様子だ。背負っていたバッグをどさっと地面に下ろして、強い視線で僕を見てくる。
「あのですね、アルジェさん。私は行って参りますと言って、母の亡骸を置いていったんですわよ?」
「ええ、そうですね」
「それならふつう帰ってくると思いませんの? 私、母の弔いを済ませて急いで追ってきたんですのよ!?」
「いえ、帰ってくるとは思いましたけど、僕の役目は終わりましたし。襲撃の非礼にお詫びを返されて、食事の恩を返したので、もう出ていってもいいかなぁと」
「……貴女、友達いないでしょう?」
物凄いジト目で言われた。
確かにそう言われてみると、僕に友達というものはひとりもいなかった。
友達がほしいと思ったこともない。
ただ与えられるものを、与えられるままに受け取ってきたから。
「そうですね。ひとりもいません」
「ほら、やっぱり……いえ、私も人のことはあまり言えませんけれど。それでも母様にきちんと教わったのですわ! 友人との付き合い方というものを! 予習はばっちりですの!」
……つまりエア友達じゃないですかー。
思ったものの、口には出さなかった。クズハちゃんがあまりにも得意気なので、水を差すのもめんどくさ……いや、悪いと思ったからだ。
クズハちゃんは大きな荷物を揺らしてこちらに歩み寄ると、ネグセオーの身体を撫でた。そして僕を上目遣いで見つめて、言葉を作る。
「そういうわけですので、これからよろしくお願い致しますわね」
「……? どういうことですか?」
「私、アルジェさんについていきますから。よろしくお願いしますわね、と言ったんですの」
「……どうしてですか? クズハちゃん、僕がどこに行くかも知らないんでしょう?」
意味がわからないというか、意図がわからなかった。
あのときのやり取りで僕たちの関係は終わったはずなのに、それでもまだ繋がろうとすることが、僕には理解できない。
疑問符を浮かべ続ける僕を見て、クズハちゃんはなぜか楽しそうに微笑んだ。
その顔は彼女の母親に、どこか似ていた。
「どこでも構いませんわよ。どうせ行くところはありませんもの。それに、好きに生きてもいいと言ってくれたのは貴女ですのよ? だったら、貴女についていくのも自由ですわよね?」
「……好きに生きてもいいとは、言いましたけどね」
そう言われてしまうと、僕としては断れない。
他人の自由を害すのも、僕の自由が害されるのも、好きではないから。
自分の不愉快や害になったり、誰かに恩を返すとき以外で、そういうことはあまりしたくない。
幸い食料にも水にも余裕はあるし、その大荷物ならクズハちゃんの方でも用意はあるのだろう。連れていっても問題なさそうだ。
「これから友達一号として、よろしくお願いしますわね、アルジェさん!」
「はあ、よろしくお願いします」
よく解らないけど友達認定までされてしまったし、来るなと言ってもついてきそうな雰囲気だから、拒否するのも面倒だ。
図らずして同行者が増えてしまったけど、僕がやるべきことは変わらない。
王国を出て、養ってくれる人を探す。これだけのこと。
「それじゃあ行きましょうか、ネグセオー」
「承知した」
「あ、待ってくださいな! その前にアルジェさんの服を!」
「服? あ、もしかして持ってきてくれたんですか?」
「いえ、これから採寸して作ります。ですから少し降りてきてくださいな、さあ早く!」
クズハちゃんは何故か目を輝かせて、こちらに手招きしてくる。
……お裁縫できるんですね。
僕も破れた服を縫うくらいはできるけど、一から服を作るというのは凄いことだ。
どういうわけか随分と鼻息が荒いように見えるけど、服を着せてもらえるならありがたいので、僕は素直にネグセオーから降りた。
「……俺はその辺にいるぞ。また終わったら声をかけてくれ」
「わかりました」
「一日くらいかかると思いますが、大丈夫ですの?」
「問題ない。ではな、お嬢さんたち」
こちらに気を使ったらしく、ネグセオーが離れていく。
別に僕は身体を見られたところで気にならないのだけど、彼自身が気にしているようなら引き留めるのも悪いだろう。放っておこう。
「それじゃあ、ええと、採寸するんですよね?」
「ええ。それはもう、じっくりとさせていただきますわ。はぁ……アルジェさんって、肌白いんですのね!」
「そうですか? まあ吸血鬼ですからね」
「そういえば太陽は平気ですの? 吸血鬼は闇属性の魔力が受肉した存在で、聖属性である太陽光に当たるとかなりの痛みを伴うと昔、母に聞いたのですが……」
「日照耐性も聖属性耐性も高いので平気です。ええと、後ろ向いたほうが良いですか?」
「あ、いえ! そのままで構いませんの! 是非そのままで!」
「そうですか」
理由は解らないけど、クズハちゃんは耳と尻尾を振ってやたらと上機嫌だ。
なんだろう。僕と友達になれたことが、そんなに嬉しいのかな。
……友達、か。
今まで考えたこともなかった単語。はじめて意識した存在。
まだ実感の湧かないその言葉を頭の中で転がして、僕は毛布を脱いだ。
吹いてくる風は生の肌には少し冷たいけど、心地よくもある。
瞼を落として、僕はされるがままになった。
疑問はたくさんあるけれど、瞳を閉じれば感じるものはいつも通りだ。
ああ。早く終わらせて、お昼寝がしたい。
クズハ編はこれにて完結。ありがとうございました。
芽吹いてすらいないものを、大切に。ではまた次回。




