黒の伯爵
「……おお、そうか」
それは、向けられた攻撃に対してあまりにも場違いな言葉だった。
相手がこぼすのは、なんの心の揺れも感じられない響き。ただ物事を悟ったと、それだけの意味がある言葉だった。
「カースブレード!!」
「お前は我を憎むのだな」
数多の呪いの刃に貫かれてなお、彼はただ言葉を紡ぐ。
言葉を投げられた側であるエルシィさんは、視線だけで相手を殺してしまえそうなほどに紅色をぎらつかせていた。
今までに僕らに見せていた余裕は微塵もない。あれは怒りと憎悪に支配されて、理性を失った目だ。
「憎む、憎むと言ったのね!? その程度の言葉で済ませるのね!? だったら良いわ、殺す! 私が殺す!! 肉片のひとつ、魔力の残滓すら残さないわ!!」
エルシィさんの心に応えるようにして、キメラたちすらも彼に殺到した。
既にいくつもの刃に貫かれた彼の身体を完全に砕くために、あらゆる攻撃が叩き込まれる。
あるものは炎を吐き、あるものは腕を叩きつけ、またあるものは風の刃を振るう。
ひとりの相手に対して明らかに過剰な火力は、ただそれだけでエルシィさんの憎悪を物語っていた。
「残念だ」
だから、そんな声が聞こえることがそもそもおかしいのだ。
本来ならばとっくに呪いの力で動けないはず。そして無数の攻撃によって、エルシィさんの言葉通りに肉片ひとつ残っていないくてもおかしくはないはず。
だというのに、なんの感慨も籠もっていない声は確かに響いた。誰の耳にも届いて、身をこわばらせた。
「刃とはこう振るうのだ。……カースブレード」
「っ……避けて!!」
魔法を結ぶための言葉が紡がれて、一瞬で終わった。
伯爵と呼ばれた彼の身体から、無数の刃が放たれる。
それらはすべて正確にキメラを穿ち、縫い付けるようにして動きを止めた。
逃れることができたのは、攻撃を察知して声をあげたキメラたちの主であるエルシィさんと、その言葉に反応できたバンダースナッチのみだった。
「……『茨』」
そして、追加の言葉が空に響いた瞬間、茨の庭が出来上がった。
エルシィさんが造ったキメラたちは、身体の内部から食い破られるようにして刃を生やした。
当然それは、相手が使った魔法によるものなのだろう。突き立てた刃がそれだけで終わらず、内側から相手を完全に破壊するような魔法なのだ。
「こんなものか、金色」
つまらなさそうにそう言った相手は、いくつもの攻撃をくわえられたはずなのに、傷ひとつ無い。
防御などする素振りもなく、ただ黙って受けて、その上でなにひとつ意味を成していない。
それは圧倒的な力だった。エルシィさんのようにあらゆる手段で一軍に匹敵するのではなく、たったひとりで一軍を破壊し尽くすほどの暴力的な魔力の塊。
明確なひとつの災害であり、災厄と呼ぶにふさわしい存在が、そこにいた。
「……『黒』の伯爵。規格外の吸血鬼のひとりか」
アイリスさんが呟いた言葉は、何度か聞かされていた存在を示していた。
この世界にいる吸血鬼の中で、異常なまでの力を持っている三人の吸血鬼。
金の吸血姫、エルシィさん。紅の領主、ムツキさん。
三人の中の最後のひとりが、彼なのだろう。黒衣を纏い、闇そのものが歩くような彼の姿は、確かに黒と呼ぶに相応しい。
「あ……ぅ……」
同列に数えられている三人だというけれど、今の状況は明らかにエルシィさんが不利だった。
先ほどまでの憎悪の瞳を忘れたかのように、エルシィさんは震えている。それはまるで、大切なものを目の前で壊された無力な少女のようにすら見えた。
「……繰り返しだ、吸血姫よ。蝶よ華よと愛でられねば意味を成さない虚ろよ」
「い、や……」
「お前は戦いには向いていない。その中でそこまで練り上げた。災害ともてはやされるほどに己を高めた。認めよう。我ら三柱と人が呼ぶ中でもっとも弱く、狡猾な姫よ」
「やめて……」
「故に、言おう。憎悪によって支配された瞳で、単純な力比べで……我に勝ることは不可能だ。お前は……あの時と変わらず、姫のようにか弱いのだから」
「言うなぁぁぁっ!!!」
感情を爆発させて、エルシィさんは叫んだ。
練り上げられる魔力は、もはや暴走しているようにさえ見える。いや、実際のところ、彼女は完全に自分を見失っている。
きっと過去になにかがあったのだろう。もしかすると彼こそが、エルシィさんが男性を毛嫌いする理由なのかもしれない。
半狂乱になったエルシィさんは、それでも強力な魔法を行使した。過去にフェルノートさんに放ったものよりもずっと強力な闇の力には、僕でさえ正面から受けるのを避けたいほどの威力があることは明白だった。
「壊し尽くしなさい! カタストロフ……!!」
紡がれた魔法は、災害と呼んで差し支えないほどの威力だった。
周囲の建造物すらもまとめて砕いてしまうほどの破壊の渦は、目標を破壊し尽くすために躊躇いなく放たれた。
「ディザスタ」
もはや祈るようにすら聞こえた叫びに返されたのは、やはり感情の宿らない言葉だった。
伯爵が放った魔法は、エルシィさんと似ていた。渦を巻くようなふたつの破壊の力が、正面からぶつかり合う。
「あの日のように、もう一度教えよう。理不尽とは、こういうものだ」
「っ……あぁぁぁぁぁぁっ!!!」
叫びを飲み込むようにして、理不尽の渦が金色を喰った。




