映画でよく見るやつでした
「よいしょっと」
素早さ極振りの速度任せの軽業で、手近な家の壁を駆け上って屋根へと上がる。
そうして屋根の上に立って意識を集中すると、潮風の中に強い香りを感じた。サマカーさんがつけていた香水の、甘い香りだ。
町には多くの匂いがある。人の匂いというか、生活の匂いが。それらの匂いがあってなお、サマカーさんの香水の匂いはちゃんと判別できる。やっぱり振りすぎだ。
……港の方ですか。
結構足が早い。いや、それだけ急いだのか。
方角がわかったので、すぐに動く。屋根をぴょんぴょん飛び越えて、最短ルートでサマカーさんの元へ。
港に着くと、サマカーさんは忙しそうにあっちこっちに指示を飛ばしていた。それに合わせて、そっちこっちの人たちが右往左往している。
とりあえずは話をするために、僕は屋根から飛び降りてサマカーさんの目の前に着地した。
「アルジェント!? 何故こっちに来た!? 船なら出せんぞ!?」
「解ってますよ。バッカルコーンはどっちに?」
「アビスコールだ! 今ちょうど、向こうでうちの船が奴にダメージを与えている」
サマカーさんが指差す方向を目線で追う。
海の方角だ。それも相当遠い。それでも、そっちにそいつがいると解った。
視覚強化を使うまでもない。巨大な影とも言うべき存在が、海上で猛威を振るっている。
そいつは数多く腕を備えていた。その腕を縦横無尽に振るい、次々と武装した船を沈めていく。
対する船団が大砲で攻撃を加えても、せいぜい身体が軽く傾く程度のもの。直ぐに持ち直して、手近な船から沈めにかかる。
海という深淵に、船と人々を藻屑にして呼び込む邪悪の権化。まさに、深淵への呼び声。
「やだ……でっかいイカ……」
イカだった。
どう見てもイカだった。
完全にイカだった。
尋常じゃない大きさのイカだった。
ダイオウイカのような細身ではなくハリイカみたいな丸めのシルエットの、すっごい大きなイカ。
それがアビスコールの正体だった。結構美味しそうだった。
見た目はどう見てもイカだけど、やっていることは凶悪だ。巨大イカは何隻もの船を沈めている。
巨大海洋生物が大暴れ、なんてまるでB級映画みたいな光景だけど、きっと何人もの人間が死んでいるだろう。
「……ダメージ与えてるって言っても、どう見ても不利じゃないですか、あれは」
「奴が海にいる間は分が悪いのだ。だからああして体力を削っておき、港に近付いてきたら一気に倒す……それが最も、効率的なのだよ」
相手の土俵でまともにやりあわない。勝負の基本だ。
サマカーさんはそれを忠実に守っている。相手が自分のホームグラウンドにいる間は適度に相手をして、相手がこちらの領分に届いたら集中砲火という、実に正しい戦術だ。
今海で行われている戦闘も、なるべく港に被害を出さないように、先に一定のダメージを与えておこうと言うものだ。それは解る。解る、けれど。
「……あの船に乗ってる人たちは」
「彼らも納得済みだ。自分達が最も危険の大きい……捨て石のような役目だということは。それでも、こうしてやってくれている……応えねばならん」
淡々と言葉を繋げるサマカーさんの拳は、きつく握り締められていた。その様子を見て、本当に良い領主なんだと思った。
捨てるものと残るものを天秤にかけて、迷わず利益の出るバランスを選び取ることが出来て――それに心を痛められる人。
僕にはとても真似できそうにない。そもそもそんな責任がほしくない。
僕にできることは、もっと簡単でわかりやすいことだ。
「サマカーさん、あのでっかいイカをこれ以上の被害無しに退けられたら、嬉しいですか?」
「は? 急に何を……」
「いえ、だからこれ以上損害……人的損害も、物的損害も無しにあのイカの侵攻を止められたら、嬉しいですかって聞いてるんです」
「……当然だ。なにも失わずに得られるものがあるなら、それが最良だろう」
「解りました。それじゃあ今から僕の言うこと、ぜんぶ聞いてくれません?」
「……策があるのか?」
「はい。たぶん上手くいきます。いかなくても、迷惑かからないようにしますので」
「む……むむ……」
サマカーさんはかなり迷っているようだ。やはり、女性を戦わせたくないというのがあるのだろう。実は中身が男だなんて、想像もしてないだろうし。
「サマカーさん」
「な、なんだ?」
「僕の回復魔法、見てたんでしょう? 他にも色々得意なので、任せてください」
この後も暫くサマカーさんは悩んだけれど、結局は折れてくれた。
僕一人と後々のことを天秤にかけて、ちゃんと選んでくれたのだ。僕がアビスコールを倒せれば良し。もしも僕が失敗しても、その失敗を得るまでの時間を防衛の準備に費やせる。そういう判断を、してくれたということだ。
「それじゃ、急いで集めてきてください。それと今アビスコールと戦ってる船は、生きてる人を引き揚げたら全部下がらせてくださいね」
本当は怪我人の回復もしてあげたいけど、残念ながらその余裕はないのでそこはサマカーさんの方ででなんのとかしてもらおう。衛生兵とかいるだろうし。
「わかった……死ぬなよ、アルジェント」
「大丈夫ですよ。吸血鬼なんで、しぶといですから」
「はぁ!? 吸血鬼!?」
フェルノートさんには黙っていろと言われていたけど、これが終われば町を離れるのだから教えても構わないだろう。
呆然とするサマカーさんを「ほら早く」と言って急かしつつ、僕はあの大きなイカを退治するための準備を始めるのだった。
「……血の契約。使うのは初めてですね」
自分の技能はぜんぶ把握している。これだけやれることがあれば、なんとかなるでしょ。




