一息の後で
「はぁ、こんなに疲れたのは久しぶりだよぉ……」
空を見上げるクロムちゃんの表情に、悔しさや憎悪はない。
どこかすっきりしたような顔で、彼女はこちらに視線を向けた。
「どうだぁ。前よりも、ずっと速くなってただろぉ?」
「……そうですね。正直、場所を整えていなければ危なかったと思います」
最初に戦っていたときのように地上であれば、まだクロムちゃんに勝ちの目があった。それくらいに、彼女は前以上に手強くなっていた。
ブラッドアームズで精製した鎖という場所で、空中戦でなければ、本当に危なかっただろう。寧ろあの状況で、虚を突かれたとはいえ首に手をかけられたのだ。
「……戦っているうちにぃ、分かったよぉ」
「なにがですか?」
「ボクはぁ、見て欲しかったんだなぁ」
よいしょ、という声と共に、クロムちゃんは起き上がる。
「裏の傭兵稼業をはじめてぇ、有名になってぇ……昔、孤児だった頃みたいにぃ、ボクを無視するような奴はいなくなったぁ。でもぉ……お前はぁ、ボクをあっさりと追い抜いてぇ、こっちを見てくれなかったぁ」
「あ……」
「それが、堪らなく悔しかったんだなぁ……ようやく、すっきりしたよぉ」
晴れやかな笑顔は、初めて見る表情だった。
……傷つけていた、ということですね。
戦った以上、それは仕方が無いことかもしれない。そもそもあのとき、襲ってきたのは彼女の方だ。
それでも、僕があまりにも彼女をぞんざいに扱ってしまったことで、必要以上に彼女を傷つけていたのかもしれない。
「クロムちゃん……」
「ごめんなさい、なんて言うなよぉ」
言おうとした言葉を先に潰されて、僕は押し黙った。
相手の顔は満足を得た様子で、嫌な雰囲気はない。
クロムちゃんは琥珀色の瞳を細めて、ただ笑った。
「勝てなかったのは悔しいけどぉ、手を抜かれるのも癪だったんだぁ。だから、これでいいんだよぉ」
「……分かりました」
相手からそこまで言われては、僕から言うことはなくなってしまう。
踏みにじってしまったことは本当だ。けれどすでにそのことを、クロムちゃんは己で納得をして、決着をつけてしまった。
だとしたら僕に出来ることは、やはり先ほどのように、きちんと戦うことだったのだろう。
「……それよりぃ」
「ふぇ?」
立ち上がったクロムちゃんが、僕の手を取る。
なんだろうと思ったのは一瞬。瞬きをする前に、僕の視界は回転した。
「ふにゃ……!?」
「ちょっと付き合えよぉ、ヴァンピールぅ!!」
景色が回った理由は、クロムちゃんが僕を抱き寄せて、さらうようにして跳躍したからだった。
「く、クロムちゃん……!?」
「ちょっとうるさいから離れるぞぉ! 舌噛むなよぉ!!」
言われなくても、さすがに喋るのは怖い。
自分が走るよりは遅いけれど、抱き上げられた状態で流れる景色というのは自分で走るのとはものが違う。
連続で加速が入れられて、景色がどんどん流れていく。集中しているならともかく、今の僕にはちょっと怖い。
「心配するなぁ! ちょっと周りがうるさいから誘拐するだけだぁ!」
「ゆうっ……!?」
どうしてそうなった。
わけが分かってないうちにも、景色はどんどん流れていく。
既に反乱軍の基地からは遠くは離れてしまっている。
……ええと、まだなにか怒らせたりとかしてましたっけ?
思い返してみると、思い当たる節しかない。
だって会う度についついからかってしまっている。主に胸のことで。
勝負の件はすっきり終わったようだけど、それ以外のことはまた別と考えていてもおかしくはない。
「よっとぉ……ここまで来ればいいだろぉ」
「ええと、ここは……」
「ボクもよく知らないよぉ。適当に離れただけなんだからぁ」
降ろされたので周囲を落ち着いて見渡すと、景色は森だった。
木々の葉っぱが頭上で揺れ、木漏れ日が差してくる。緑の匂いは優しくて、お昼寝したら気持ちがよさそうだった。
「……なんだか、はじめに会ったことを思い出しますね」
「んんぅ? あぁ、そういえばこんな森だったかぁ……」
思ったことを口にしてみると、クロムちゃんは納得した様子で周囲を見渡した。
一通り周辺を見て、彼女は改めてこちらを見る。琥珀色の目にはもう、嫌味のようなものはなかった。
クロムちゃんは僕の方へと歩み寄ってきて、ぐ、と服を引っ張って、自分の首元を露出させた。
ほっそりとした首元は、過去に噛みついたことのあるもので、いやでもそのときのことを思い出してしまう。
戸惑っていると、向こうの方から言葉がきた。
「ん」
「あ、の、えっと……」
「ん!」
「ええっと……」
「……前もこのやりとりやっただろぉ」
はあ、と溜め息を吐いて、クロムちゃんは僕の手を取った。
「吸えって言ってるんだよぉ」
「……そういう約束は、していなかったように思いますけど」
「前に戦ったときぃ、そうだっただろぉ。吸血鬼なんだからぁ、吸わなきゃ死んじゃうんだろうがぁ。良いから吸えってのぉ」
ぶっきらぼうに、けれどはっきりと口にされて、僕はなんとなく理解した。
「……もしかしてみんなのところから離れたのって」
「みんなの前で吸われるのはぁ、さすがに恥ずかしいだろうがぁ」
「……てっきり、さんざん胸のことでいじったから怒って説教かと思いました」
「お前やっぱりわざと言ってたんだなぁ!? そうだなぁ!? あとでどつくから覚えとけよぉ!?」
今じゃないんだ、なんて思っていると、ぐい、とこちらの頭が引き寄せられた。
抱き寄せられた先は首元で、ほんのりと汗の香りがする。当然か、あれだけ走り回ったのだから。
「……いっ、良いからぁ、吸えってのぉ。こっちは恥ずかしいんだぞぉ」
「あ……う……」
ごくん、と喉が鳴ったのは、前に吸血したときのことを思い出したから。
彼女の血の味のことは、もう知っている。
だからこうして目の前にこんなにも美味しそうな首を差し出されたら、思い出してしまう。欲しくなってしまう。
牙がうずく。彼女の真っ白な首に牙を突き立てたくてたまらない。
「あ、ん……」
涎がこぼれてしまいそうなほどに口をあけて、僕はクロムちゃんの首に牙を埋めた。




