商人さんと吸血鬼さん
浮かんでいる。
ここは水中であり、水中ではない。女王に話を聞く限り、ここはエラ呼吸と肺呼吸の海魔族、両方に対応するために用意した特殊な空間なのだという。
水の中のように泳ぎ、浮かぶことも、陸のように歩き、行き交うことも出来る。
その中で俺は、身体を横にして浮かんでいた。
海流が起こす揺りかごのような流れの中で、俺は思案する。
……いいところだなぁ。
生活の整備は行き届き、治安は良く、笑顔が絶えない。
俺が始めて行く町でまず見るのは、道だ。経験則ではあるが、足元を整えているところは、だいたいがいい町だった。
この海底都市は歩く必要の無い種族も多いというのに、しっかりと道が整備されている。
それはこの町の技術の高さももちろん、トップである女王の気配りも見て取れるもの。
また、魔物に対しての備えも万全で、常に都市の周りを海魔族の兵士が巡回して、対応しているという。
風ではなく海流に混ざる潮の香りを感じながら、俺は瞳を開けた。
「だとすれば、女王は何を求めている……?」
分からないのは、そこだ。
この都市は十分に完結していて、つまりは平和だ。
食料自給率も百パーセント――海中なので魚の数を考えると当然といえば当然だが――そんな都市は、世界中を探してもそうそうない。
海底という立地ゆえに外の国との繋がりがないが、それで問題がないような状態なのだ。経済も食料も防衛も、すべてひとつの国の中でまかなえる。なんと言ったか、こういうのは……。
「アー……アーコ……なんだっけな」
「アーコロジー?」
「あ、そう、それです」
共和国語では、完全環境都市、だったか。一つの都市機能の中で、生産や消費の全てが完結する空間。
つまり外部との交流――行商人や国家間のやり取りを介さなくても、住人が生活できる場ということだ。
「……って、よく知ってますね、アルジェさん」
ふわりと銀髪を浮かせて現れたのは、麗しい姿をした吸血鬼。
アルジェント・ヴァンピール。どこか不思議な雰囲気を漂わせている、絶世の美少女だ。
彼女は銀の髪と衣服の端を、まるで魚の尻尾のように揺らして着地した。どうやら、泳いでここまで来たらしい。
海底にあっても眩しい、細く白い足につい目を奪われてしまう。
アルジェさんは眠そうな瞳をさらに眠そうに歪め、欠伸をひとつ。それからこちらに向けて言葉を作った。
「昔、SF映画とかで見たもので」
「えすえふ……?」
「ああ、いえ。なんでもないです。気にしないでください」
失言した。そんな顔をして、アルジェさんはゆっくりと首を振る。
時折、彼女にはそんな時がある。こちらの知らない言葉や知識を持っていて、それがこぼれると、言葉を濁すのだ。
なぜそんなことを知っているのか、その言葉の意味がなんなのか。商人としても個人としても興味は尽きないが、追求する気は無い。
彼女は俺の恩人。知られたくないことを暴かない理由は、それで充分だろう。
行商人だからこそ、信用や信頼という言葉は大切にしたい。自分のものも、他人のものも。
根無し草の俺にとって、それはなかなか得がたいものなのだ。
「調子はどうですか、ゼノくん」
気軽な様子で話しかけてきたアルジェさんが、こちらになにかを投げてくる。
地上ではなく海中ゆえに、ふわりとこちらに来たそれを受け取ってみれば、葡萄にも似た海藻。
「海ぶどう……どうもありがとうございます。そこそこですよ」
厚意に感謝して、何度か食べたことのある食感を楽しむ。
……そこそこ、か。
アルジェさんに返答したように、調子はそこそこだ。
この町のことはかなり分かってきたし、完成度の高さに驚いている。
特に海の底という性質上、非常に鮮度の高い海由来の素材は、商人としてはかなり魅力的に映る。
だが、それだけだ。
客人として俺たちを招いた意味も分からなければ、見せたところでなんの意図があるのかも分からない。
「まあ、完全環境都市、というのは少し違う気もしますね。襲撃してきた魔物は食べているようですし、沈んだ船などから回収した物資、硬貨などが流通しているみたいですから」
「確かにアルジェさんの言う通りですね……でもそれは、拾い物をしているだけです。外部との交流を必要としない、という意味では完全ではあります。見たところ、ここの海魔族は人間を襲ったりはしていないようですし、そういう意味でも平和かと」
アルジェさんの言うそれは、降ってきた雨水を利用しているようなものだ。交流とは違う。
海魔族の中には海を荒らすという理由から人間を嫌うものも多いのに、それもない。寧ろ客人として歓迎されている。
友好の必要も敵対する意思もない。
つまり交流する意味もないのに、俺たちをこうして招いて、もてなしている。それが一番の不明点だ。
そして、女王はあの日からなにも言っては来ない。こちらになにかを求めるような素振りがないのだ。
「いったい女王がなにを考えているのか、それだけが不明なところですね」
「ふむ……」
アルジェさんも同じことを考えていて、だから俺のところに来たのだろう。でなければ、調子はどうかなんて聞きはしない。
元々アルジェさんにとって、この旅は予定になかった。彼女は俺に恩があると言い、それを返さないと気が済まないと言うからこうして同道してくれている。そのため、早くこの旅を終わらせたいのだろう。
「……なんかめんどくさくなってきましたね」
「え?」
「いえだから、もうめんどくさいんで聞きに行きましょう。いい加減飽きましたから」
言うが早いか、アルジェさんは俺の手を握った。
どきりとしたのも束の間。彼女は即座に大地を蹴り、浮遊する。当然手を引かれている俺も、浮かぶことになる。
「確か中心に見える大きなお屋敷がそうでしょう?」
「え、ええ……」
「泳げばすぐですね、行きましょう」
そう言って、アルジェさんは俺を引っ張ってくれる。
銀色の髪は海の中で、幻想的に揺れた。
まるで妖精のようでもあり、幻のようでもある。触れた手のぬくもりはどきりとするようなあたたかさで、彼女の存在を伝えてくれる。
眠たげな瞳は儚いようにも見えて、瞬きの瞬間に消えてしまいそうに思えてしまった。
「どうしたんですか、ゼノくん?」
「あ、ああっ、いえ……なんでもありません」
見惚れていた、なんて言えるはずもなく。
女王の屋敷に着くまでの時間、夢のようだと思いながらひとときを過ごした。
女王の元に行くまでに、浮ついた心を落ち着かせなければ。




