狐娘の修練場
「あうっ」
ずん、と地面に頭をぶつけて、痛みに顔をしかめた。
土の匂いを振り払うようにして慌てて起き上がると、フェルノートさんが木剣を構えたままで、
「……クズハ、大丈夫?」
静かな言葉は、こちらの怪我を心配しているわけではなく、続けるのかという問いかけだった。
答えは当然ひとつで、私は言葉の代わりとして、分身とともに相手へと走る。
分身とともに入り乱れ、あらゆる方向からの同時攻撃。回避も防御も、ひとりでは手が足りないはず……!!
「多段同時攻撃。それはあなたの一番の強みだけど――」
「ふぎゅ!?」
「――気配でぜんぶ、分かるわ」
「ううぅ、まだ未熟ですの……」
相手の逃げ道を潰すように、厚みのある攻撃をしたつもりだった。
けれど相手は逃げたりはせず、寧ろ一瞬で分身をすべてさばき、本体である私を組み伏せてきた。
「そもそも、なぜ私が本物だと分かりましたの……?」
「本体が一番安全なところにいるでしょう」
「あぁ……」
端的な言葉だけど、確かにその通りだった。
分身はいくらでも生み出せるけれど、私はひとり。
それを理解している私と、その私から生まれた分身だからこそ、分身たちにはより危ない位置取りをさせてしまいがちだ。
「今日はここまでにしましょう。あんまり根を詰めても仕方ないでしょうから」
「ありがとうございましたわ、フェルノートさん」
「いいのよ。どこか痛む? 簡単な怪我なら、ヒールしてあげるわ。それとも、アルジェに治してもらう?」
「……申し訳ありませんが、お願いできますの?」
素直にお願いすると、フェルノートさんは微笑んで回復魔法をほどこしてくれる。
……見透かされてますわよねぇ。
アルジェさんに知られたくないことを、言わずとも気付かれている。
だからフェルノートさんはなにも言わずに私に付き合ってくれるし、こうして怪我の治療もしてくれるのだろう。
「ごめんなさいね、痛かったでしょう」
「いいえ、私が言い出したことですもの。構いませんわ」
木剣による打撲の痕と痛みはすっかりと消えている。
疲労までは回復していないけれど、そこまでいくとアルジェさんの領域だ。この疲れも私がまだ未熟であるという証として、しっかりと受け取ろう。
「――」
「リシェルさん、ありがとうございます」
心配そうに声をかけてくるリシェルさんに頭を下げると、安堵したような笑みが返ってきた。
言葉は通じないけれど、気をかけてくれているということは分かる。
「さっきも言ったけど、あんまり思い詰めない方がいいわよ」
「分かっておりますわ。私も、すぐにフェルノートさんや、アルジェさんに追いつけるとは思っておりませんもの」
私の母は、九本の尻尾を持つ大妖狐だった。
その娘である私の尻尾は未だ母には届かない。
フェルノートさんやアルジェさんは、本気になった母様と渡り合えるほどの実力者だ。尾の数が足りない子狐である私は、きっと並んで戦うには不足している。
事実、先日の模擬戦で、もしも自分が『黒曜』と戦っていたらと言う自問への答えがでていない。
「でも……大きな戦いを前に、甘えは許されませんもの」
「それが気負いすぎだって言ってるのよ」
「ふぁんっ」
ぺちん、とおでこを叩かれて、私は目を丸くした。
先ほどよりも開けた視界の中で、二色の目が優しく細められる。
「……あなたたち、似たもの友達よね」
「え、な、なにがですの!?」
「友達のことは凄く心配するのに、自分のことには無頓着すぎるのよ。ある意味バランス取れてるんでしょうけど、ひとりになると途端に心配になるわ」
「う……そ、そうでしょうか……」
自分ではそんなつもりはなかったのだけど、かなり心配させてしまっている気がする。
居づらさを感じつつ見上げると、向けられてくる表情はどこまでも優しい。自分が子供であると言われているようで、ちょっと気恥ずかしくもある。
「まあ、気持ちは分かるわ。足手まといにはなりたくないし、なにより……アルジェが大事なんでしょう?」
「それはもちろんですわ。フェルノートさんだってそうでしょう」
「あ、えーと、それはまぁ……まあちょっと意味が違うって言うか、好きは好きでもええと……」
「フェルノートさん?」
「なっ、なんでもないわ! 好きよ! 凄く好き! 私にとっても恩人だしね!」
元々、王国の騎士であるフェルノートさんは、任務中の怪我が元で一線を退いた。
その彼女の失われた視力を取り戻したのがアルジェさんであると、そう聞いている。
理由や経緯は違えど、私たちは同じようにアルジェさんに救われているのだ。
「だから気持ちは分かるから、空いてる時間でよければこうやって相手してあげるわ」
「ありがとうございますですの」
フェルノートさんの実力は、今までの旅で知っている。
だから安心して稽古を付けてもらえるので、全力で相手をしてもらっているところだ。
「……あんまり焦らないようにね。ほら、リシェルも心配そうにしてるし」
「――」
「……気をつけますわ」
焦るなと、そう言われる程度には心配されてしまっているのだ。
ずっと一緒に旅をしていた仲間からそう見えるなら、きっと私は焦っているのだろう。
落ち着くために息を整えれば、草の匂いが心地良い。訓練場が外にあるというのは、ちょっと気持ちが良いものだった。
「気分転換に、アルジェのところにでも行ってきたら? どうせ寝てるでしょうし」
「……そう、ですね。では、今日のところはこれくらいで。ありがとうございましたわ、フェルノートさん」
深々と頭を下げてから、私は訓練場をあとにした。
アルジェさんと会える。そう思うだけで、自然と歩調は早まり、尻尾は揺れていた。




