大人の時間
「……ぷはっ」
喉に落ちるのは果実の甘さで、残るのはアルコールの辛さだった。
久しぶりの感覚に身を委ねると、意識がふわりと浮かぶのを感じる。
いい気分になっていることを自覚しながら、私は対面に座る相手へと話しかける。
「……お酒に付き合え、なんて珍しいことを言うのね、アオバ?」
「ええ、まあ……果実酒の出来をみてもらうのに、ちょうど良いかと思いまして。というか、私以外で飲めそうな人がフェルノートさんしかいませんから」
「リシェルはダークエルフだから大丈夫だと思うけど……それにしても、果実酒ができる程度には、ここに滞在しているってことね」
確か今日で、ちょうど三十日くらいだったか。
滞在期間としては長いと思うけれど、やることが多いのでついつい忘れてしまいそうになる。
「まあ、これくらいは良いでしょう。準備期間なのだし」
「戦場で呑むわけにも行きませんからね」
「ところでこれ、呑みやすいわね。渋みもないし」
「ワインではありませんからね。果実を砂糖とお酒で漬け込んだものです」
「ふうん……」
はじめて呑むタイプのお酒だ。彼女が考案でもしたのだろうか。
彼女はシャーウッドという森の女王で、この戦争を終わらせることと引き換えに、領土を得るつもりらしい。
利害がはっきりしている相手というのはありがたいものだ。その利害が揺らがない限り、裏切りが発生しないのだから。
なによりアオバは、アルジェの知り合いらしい。ならば、信用していていいのだろう。
もう一口あおると、飲みやすいけれど酔いやすそうなお酒だということに気付く。酒豪と呼べるほどに呑めるわけではないので、ほどほどにしておこう。
「それにしても、嗜好品まで用意するなんてね」
「人が人らしくあるために、こういったものは必要です。私の森に人間はいませんが……心あるものは多くいて、彼らは人とそう変わりませんから」
「……そう」
アオバの言葉は凛と響く、つまりは揺るがないものだ。
いっそ頑なにも取れてしまうほどハッキリと断言出来るのは、彼女なりの理由があるのだろう。それを掘り返そうとまでは、思わなかった。
話されるなら聞くけれど、言ってこないということはそういうことなのだ。
「指導者のおかげか、和気あいあいとした雰囲気はできていますけど、全員ではありません」
「それは……仕方ないでしょう。家や、大事な人を失った人もいるわけだから」
「ええ。だから、そういう人がひとりでも、楽しいという気持ちを思い出せるように、お酒や、果物や、薬や、花を、造ろうと思ったんですよ」
グラスを揺らし、アオバは酒を一息で飲み干してしまう。
「……ええ。いい味ですね」
「呑めるのね……」
「というか、循環機能が強すぎてアルラウネは酔えないんですよ。だから、どれくらいのアルコールの強さか見るためにも、フェルノートさんをお誘いしたわけです」
……そういうことね。
理由に納得して、グラスの中に残った液体を眺める。果実の色なのか、ルビーのような紅色だ。
「ヤマモモというのですが、ご存知ですかね?」
「あまり聞いたことないわ」
「そうですか。私が品種改良したものですからね」
「あはっ。なにそれ、知るわけないじゃない」
「いえ、一応この世界に既にあるのかなぁと思いまして」
こういうしれっとしたところは、なんとなくアルジェに似ていると思ってしまう。
親戚とでも言われれば納得するのだけど、アルラウネと吸血鬼なので、それはないだろう。
「……帝国ねぇ」
懐かしい名前を、最近はよく聞くことになっている。
騎士として務めていたときには、何度も衝突した相手だ。けれど、今の帝国は昔よりもずっと厄介だと思う。
空を飛ぶ鉄の船に、猟犬部隊。そして人工精霊が宿った強力な魔具。
それらすべてがひとりの技術者によってもたらされたというのは、素直に驚きだ。
「昔でも思い出しますか?」
「そうね。少しだけ。でも、騎士時代よりは厄介そうよ」
「……玖音の家は、危険ですから」
「知ってるの? 私は聞いたことないのだけど」
「……まあ、少しだけ。噂程度ですね」
騎士時代に聞いたことがない名前ということは、隠居している間に有名になったか。
新聞は欠かさず読んでもらっていたつもりだけど、やはり一線を退いてしまうと最新の情報というのは手に入らなくなってしまうものだ。
「んー……まあ、あの飛行船くらいなら、五隻くらいなら墜とせるでしょうけど」
「今、割と聞き捨てならない感じの言葉が聞こえたんですが……」
「だってどう見ても移動は遅かったし、迎撃用の武装も大砲で、魔力的な機能は自分の存在を隠すだけでしょう? 下からこう、マテリアライゼーションでズドンとやれば」
「ズドン……」
なにかおかしなことを言っただろうか。少なくとも山を両断したり、黒曜を穿つほどの面倒さはないと思うのだけど。
微妙な顔をするアオバに首を傾げながら、私は残りの酒を飲み干す。すぐに追加が注がれてしまったので、迂闊に空けないようにしよう。
「……アオバは、この戦いが終わったらどうするの? 」
「それ、死亡フラグですね」
「ふら……?」
「ああ、いえ。なんでもありません。シャーウッドの女王として、アルジェさんを連れて凱旋ってところでしょうか」
「え、アルジェを連れていく気なの!?」
「ええ、まあ……元々そういう約束ですし」
初耳だったので、驚いてしまった。
「アルジェさんはもう、たくさん頑張りましたから。あとは私の森で、のんびりとした時間を生きてほしいんですよ」
「……あの子のこと、随分と気にかけているのね」
「それはもう、ずっと昔から」
語られる言葉は、まるで生まれる前からそうだったとでも言いたげなほどに、はっきりとしたものだった。
「フェルノートさんはどうするつもりです?」
「私、は……ええと……」
「個人的な見解ですけど、うまく戦争を収められたら救世主として担ぎあげられると思いますが」
「……あっ」
確かに、陛下だとそうするような気がする。
このまま帝国に乗り込んで戦争を止めたら、私の名前はどうしても知れ渡ることになる。そうなれば陛下は嬉々として、私のことを再び王国へと引っ張るだろう。
別にもう一度宮仕えになることが嫌な訳では無いけれど、あまり目立ちたくはないというのも本当だ。なんだかんだ、隠居生活も楽しかったのだから。
「その顔は、もしかして今気付いた感じですね?」
「……うぅ、どうしよう」
「ふふっ。いっそ私の森に、姿をくらましに来ますか?」
「か、考えておくわ……」
酔いが覚めるほどに冷や汗を垂らし始めたこちらを見て、アオバは楽しそうに微笑んだ。
「……ふふふ」
「な、なによ。楽しそうにして」
「いえ。勝つこと以外は考えてないんだなぁって」
「当たり前でしょうが」
負けたときのことを考えるなんて、それだけで逃げ腰だ。
勝つという強い意志があるからこそ、その先のことを考えられる。勝って生き残ると、強く思っているからこそ。
「きっちり勝って、終わらせて……みんなで帰るわよ、アオバ」
「ええ。もちろん。その時はまた、お酒でも呑みましょう」
「ふっ。良いわね、それ」
楽しみがもうひとつ、増えてしまった。
それを嫌だとは思わず、私は果実酒を飲み干した。




