それは久遠になく
「恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
王城の庭。夜風に当たれる場所で、青葉さんはこちらに頭を下げた。
「いえ、ちょっとびっくりしましたけど、大丈夫なら良かったです」
彼女をお風呂から連れ出して、回復魔法で体調を整えた後。僕は青葉さんに、夜の散歩に誘われた。
一応、今の僕はルルイエからの親善大使という身の上なので、自由気ままに観光というわけにも行かなければ、その辺でぐーすか眠るわけにもいかない。そもそも今の時刻は深夜だ。
つまり特に予定がなく、断る理由もないので散歩に付き合って、今に至るというわけだった。
「……未だに、人間の頃のクセが抜けきらないのです。私は元々、長風呂気質でしたから……アルラウネは熱に弱いのですね……初めて知りました」
青葉さんは少しだけ恥ずかしそうにうつむきながら、言葉を作った。
彼女は先ほどお風呂の中で僕になにかを言おうとしていたと思うのだけど、それを聞けるような雰囲気ではなさそうだ。
ただ、僕にとっては小さな約束だったことが、彼女にとってはとても大切なことだったのだということくらいは、なんとなく分かる。
「ごめんなさい、青葉さん。約束、果たせませんでしたね」
素直に謝罪して、頭を下げる。
僕にとっては小さなことだったけれど、青葉さんにとって、その約束は大きな意味を持っていたのだ。それこそ、生命を絶ててしまえるくらいには。
だとすれば、僕はきちんと謝るべきだと思う。
僕が望んだことではなかったとはいえ、僕は玖音の家で結果が残せず、そしてそのまま、永遠に眠ることになってしまった。誰にもさよならを告げられず、眠ったままであの世界を去った。
それが今、こうして言葉を交わせるのはとても不思議なめぐり合わせだけど、それでも僕たちは今、こうして向かい合っているのだ。
もう戻れない過去へと置いてきた約束のことを、謝ることができる。それはとても、貴重なことのように思えた。
「……構いません。こうしてまた、もう一度会えましたし、あなたはあの頃よりもずっと健全に、花咲こうとしている。私が見たかった景色は、今……確かにここにあるのですから」
「……ありがとうございます」
「でも、ダメですね……こうして向かい合ってしまうと、ワガママな自分が顔を出してしまいます。悪い心が芽吹いてしまいます」
「悪い、こころ……ですか?」
「はい。だって、私はあの頃、この世界ではない何処かで花開くあなたが見たいと思ったのに……今そうなろうとしているあなたが目の前にあって思うことは、そのあなたをもう少し近くで見たいとか、そういうことなのですから」
「……青葉さん」
まるで自分をたしなめて、押し込めるようにして言葉を作った彼女に、僕は自然と近づいていた。
差し伸べた手は、相手の肩に咲いている花に触れる。感覚があるのか、ん、とくすぐったそうな呼気が漏れた。
口をついて出る言葉は、自分の心からの気持ちだった。
「別に、それはおかしなことではないと思います。ひとつの望みが叶ったら、次を望んだり、たくさんの目標や、やりたいことを持つことは、悪いことではないと思いますよ」
「……銀士さん」
「アルジェです。アルジェント・ヴァンピール。今は、その名前のほうが気に入っています」
「……アルジェさん」
昔からの知り合いでも、今はそう呼ばれる方がしっくり来る。
やはり僕は、あの世界には合っていなかったのだろう。だから今、アルジェント・ヴァンピールとしてここにいるのが、心地いいのだ。
けれど、僕が玖音 銀士という名前だったこともまぎれもなく事実であり、捨てることのできない過去でもある。
その過去を知る人がこうして目の前にいる。だとしたら、僕はきっと、あの日に置いてきてしまった約束をもう一度果たすべきだろう。
「……青葉さん。遅くなりましたけど、お花見をしましょう。いいところを知っています。サクラノミヤっていう、桜の花が綺麗に咲くところです」
「サクラノミヤ……共和国の首都ですね。聞いたことはあります」
「はい。この世界に来て、いろいろなものを見ました。たくさんの人と出会って……昔のことが色あせてしまうくらい、たくさんの想い出ができました」
転生して出会った人たちや、立ち寄った場所は、どれも鮮明に思い出せるほどに色鮮やかに、僕の記憶に刻まれている。
三食昼寝におやつ付きでぐうたらしたい、というのが僕の目標なのは変わらないし、ときには問題が面倒くさくてげんなりとしたときもあったけれど、楽しいことだってたくさんあった。
「それを聞いてくれれば、きっと……青葉さんが僕のことを蕾のままだと思う気持ちも、変わると思います」
「……あなたも、欲張りになったんですね」
「そうかもしれませんね」
どちらともなく笑みがこぼれて、その声が夜空に消えていく。
湯上がりの身体が冷えていくことすら心地よく、僕たちは向き合っていた。
きっと玖音の家にいた頃よりもずっと自然に、言葉を交わしている。そう思える。
「……?」
だからこそ、その楽しさに水を差されることに、僕の嗅覚は敏感に反応した。
感じる臭いは明らかな不愉快であり、覚えがあるものだった。
それは鼻を突くように刺激する、冷たい臭い。
「……飛行船」
リシェルさんの領地で嗅いだ、機械と油の臭いだ。
それを自覚した瞬間、僕は空を見上げていた。
「アルジェさん? どうしたんですか?」
「……青葉さんに言わなくてはいけないことがあります」
「え……?」
「……今、この世界にいる玖音の関係者は、僕たちだけじゃないみたいです」
言葉を紡いだ瞬間に、それが来た。
大気を切り裂く音を伴って、無数のなにかが空から降ってくる。
そして、打撃の響きが夜の静寂を破壊した。




