前線の領主様
「……で、結局ついてきたわけか」
「ええ。ここまで来てなにかあっても困るもの」
フェルノートさんが言うことももっともだった。
僕たちの旅の目的は、リシェルさんを無事に領地へ送り届けること。そのために魔大陸にまでやってきたのだ。ここで問題が起きたら、今までの苦労が水の泡になってしまう。
そんなわけで、ゼノくん以外のメンバーはムツキさんと共に城下町の外へとやってきた。ゼノくんは本格的な戦闘になると足手まといになると言って、城下町の方で馬と一緒に避難している。
「僕は向こうで寝ていたかったんですが」
正直な話、ゼノくんがかなり羨ましい。僕もそっちで戦闘が終わるまでぐうすか寝ていたかった。
愚痴をこぼすと、クズハちゃんがまあまあという感じで、
「怪我をしたらアルジェさんが頼りですもの、仕方ありませんわ」
クズハちゃんの言うように、僕の回復魔法は死んでさえいなければあらゆる傷を治すことができる強力なものだ。
そういう理由で自分が連れて来られたことは分かるのだけど、それとこれとは別だ。戦闘なんて心底面倒くさい。
「それにしても……本当にひとりで片付けてしまうつもりなんですか?」
「王様が最前線、それもひとりで戦うってどうなのよ……他に戦力、いないの?」
「いないわけじゃないが、俺一人で片付くだろうからな。戦力は他の仕事に回してるんだよ」
「……まあいいわ。噂に聞いた紅の領主の実力、見てみたいしね」
そう結論して、フェルノートさんはムツキさんから視線を外した。
フェルノートさんが見る方向、つまり僕たちの正面に広がっているのは、広大な草原。背の低い草が多く、遮蔽物は殆ど無い。
大軍を展開するのに向いている場所で、僕たちはたった五人で敵の到着を待っているというような状況だ。
「おじさま。どうやら、いらっしゃったようです」
視覚に優れたリシェルさんが反応した直後。草原の向こうから、無数の影が現れた。
それは身長二メートルから三メートルはある、巨体の群れ。シルエットは人間に近いけど、大きさはかなりのものだ。
彼らは一様に黒い二本角を持ち、顔はいかつく、筋肉質な身体からは力が有り余っている様子が見て取れた。
「鬼族、ですわね」
クズハちゃんが呟いている間にも、影は数を増やしていく。
瞬く間に草原は黒い影で埋め尽くされた。
鬼族は皆、身体に甲冑のような鎧を着込み、刀や弓で武装している。身体の大きさに見合うように作られた武器は、明らかに凶悪な殺傷能力を秘めていた。
彼らは規則正しく整列して、動きを止める。どうやら一度、こちらに相対する形で停まるつもりのようだ。
「二百……はいるでしょうか」
「アルジェ様。正確には、二百五十三人ほどです」
「二百でも三百でもいいがな……さて」
軽い調子で、ムツキさんが一歩を前に出る。彼は気軽な様子で鬼の群れを見渡して、
「お前ら、本当にやる気か? 今なら前の族長の顔を立てて、無かったことにしてやるが」
「当たり前だ!!!」
疑問符に大声量での答えが返ってきた。
ムツキさんと同じように、鬼族の群れから一歩を前に踏んだのは、一際大きな鬼の男性。
恐らくは名誉の負傷なのだろう。半ばから折れた右の角が印象的な鬼族は、高らかに吠えた。
「俺は前族長のように弱腰じゃねえ! この俺が族長になったからには、今までのようにはいかねえぞ!! 我が鬼族は魔大陸のすべてを手中に収め、ゆくゆくは大陸の支配にも乗り出すつもりだ!!」
「ふーん……あっそ」
「あっそ、だと……!?」
あまりにも素っ気ないムツキさんの態度に苛立ったのだろう。ただでさえ怖い顔を更に歪めて、鬼の族長は声を荒げた。
明らかな怒気と膨れ上がる殺気を涼しい顔で受け止めて、ムツキさんは肩をすくめる。
「そんなセリフ、魔大陸で暮らしてるうちに五百回は聞いたわ。夢を見るのは勝手だが、少しは現実を見ろ。あと、お前は父親、前の族長から――」
「――殺す!!」
言葉を紡ぎ終わるよりも早く、相手が動いていた。
ぐん、と伸びてきた踏み込みはその巨体に似合わないほどに早い。大きな歩幅のせいもあるだろうけれど、ほんの一瞬でムツキさんの目の前にまで接近した。
既に武器である大刀は振りかぶられている。厚みも長さも人間ほどもあるような、もはや刃というよりは鉄塊のような輝きが。
「親父も、お前も、もう古い時代の遺物だ! それを教えてやる、この一刀でな!!」
「ムツキさん……!?」
「ああ、心配するな、クズハ。問題ない」
慌てて前に出ようとしてクズハちゃんを、ムツキさんが制する。
その瞬間にはもう、大刀は振り下ろされていた。
「ずえええぇぇい!!!」
斬るというよりは、叩き潰す音がした。
刃が肉に当たる音はずん、と重く響き、周囲に衝撃波すら発生させるほどの威力だった。
恐らくは直撃すれば死体すら残るかも怪しい。それほどの威力があることが、ここからでも感じられる大上段での一撃必殺。
「ぎっ……!?」
「まあ、こんなもんか」
それを指一本で止めてしまうムツキさんは、どれだけ規格外なのだろう。
「な、に、あれ……」
フェルノートさんが呆然とした声を出す。
クズハちゃんも同様に、絶句した顔をしている。
鬼族の長の一撃は、間違いなく必殺と言える一撃だった。まともに当たればまず助からないし、助かるとしても、傷一つ無いというのはあり得ない。
そのあり得ないことを、エルシィさんとは別次元の規格外をやってのけた彼は、しげしげと自分の指先に触れる輝きを眺めて、
「確かに、前の族長より良い腕だな。武器もあの頃よりもいい。攻撃も、速度も、『頑強さ』も。お前らは昔よりずっと強くなったよ」
「な、なにを……言っている!?」
「だが、イマイチ話を聞かないのは昔からだな。自分の父親からちゃんと聞かなかったのか? なんでお前の父親が、魔大陸を征服するなんてバカなことを言わなくなったのか」
ぞわりと肌が粟立ったのは、ムツキさんから漏れ出た魔力が肌を撫でたから。
それまでは軽い調子で笑っていた彼の雰囲気が、明らかに変わる。
溢れた魔力は魔法ではなく、別のものに消費された。周辺の空気が変わり、どくんと大地が脈打つ感覚がしたのだ。
「この、感覚……まさか――」
「――この大地そのものが、魔具なんですの……!?」
「そういうことだ。ほら、お前ら。……月は出ているか?」
その言葉に、誰もが空を見上げた。
空に浮かぶ月は、いつの間にか鮮血のように紅く、紅く。
紅の月光が降り注ぎ、怪しく大地を照らす。
幻想的でもあり、幻惑的でもあるような光景の中で、ムツキさんは吸血鬼特有の牙を惜しげもなく晒し、獰猛に笑った。
「開け、『月紅の庭』。そして跪け、侵略者。ここは、俺の国だ」
踏み込みは緩やかに見えたけれど、実際には鬼族の長以上に高速だった。
五指を開いた掌底は真っ直ぐに鎧に叩き込まれ、それを一瞬で砕く。
大刀の一撃以上の衝撃波が発生し、ムツキさんの倍以上はある背丈の相手が木の葉のように吹き飛んだ。
「お前らは強いから、手加減はしておくぞ」
「あの、ムツキさん、今の……」
「俺の魔具は『月紅の庭』。効果は単純。範囲内の俺の敵の技能以外のすべてのステータスを、俺に上乗せする」
「なっ……無茶苦茶じゃないの、それ!?」
「大地そのものだから効果範囲が決まってるがな。ただ、少なくとも俺の領地の中でなら、相手が強いほど、そして相手が多いほど、俺に負けはない」
断言するような口調は、ただ事実を述べているだけというような雰囲気だ。
ムツキさんは面倒くさそうにごきりと首を鳴らし、改めて鬼の軍勢を眺めた。
明らかに怯んだ様子の群れに向けて、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お前らは強い。その力があれば、十分に領地を守れるだろう。それで満足できないなら……自分たちがどれだけ強いのか、そこで伸びてる族長と同じように、嫌ってほど味わっていくか?」
言葉に応えるものは、誰もいない。
その時点で、勝敗が完全に決してしまったのは明白だった。




