お湯に流すだけでは済まないもの
「……と、見ての通り。余は王を名乗ってはいるが、身体そのものは女性である」
「はあ、そのようですね」
湯気が濃く漂う中で、王様は胸を張ってみせる。
全身の肌を晒した姿は、確かに女の人のものだった。
じっと見ているのも失礼なので目を逸らしつつ、僕は相手に声をかける。
「王様は……」
「名前で呼んで良いぞ。許す」
「……スバルさんは、どうして女の人であることを黙っているんですか?」
「理由は対外的なこともあれば、気分的なこともある。正確には、対外的なことのために男性として育てられたゆえ、気分的には男性だと言うだけだが」
そう語る彼……いや、彼女の口調からは悲壮なものが見えず、それが本心であるということが分かる。
つまり国としての体裁のために男として扱われ、本人もそれが当たり前であると認識していると、そういうことなのだろう。
王様の寝所で求婚をされた僕は、当たり前だけど返答に詰まった。なにせいきなり過ぎて、思考の方が追いつかなかった。
スバルさんはそんな僕を半ば無理矢理にお風呂まで引っ張ってきて、今はこうしてふたりでお湯に使って話しているというわけだ。
「このことを知っているのは、王国の中でもほんの一握りだ。その一握りの中に、先ほどひとり増えたわけだが」
「すみません、ちょっと気になったものですから」
「構わぬ。余はそれを許そう。その上で、改めて言おう。……后にならないか?」
「え、ええと……」
相手の瞳は真剣そのもので、冗談でもなんでもないことは理解できる。
展開は意味が分からないけれど、向けられる言葉が本心だということが、どうしても分かってしまう。
「ちょ、ちょっと落ち着きましょう」
「余は落ち着いているが」
「僕の方に落ち着く時間が欲しいんです。ちょっと話をさせてください」
「……良かろう。余は誠実な夫になるつもりだ。質問を許す」
もう夫婦になったつもりでいる辺り、サマカーさんとは違ったタイプの強引さだ。
少しだけ呆れつつも、僕は状況を理解するために、相手に向けて言葉を作る。
「まず大前提なんですが……どうして結婚しようなんて言い出したんですか」
「うむ。それはだな。余は今、色恋というものを勉強しているところなのだ」
「勉強段階でいきなり求婚ですか……」
いろいろと過程をすっ飛ばしすぎではないだろうか。
突っ込みたいところだけど、相手はまだ話すつもりらしいので、続く言葉を聞くことにした。
「サマカーや王城のもの、知り合いのアルラウネなど、いろいろなものに色恋とはなにかを聞き、そして今日、アルジェからも聞いた」
「……ええと、そんな話しましたっけ」
「ベッドのように安らげる相手と共にいたいと、言ったではないか」
言われてみれば、近いことを言ったような気がする。ベッドちゃんみたく安心できる相手に養ってもらいたいとか、そんな感じのことを。
ぼんやりと思い出していると、スバルさんはうんうんと頷いて、
「試しに隣で寝てみたのだが、とても寝心地が良かった。それに、アルジェは余が女性だと気づいただろう。知られてしまったからには、身内に引き入れてしまう方が早い。その上、海洋資源の豊富な国からの親善大使なら、結婚はお互いの友好の証として、対外的にもいいことだ。まして、潮風の天使と呼ばれるほどの才媛なら、我が国にとって大きく有益である」
「…………」
「む、どうかしたか?」
「……飛躍してると思いましたけど、聞いてみるとびっくりするほど筋が通ってるなと」
素直な感想を述べると、スバルさんは、ふむ、と考え込むようにしてお湯に沈んだ。
金色の髪がお湯に広がるのを止めること無く、彼女は半ば泳ぐようにしてこちらへとやってくる。
特に離れる理由もないので拒まずにいると、自然と隣に座られた。
向けられる瞳は、吸い込まれるのではないかと思うような深さだった。
「確かに、余は少しばかり飛躍していると見られがちだが、これでも自分の中では深く考えてから喋っているぞ」
相手の表情は至って大真面目であり、嘘はないことはすぐに分かる。
たぶん、彼女は人よりもずっと思考が早いのだ。答えに至るまでの無数の悩みを、高速で処理できるのだろう。
結果として、人から見ればいきなり答えを導き出したように見えるし、突拍子がないようにも思われてしまう。
けれど、実際には彼女の中ではしっかりと悩み、考えた上の結論なのだろう。
「というわけだ。早速明日にでも婚礼の準備をしようと思うのだが」
「ちょ、ちょっと待ってください、それは流石に展開早すぎです」
だからって巻き込まれても困る。ちょっと落ち着いてもらおう。
こちらの落ち着けというポーズに、スバルさんは乗り出しかけた身を戻して、
「む……ダメか?」
「ダメ、というか……ええと」
「自慢ではないが、余はこの国の王だぞ。権力もあれば財力もある。戦時下という問題はあるが、それも余の代で終戦させる予定だ。婚礼する相手としては、なかなかいいと思うのだが」
「……立場ができるとやらないといけないことが多いのでしょう? 僕としては、三食昼寝におやつつきで、ぐうたらに養ってもらいたいので」
「……むぅ。それは、王妃という立場ではちょっと難しいかもしれぬな……」
やはりサマカーさんがいつか僕に言ったとおり、僕という存在の有用性は向こうも理解していて、そこはきっちりと使うつもりでいたらしい。
そういった打算を隠さないのだから、やはり本質は悪い人ではないのだろう。民や部下には慕われているようだし、女性であることを隠しているとしても、スバルさんがいい王様であることは間違いない。
ただ、いくらいい人だったとしても、その考え方は僕の目的とは外れてしまう。
僕の目的は、三食昼寝におやつつきで養ってもらうこと。吸血鬼となった今では、そこに血液もつけてくれるとなお良しだ。
財力や権力、家柄なんかは本人の言うとおりに優良物件なのは本当だけど、そのために働けと言われると、僕としてはノーと答えるしか無い。
「……くすくす」
「え……?」
ふと、聞こえてくるものがあった。
それは鈴を転がすような、女性の笑い声であり、どこか聞き覚えのある響きだった。
ゆらりとお湯を分け入るようにして現れたのは、緑色の肌。
その色は明らかに人間が持つようなものではなく、それだけで目の前の相手が人外だということが分かる。
現れた相手に鋭い目を向け、スバルさんは口を開いた。
「……余の湯浴みの最中にやってくるとは、よもや暗殺か?」
「まさか。ただ王様が楽しそうにしていらっしゃったので、気になっただけです。前にも言いましたが……花が咲くのに、許可は不要でしょう?」
「……許す。お前には出会ったときに知られていた。今更、隠すような間柄でもあるまいよ」
「ふふ……ありがとうごいます」
王様の言葉に紅の瞳を弓にして、相手は一礼をする。
その動作によって、黒髪に結ばれたふたつの鈴が、ちりんと音を奏でる。
彼女の緑色の肌は、まるで豪華絢爛な着物であるかのように、無数の花によって飾られていた。
「…………」
一瞬で、僕は目を奪われた。その姿に、ひどく懐かしいものを見たからだ。
いつか座敷牢の向こうで微笑んでくれた相手。
いつか僕という死人のために、活けられた華。
いつか手のひらに残された、あたたかな感触。
いつか花見をしようと約束をした、華の女性。
「紹介しよう、アルジェ。我が国と同盟関係にある、シャーウッドの女王……アルラウネのアオバだ」
遙か久遠に置いてきたはずの青葉という名前を、僕は再び聞くことになった。




