日常の担い手
夜は吸血鬼の時間だけど、僕にとってはいつだって眠い時間だ。
そもそも転生する前は人間だった僕にとって、夜は眠りの時間以外の何物でもない。
それでも、やはり夜中にふと目覚めるときはある。
普段であれば無視して眠るところだけど、喉が渇いたので水を飲むためにキッチンへと足を運ぶことにした。
「あ……サツキさん」
「あらあら、アルジェちゃんがこんな時間に出てくるなんて、珍しいですね」
足を踏み入れたキッチンでは、この家の家主であるサツキさんがなにやら作業をしていた。
漂ってくる甘い匂いはバターやクリーム、チョコレートのもので、机の上には既にいくつものケーキが並べられている。
「……って、仕事着のままじゃないですか」
「すいません、着替えるのめんどくさくて」
今日はメイの手伝いをしていたので、僕の格好はいつものローブ姿ではなく、メイド服にも似た喫茶店制服だ。
仕事が終わったあとすぐに眠ってしまったので、着替えずにそのままでいてしまっている。お客さんの前ではないので、恥ずかしくはない。
「ちょっと新作のケーキを考えているところでして。散らかってしまってて申し訳ない」
キッチンに散らばってあるいくつもの調理器具やボウルからして、相当に試行錯誤したのだと分かる。
邪魔をしてしまったかとも思うけど、サツキさんはいつものようににこやかに僕を招いてくれた。
「お茶でも飲みに来たんですか?」
「ああいえ、お水でいいんですが……」
「せっかくなので温かいお茶を入れますよ。試作品で良ければケーキもありますから、少しゆっくりしていってください」
「……良いんですか?」
「あっはっは、ちょっと煮詰まってますからね。サツキちゃんも少し休憩するつもりなので、お気になさらずに」
そう言って胸を揺らすと、サツキさんはお茶の用意をしてくれた。
思いがけない夜のお茶会だけど、彼女のケーキは美味しいので、素直に喜んでおくことにする。
席に座って待っていると、温かい紅茶が入れられてきた。
きちんとお礼を述べてから飲むと、果物のように甘い香りが嗅覚をくすぐった。
「うーん、気分がスッキリしますねえ……あ、お好きなものをどうぞ。良ければ感想など貰えると嬉しいです」
「ええと、それじゃあ遠慮なく」
お言葉に甘えて、手近にあるチョコレート系のケーキを一口。
……あ、ちょっと苦い。
チョコレートなので甘いのかと思えば、舌に乗ってきたのは苦味だった。
香りを引き立てるように苦さが来て、生地の甘さとほどけるようにして喉を通っていく。
あとに残るのは、ほんの少しの甘い香りだった。
「……苦いのにさっぱりしてて、美味しいですね」
「あ、それなら良かった。それはチョコレートの香りは好きでも、甘すぎるのが苦手なお客様用のケーキなんですよ」
「いいと思いますよ。すごく美味しいです」
生地の優しい甘さによって、苦味を嫌味にしないように気を使っていることは明らかだ。サツキさんの心遣いが見える。
僕の言葉が嬉しかったのか、サツキさんはまるで少女のように無邪気に笑って、
「良かった。喜んでもらえて嬉しいです♪」
「……サツキさん、ずっとこんなことをしてるんですよね」
「あ、はい。そうですね。といっても、サツキちゃんは永遠の十七歳なので、そんなに長いことはしてませんよ?」
「ええと……そうですか」
実際は吸血鬼なのだから何百年と生きているのだろうけど、本人が頑なにそう言うのだから否定するのはやめておいた。
「……まあ、確かにちょっと長くなってきましたね。でもでも、アイリスちゃんとの約束ですし、ほかの人たちとも約束してますから」
「約束、ですか?」
疑問符に対して頷くサツキさんの瞳には、色々な感情が混ざっているように見えた。
懐かしむように細められた瞳は今にも泣き出しそうにも見えて、僕は思わず、彼女の目を見つめてしまう。
こちらの視線から目を逸らさずに、サツキさんは言葉を紡いだ。
「はじめは、アイリスちゃんを寂しがらせたくなかったからなんですよ。誰だっていつかは居なくなるけれど、それを悲しみだけで済ませて欲しくなかったのです」
「…………」
「私はただ、アイリスちゃんに、『誰もがいなくなるなら孤独でいれば寂しさを得なくて済む』なんて、言って欲しくなかったんですよ」
それは、アイリスさんにも聞いていたことだ。
このお店はサツキさんがアイリスさんのために建てたのだと、この間の夜に、僕は確かに聞いた。
「だから私はこのお店を建てて……そうしてたくさんのお客様を迎えて、そのうちに従業員も増えて……いつの間にか、たくさん約束が増えちゃったんですよ」
それはきっと、過ぎ去っていった人達のことなのだろう。
吸血鬼という長い時間を生きる種族であるサツキさんが見てきた、たくさんの人々。
そのひとりひとりを、サツキさんはきっと覚えているのだ。
「若い頃から腰が曲がるまで、ずっと通ってくれていた人がいました。ある日突然やってきて、常連になってくれた人がいました。親御さんの代から、お婆さんの代から、もっと昔から贔屓にしてくれる人たちもいました。一度しか来てくれなかった人もいました」
「…………」
「その中で、また美味しいケーキを楽しみにしてると言ってくれた人がたくさんいるんですよ。この場所が好きだから、ずっとあって欲しいと言ってくれた人たちが。私たちの存在を、当たり前の日常だと受け入れてくれた人たちが、この世界にはたくさんいるし、いたのです」
「……ここは、いいお店ですから」
「ふふ。ありがとうございます。だから私は、ここを守りたいのです。みんなの当たり前の日常の中に、このお店がある限り」
そう締めくくって、サツキさんは自分が作ったケーキのうちの一つを食べ始める。
「あ、美味しいですね、さすが私。でもこれもう少しコスト削減できませんかね……このままだと気軽に食べてもらうという、うちの基本方針が……ぐぬぬ……もうちょっと味も良くしたいし……」
メイはどう見ても繁盛しているお店だけど、やはりお店である以上、利益の問題はあるのだろう。赤字よりは黒字の方がいいのは当たり前のことだ。
サツキさんは自分のケーキを食べて顔を綻ばせつつも、悩んだ顔をするという器用なことを繰り返し行いつつ、テーブルの上に並んだケーキを片付けていく。
僕の方も商品開発の参考になればと思って、手近なケーキを食べては感想を渡す。
本来ならばお茶だけもらったらすぐに眠るところだけど、お世話になっている身なので、それくらいはしたい。
なにより、サツキさんのケーキは試作品でもとても美味しいのだ。
夜が深くなってきた頃には、テーブルのケーキはほとんど片付いていた。
「すみませんね、夜中に付き合わせてしまって」
「いえ、美味しかったので構いませんよ」
「そう言ってもらえると、試作しがいもありますね。アルジェちゃんはそろそろ出ていってしまいますから、いい思い出になりました」
「……また来ますから」
にっこりと笑うサツキさんに、僕は自然とそう言葉を作っていた。
これから先のことを考えると憂鬱になる。恐らくは戦いになるだろうし、玖音の家の人間が絡んでいるなら簡単には終わらない気がする。
だからこそ、ひとつくらいは楽しみが必要だと思う。
ちょっと変で騒がしい人たちばかりだけど、料理もケーキも飲み物も美味しくて、どこか安心してしまう雰囲気がある、喫茶店メイ。
このお店は、十分に楽しみに値する。
「ふふ、それは嬉しいですね。新しい約束が増えました。それじゃ、あとの片付けはサツキちゃんがやっておきますから、アルジェちゃんは寝てください」
「はい、それじゃお言葉に甘えて――」
――おやすみなさい。その言葉が、サツキさんの耳に届くことは無かった。
それよりも遥かに大きな轟音が、夜の優しい時間を破壊したからだった。
「っ……地震……!?」
「違います、これは……でも、どうして……!?」
ふらついたサツキさんの手を取って、僕は強い疑問符をこぼした。
遥か高空から、なにかが叩きつけられる音。不愉快なその響きを、聞き慣れ始めている自分がいた。




