たいせつの扱い方
「……ふ」
息を吐くような言葉とともに、矢が放たれる。
魔力によって生成された弓矢は風と草を散らして飛び、正確に目標を射抜いた。
「やはり、見知ったところでの狩りは捗るものです」
「そういうものですか?」
「空気や風の流れ、獲物の動き、地形がすべて頭には入っていますから」
僕の疑問に対して柔らかく微笑んで、リシェルさんは己が構えていた弓を下げた。
『落華流彗』。持ち主の魔力を弓矢として精製するという力を持った、魔具と呼ばれる特別な道具。
流麗なデザインは視線が吸い込まれるように美しくて、ちょっと触れてみたくなる。もちろん狩りの邪魔なので、好奇心は脇に置いておく。
リシェルさんから狩りの手伝いをしてほしいと頼まれた僕は、いい加減フェルノートさんからの視線が厳しいのもあって、素直にお手伝いに出ることにした。
手伝いと言っても大したことはなく、せいぜい自生した果実をブラッドボックスに収納する程度のことだ。
ほとんどの仕事はリシェルさんと、それに付きそう10人程度のダークエルフたちによって行われている。
今も、リシェルさんが仕留めた鹿に似た獲物を、ダークエルフの男性が数人がかりで解体している。残りのダークエルフたちは他の獲物を探したり、木の実や野草の収穫で、あちこちに動き回っていた。
そんな風景をぼんやりと眺めながら、僕はリシェルさんに言葉を投げた。
「この様子では、僕の手伝いは必要ないように思うんですが」
「そう……で、ございましょうね。今日のはただ、わたくしの我儘ですから」
「はあ……我儘、ですか?」
「はい」
にっこりと笑みを深くして、リシェルさんは長耳をぴこんぴこんと揺らした。なんだか嬉しそうだ。
こんな面倒くさがりを連れてきてなにが嬉しいのかは分からないけど、リシェルさんが喜んでるならいいか。
そうして雑談を重ねながら、射撃も重なっていく。積み上がった『成果』は恐らく、本日の糧になるのだろう。
「これくらいでいいか……?」
「いや。お嬢様がお戻りになったんだぞ、もっと必要だろう」
「そういえばそうか……森の恵みに感謝して、続けるか」
「そうよね。よくお嬢様の食欲を受け止めてると思うわ。森の恵み……」
うんうんとその場にいるほぼ全員が頷く辺り、やはりあの異常な食欲はダークエルフ特有ではなく、リシェルさん個人のものだったらしい。
「アルジェ様、どうかなさいましたか?」
「いえ、今ちょっと森の恵みの凄さに思いを馳せていました」
「そうでしたか……確かに、常々感謝しなければいけないものですからね。皆様、わたくしとアルジェ様はもう少し西へ移動します。残りの方角をお任せ致しますね」
「いいんですか、お嬢様」
「手分けしたほうが早く終わりましょう。早く終われば、皆様のお休みが増えるということですから。……この周辺は森が深く、侵入者もまずありえませんが、必ず数人での行動をするように」
「はい! お嬢様!」
リシェルさんが慣れた様子できぱきと指示出しをして、ダークエルフたちが素早くそれに従う。
こうしていると、やはりリシェルさんも領主なのだということを実感する。それも領民から慕われ、いくつもの困難を乗り越えてきた、立派な領主だということを。
凛とした雰囲気を放つリシェルさんは、今までの旅では弓を射るときくらいのもので、普段は柔らかな印象が強かった。その彼女が、こうして多くの人に指示を下しているというのは、見ていて新鮮でもあった。
狩りに出てきたメンバーが全員散っていくのを確認してから、彼女は満足そうに頷いた。金色の髪を揺らしてこちらへと向けられた笑みは、いつも通りの優しげなものだ。
「それではアルジェ様、こちらへ。足元など、お気をつけを」
「ありがとうございます、リシェルさん。でも、僕とふたりでいいんですか? お肉の解体とか、ぜんぜんできないんですけど」
「はい、それはもう。むしろわたくしが、アルジェ様と共に歩きたいのですから」
どういうわけか嬉しそうに微笑んで、リシェルさんは僕を案内するように先へ行く。
森は相変わらず湿度が多く、ローブを着ていると汗がじんわりと滲む。けれどそこまで不愉快というわけではないのは、集落からほど近いからだろうか。
足元も歩きづらいというほどではなく、のんびりとした歩調なら景色を楽しむ余裕すらあるようなもの。
ゆっくりと流れる時間と、湿った風。そして近くに感じる人里に匂いを感じながら歩いていると、リシェルさんから声がかかった。
「この森は良いところでございましょう? 好きなだけいてくださって、構いませんからね」
「はあ、ありがとうございます」
正直なところ待遇がすごく快適なので、好きなだけと言われるともうずっとここに滞在していたいくらいだけど、そうするとフェルノートさんはやっぱり渋い顔をするだろうか。
……それはちょっと困るかなぁ。
フェルノートさんが呆れた顔をするのはいつものことだけど、彼女は基本的には真面目な人物だ。僕が本気でぐうたらを始めたら止めようとするだろう。
もちろん止められたくらいで僕の面倒くさがりな性格は治らないだろうけど、そうなったらフェルノートさんもさすがに怒ったりしないだろうか。そうなるとすごく困る。だって話長そうなんだもん。
「…………」
「アルジェ様? 難しい顔をなさっていますが……」
「ん? ああ、すみません……このままずっとここにいたら、フェルノートさんが働け、と迫ってきそうでどうしたものかなと」
「ふふ。仲が宜しいんですね?」
「……どうなんでしょうね」
仲が良い、という評価に対して、僕は即答することができなかった。
仲が悪いのかと問われれば、そうでもないと思う。
フェルノートさんとは少しの間、同じ家で暮らしていたし、その間も怒られることはよくあったけれど、嫌われているような雰囲気ではなかった。もちろん僕だって、嫌いではないからこそ一緒にいたのだし。
「仲が悪いわけではないと思いますが、よく怒られてますよ?」
「それはフェルノート様が、アルジェ様のことを大切に想ってらっしゃるからですよ」
「……そういうものなんですか?」
「……ええと」
リシェルさんは僕の言葉に一瞬だけ面食らったような顔をして、少しだけ考えるような仕草をした。
なんというべきか、言葉を探している雰囲気だ。ややってから、リシェルさんはこちらに確かめるようにして、ゆっくりと言葉を作り始める。
「アルジェ様は吸血鬼――それは正確に言うのであれば、わたくしたちダークエルフが祀る、聖霊様たちと同じ特性を持っています」
「はあ、そうらしいですね」
ここまでの話で聞いた限り、この世界の吸血鬼というのは闇属性の魔力が意思を持った存在らしい。
イグジスタもお互いに同じ存在だというようなことを言っていたので、吸血鬼と精霊は同じ特性であるというリシェルさんの評価は間違っていないだろう。
「ええ。であれば、アルジェ様は単一の存在なので、分からないのも無理はありません。人間やダークエルフのように、子を成して次へ遺す、という特性を持っている種族は、時折、自分の子供や、大切な人を怒ることで、なにかを伝えることもあるのです」
「……そういうものですか」
正確にはリシェルさんの言うことは、少しだけ間違いだ。
僕は元々人間。つまり彼女が言うように、子を成して次へ伝えていくタイプの種族だったこともある。
……うちは違いましたが。
僕が生きてきた玖音の家は、そういったことはなかった。
優秀であるかどうかを判定して、不適格であれば捨てる。
僕にとってはそれが普通で当たり前のことだったのだけど……。
「なるほど。つまりフェルノートさんは、本気で僕をまともにするつもりだったんですね」
「はい。なので、フェルノート様はアルジェ様のことを本当に大切に想っていらっしゃるのです」
「いつも怒られるのは、呆れから来る怒りだとばかり思っていました」
「ええと、あの……恐らくはそれもほんの少し、少しだけはあるのではないかと……」
あ、やっぱりちょっとはあるんだそういうの。
「こほん……とにかく、愛情の示し方にもいろいろあるものなのです、アルジェ様」
「そうですね。僕の知り合いにも、妻が三十人とか四十人いる人がいるので、そういうのはなんとなく分かります」
「……それは恐らく、その、人間ではなくかなり特殊な種族なのではないかと……」
「いえ、人間でキノコです」
「人間でキノコ……!?」
凄い顔をされたけど、嘘は一言も言っていないので仕方ない。
リシェルさんは暫く驚いた顔をしたあとで、ゆっくりと首を振った。
「いえ。今は良いでしょう。少しばかり、驚きましたが……とにかく、アルジェ様に理解していただければ、幸いです」
「ええ、分かりました。ありがとうございます、リシェルさん」
恐らくはリシェルさんなりに、こちらに気を遣ってくれたのだろう。
僕の返事に安堵したように、リシェルさんは息を吐いて、頷いた。
薄い金色の髪を揺らして微笑む彼女から、なんとなく視線を外せないでいると、いつの間にか手を取られていた。
手を繋ぐ必要はない。そう思いながらも、僕は反射的に握られた手を握り返した。
「……ところで、アルジェ様。そろそろわたくしの方からも、個人的なお礼がしたいのですが」
「お礼ですか? 充分にしてもらっていると思いますが……」
「それは殆どわたくしの領地の民たちがしてくださっていることです。それとは別に、わたくしになにかできないものかと」
「んー……そう言われても、今は特に困っていたりとか、なにが欲しいとか無いというか……むしろ現状維持で毎日ゴロゴロが幸せというか……」
またフェルノートさんが怒りそうな言葉だけど、実際僕としては今の状況には満足している。
魔大陸は危険なところだということを理解はしつつも、ダークエルフ領での扱いはひどく居心地が良くて、離れがたいのは事実だ。ほんと、ここが平和な土地ならこのまま腰を落ち着けたいくらいに。
けれど、相手はそれではどうも納得ができないらしい。
リシェルさんは眉根を寄せ、数秒ほど思案顔をした。そうしてぱっと顔を明るくして、
「では、わたくしからはこちらを」
するりと、ごく自然に。
リシェルさんが僕の懐へとやってくる。
ふいに近付かれたことで嗅覚に触れた香りは、果物のように甘くて、優しい匂い。
「っ……」
なにより、至近距離になったことで普段意識していなかった匂いを強く感じてしまう。
吸血鬼として、僕がどうしようもなく求めてしまうもの。求めずにはいられないもの。
すなわち、リシェルさんの血の匂いを。




