送り火
……身体が軽いですわ。
今までにない感覚。
浮遊感にも似たものが、気持ちの中にある。母を失ったことを知ったばかりだと言うのに、驚くほどに大地を蹴る足取りは軽い。
全身に力が満ち、一歩を踏むごとに強くなっていくのが解る。
やがて力が身体から溢れて、ひとつの形を成す。
二又の尾が、三又へと変化した。
急激な肉体の変質は、始めてのことではない。かつて私の尾がまだひとつだったとき、やはり同じようにいきなりに増えたのだ。
三本ともなると、さすがに少し気にかかる。衣服には尻尾を通す穴は空けられているものの、窮屈を感じた。
「尾獣分身、珊瑚樹」
己の尻尾に魔力を与え、三本のうち二本を切り離す。
分かたれた私の一部は即座に受肉して、私とまったく同質の存在と成った。
この分身は獣人、特に狐系や猫系が得手とする変化技能の応用だ。肉体を意図的に切り離したあとで変質させて、同等の能力を持った存在を造り出す。
三匹の獣となった私たちが、大地を駆ける。目指す狩り場に辿り着くまでには、そう長い時を必要としなかった。
見据えるのは領主の屋敷。母様を謀り、私を騙したものの住み処。
「ひとりは領主以外の人間たちを叩き出しなさい。もうひとりは私に」
「では、私は人払いに参りますわ」
「それでは私は本体につき従いますの」
分身の肉体は私と完全に同一。思考能力すら備わっていて、私と同じものだから相互理解も素早く終わる。
分身体のふたりともが私と同じ声で言葉を発して、それぞれの位置へ。片方は私の側に寄り、もう片方は窓を体当たりで破壊して屋敷の中へと侵入した。
それに続いて、私ともう一人の分身も屋敷の中へ。
「母様の匂い……」
屋敷の外からでも感じられた母様の匂いと魔力は、分身に続いて屋敷に入るとより濃厚に感じられるようになった。
アルジェさんが連れてきた母様の亡骸は、死んでいることが解らなかったほどに綺麗に保たれていた。
理由はわかる。母様の死体に、利用価値があるからだ。
その価値がなんなのかまではわからないし、知りたいとも思わない。
それがどんなに高尚でも、どれほど素晴らしいものであったとしても、私は決して許さないのだから。
……アルジェさんの匂いもしますわ。
優しい匂いと、強い魔力の残り香。出会ったばかりの人だけど、忘れるはずはない。これはアルジェさんの匂いだ。
きっとあの人は、私のために母を探してくれたのだろう。お詫びすらまともにすることが出来なかった、私のために。
母と恩人の匂いを追い、私は分身を連れて屋敷を走る。扉を開けることすら煩わしく、腕力で破壊して進む。
アルジェさんが残していった匂いを辿り、遺された母の匂いを目指す。
いくつかの部屋を通り抜けて地下へと降りると、そこには愛しい匂いと気にくわない臭いがあった。
母の香り。アルジェさんの香り。
そして、その二つに混ざった雑味とも言えるような不愉快な臭い。
怨敵の臭いだ。
「クソッ、クソ、クソ……! あの人外! なんてことをしてくれたんだ!! あの狐を殺すのに、どれだけ苦労したと思ってる!! クソが!! クソがっ!!」
怨敵は憎々しげな様子で、辺りに転がっている鎧を何度もを蹴り、汚い言葉を吐き出し続けている。
そうしながらも、毒々しい紫色の魔方陣の中心で、魔力を練り続けているようだ。
恐らくあの魔方陣は、母様から効率よく魔力を吸い取るためのものだろう。
対象から吸い取った魔力を消費して動き続ける、特殊なものだ。
昔、母がそういう魔方陣があるということを話してくれた。ある魔人族が考えた、とても恐ろしいものだと。
その魔方陣は今、とても淡い輝きを放っている。
おそらく核である母様がいなくなったことで、効果が切れかかっているのだろう。それを繋ぎ止めているのは、間違いなくあの男の魔力だ。
「この魔方陣だって、準備にどれほどの時間と贄を捧げたか! くそ、ようやく安定したが、長くは保てないか……こうなったら娘を呼び寄せて……!」
「私がどうかしたんですの?」
「……!?」
背後からかけられた声に驚いたのだろう。相手は勢いよく振り向いて、こちらを見た。
表情が明らかに動揺していたのは、ほんの一瞬。直ぐにその顔を歪める。明らかに下卑た、笑みの形に。
「やあ。クズハちゃんか。呼びに行く手間が省けたよ。その様子では、すべてを知ってここに来たということか」
「ええ。すべてを悟ったがゆえに、ここに」
「あの化け物の仕業か……あれがなんなのかは知らないが、どうやら君は一人で来たようだね。バカな子だ。わざわざ実験動物になりに来てくれるとは!」
「貴方は……!」
こんな男に母様は殺されたのか。私はこんなやつに騙されて、いいように使われていたのか。
全身の毛が逆立ち、殺意が滲む。目の前の怨敵を殺すべしと、私の心が叫ぶ。
その感情を私は圧し殺して、一歩を前に出る。分身体も全く同じ動きで、前進した。
相手を許すつもりは微塵もない。それでも問わなければならない。
悟るのではなく、知らなければ。
そうでなければ、納得できないから。
「貴方は何故、母と私を騙したんですの?」
「決まっているだろう。実験材料のためさ!」
「それは戦争を終わらせるため、平和のため、ですの?」
「ああ、その通り。私が終わらせるべきなんだよ、この戦争はね」
「……どういうことですの?」
「私はこんな小さな土地の領主で収まるような器じゃあないんだよ! 見たまえ! これだけの魔方陣を操り、君の母親の魔力から魔具すら造ってみせた!!」
相手が掲げるのは、私たちの毛並みと同じ色をした杖だ。
膨れ上がる魔力から感じるのは、母様の気配。
間違いない。あれは母様から魔力を奪って造られたものだ。
「九重舞台!!」
杖から放たれた魔力の帯が、周囲の鎧を動かし始める。
今目の前で起きていることは、私や母様の使う尾獣分身の応用だ。
私たちは尻尾を核に自分の魔力を宿して形を造り、分身として操る。
その形を造るという手順を省いて、最初から形になっているものを操っているのが、相手がしていることだ。
「私はもっと認められるべきだ! 重用されるべきなんだよ! これだけの才能と、力があるんだから!!」
「……愚かな人ですわね」
「なんだと!?」
自己顕示欲、劣等感、野心。
彼にあるのは、小さくて醜い感情だ。
平和ではなく、平和を生み出したことに付随する名声だけを見ている。そして自分の汚い本音を、きれいな言葉で飾り立てて悦に浸っているだけだ。
母様はどうして、こんな人に騙されたのだろう。母様は聡明だったから、すぐに解りそうなものなのに。
やはり父様が王国の人だったから、王国が荒れることを憂いたのだろうか。
それとも、子供の私が安心して暮らせるようにと、想ったのだろうか。
解らない。もう聞くことはできないから、想像するしかない。それを知ることは、永遠にできなくなってしまった。
ただ、涙が溢れて止まらない。
気持ちがこぼれて、留まらない。
殺意はある。憎しみも、怒りも。
けれどそれ以上に、今の私がしなければならないことがある。
「母の力を、そんなことには使わせません」
「安心しなよ。同じところに送ってあげる。そうやって憂いの涙を流す必要もなくなるさ!!」
「貴方の語り口調は酒酔いした人のようで不愉快ですの」
全身の血液が沸騰するような感覚。流れ続ける涙は、私の纏う風によって即座に舞い散っていく。
動き出した鎧たちは、明らかに害意をもってこちらに歩き出している。
私は空へ、そっと手を伸ばした。隣にいる分身もまったく同じ動きをする。
「「歪め断て。二重禍鼬」」
まったく同質の魔法を展開する、「重ね式」。これは母様から直伝された、私と母の得手。
鎌鼬を越える、強力すぎるがゆえに母からは「殺すことを意図しない限りは禁じ手」とされた魔法。天災の如き断絶の風が、室内を駆ける。
相手が手繰っていたすべての鎧は、バラバラになるまで捻じ切れ、刻まれる。
安全地帯は私の周囲と、怨敵の周囲のみ。
壁や床の魔方陣にすら、掻き毟るような傷を付ける。
これで、研究のための場所は台無しになった。
「なんだ!? 何が起こっている!? 子狐がこんなに強い力を……!?」
「自分しか見えてない貴方には、解らないんですのね」
「なに……!?」
「この程度が、母様の魔力の足元にも及ぶものですか」
「この程度で、母様の力が引き出せているものですか」
分身と共に、私は彼に歩み寄る。一歩一歩を緩く踏み、焦ることはない。
相手は明らかに怯えた様子で、杖を振り回した。魔力が集中するのを感じる。母の欠片にも、私の片鱗にも及ばないような力が。
「ふ、降れ! 雷よ!」
……なんて下らない。
避ける必要すら感じない。魔力を身体に集めて受ければ解決してしまう程度の弱い力だ。だから、そうした。
「ひっ……!?」
「この程度で、母の力を道具に込めた?」
「この程度で、母の全てを奪い取った?」
「「勘違いもいいところですわ」」
その勘違いごと壊さなければ。
これ以上こんな男に、誰も好きにはさせてなるものか。
私と母で、終わらせなければ。
「鎌鼬」
紡いだ魔法は、正しく私の望みを叶える。
風の刃は彼の右肩からを断ち斬り、母の杖と腕が傷だらけの地面に転がった。
「がああああ!? 痛いいぃぃぃぃ!?」
「自分しか見えていない貴方では、この程度ですわ」
「ひぃぃぃぃ!?」
「重用も、実績も、賛美も、貴方には重ねられない。何故ならばそれは、他者から与えられるものだから」
「自分だけの世界で酔い続ける貴方は、痛みで夢から覚めるといいですわ」
「た、たすけて……!」
「私は貴方を救いません。貴方の望みを壊します。けれど、卑しいだけのその命なんて欲しくもない。貴方のような殺人者になど、なりたくない。分身、その人を連れていきなさい」
「ええ。それでは、外で待っていますわ」
雑音を垂れ流すものを担いで、私の分身が地下室を後にする。
分身体に与えた魔力は潤沢。放っておいても一晩は自分の判断で動き続けられる分身たちだ。
先に送り込んだ分身の手が足りなければ手伝うし、領主が下らない口を利けば、追加で制裁を下すだろう。同じ心を共有して、同じだけの思考が行えるのだから。
「本当に下らない劣化品ですわね。自立行動もできないなんて、まさに一人舞台の重ね舞台ですの」
転がった杖へと歩み、それを拾う。側の腕は不愉快だから蹴り飛ばした。
「……母様」
懐かしい匂いがする杖を、私は抱き締める。
これは母様が最後に遺したものだ。望んでなどおらず、ひどく出来の悪いもので、恨むべき人が造ったものであったとしても。
私にとって、母を感じられる唯一のもの。
「……母様、私は行きます」
だからこそ、この杖は壊さなければならない。
こんなものは母様の本当の力でもなければ、母様の思いを叶えるものでもないから。
せめて最後は母様を感じながら葬ろう。
どうか母様に私の心が届くよう、送り火を。
「天上の華よ。我が母の……っ……手向けに……さきっ、咲き乱れっ、なさいっ! 狐火、火岸花!」
母がもっとも得意とした魔法。えづきながらもなんとか詠唱して、それを行使した。
今の私にはとても再現はできないけれど、真似事程度ならできる。
周囲に咲いた炎の花。それらはゆっくりと燃え広がり、部屋を包み込んでいく。
母が操る炎の美しさにも火力にも、遠く及ばない。母が彼岸を埋め尽くす華の群れなら、私の炎は小さな花畑とでも言うべきもの。
それでも私はこの魔法を使った。
彼岸の華は別れを告げるにふさわしく、何よりも母が得手とした魔法だから。
「……さよなら、母様」
母の力に別れを告げる。投げ捨てた杖はすぐに花の群れに飲み込まれて、消えてしまう。
流れる涙すら乾く熱気に、私は背を向けた。後はなにもしなくても、炎が地下と屋敷を灰にする。
母の力は葬った。
今度は、母の弔いをしなければ。




