水の都でのんびりと
「……はぷっ」
焼きたての魚の横っ腹に、遠慮することなく牙を立てる。
ぱり、と焼けた皮を貫いて身がほどければ、口の中に広がるのは淡白だけどしっかりとした魚の味。火を通されることで脂の甘みがしっかりと舌の上で溶け出して、いい感じだ。
見た目こそサンマのような魚だけど、味は鯛に似ている。正直言ってすごく美味しい。
唇の端についた魚の身をぺろりと舐め取りつつ、よく味わう。
絶妙な焼き加減にされた魚の身はほこほこしていて、噛み砕くごとに美味しさが味覚を満たしてくる。
「……美味しいですね、これ」
「そりゃ良かった、お客人。味わってくれよ?」
「ええ、ありがとうございます……でも、不思議ですね。海底都市で、焼き魚を食べられるって」
「ここはクティーラ様が魔法で作った特別な空間でなあ。海魔族には肺呼吸のやつもエラ呼吸のやつもいるんだが、どっちも呼吸ができるし、火も使える。水の中であって、水の中ではないらしいんだが……ただの屋台の店主の俺には、詳しいことは分からん!」
かっかっか、と大口を開けて笑うのは、タコのような顔をした海魔族。声とテンションからして、男性だろう。
海魔族の領域であるこの海底都市にやってきて、数日が経過していた。数日と言っても、ここには光が届かないので実際の時間は謎だ。
改めて歩いてみると、町の様子はひどく平和で、随分と整っている。
いろいろな姿をした海魔族だけど、それらが喧嘩をするわけでもなく、仲良く暮らしている。町を少し歩けばそこかしこで談笑する様子が見られるし、馬車……と言っていいのかは微妙だけど、大きなタツノオトシゴに似た魔物が引く車なども走っている。
町のあちこちに設けられた街灯には炎ではなく発光する虫が入れられているらしく、生き物が放つ優しい光が石造りの町を照らしている。海ホタル、という深海由来の生物らしい。
町並みをぼうっと眺めつつ、ゆっくりと焼き魚を味わう。骨や尻尾だけをきれいに残して食べきって、食べられない部分を店主さんに渡してお礼を言ってから、僕は歩き出した。
水の中ということもあって、踏み出す足の重さは地面とは違う。まとわりつくような感覚にはじめは戸惑ったけど、慣れてくればちょっと楽しい。ようは呼吸ができる水の中、ということだ。
少しだけ力を入れて踏み出せば、ふわり。重力から逃れるように、身体が浮かぶ。いくつかの建物を飛び越えて、別の路地までひとっ飛び。
「……ちょっと楽しいから困りますね」
舞い上がらないようにと押さえていたスカートから手を離して、僕は再び町を歩く。
「銀髪のお客人、こんにちわ!」
「ええ、こんにちわ」
「お客人、今日はどちらへ!?」
「お昼寝しやすいところを探します」
歩いているだけで、あちらこちらから声をかけられる。話かけてくるのは、当たり前だけど海魔族ばかりだ。
警戒されるどころか随分とフレンドリーだし、先程のようになにか欲しければ普通にシリル硬貨で買い物ができる。
町並みは整えられているし、言語は共和国語で、通貨のシステムが住民にしっかりと浸透していて、平和だ。
ただ、町並みを歩いていて、どこか不思議な感覚を得ることがしばしばある。
……どこかで見たような気がしますね。
歩いていて、どこか既視感を覚える。まるで何処かで見たような景色のように感じてしまうのだ。
もちろん、こんな景色を見るのはこの世界に生まれてからどころか、前世でも見たことはない。海底都市を歩くなんて、間違いなく初めての経験だ。
それなのになぜ、こんな気持ちになるのだろう。どこか懐かしいような、不思議な気分だ。
深く息を吸い込めば、感じるのは潮の香り。呼吸のできる海水というのは不思議な気分だけど、嗅覚に触る濃厚な香りは間違いなく海のもの。
記憶が頭の隅に引っかかって出てこない感覚には気持ち悪さを感じるけれど、話しかけてくれる人たちは優しいので、この町自体は嫌いではない。むしろお昼寝はしやすい環境なので、居心地は良いほうだと思う。
朝夕の概念がないというか、時間感覚がないのがちょっと不思議な感覚だけど、悪いところではない。
「アルジェ!」
「あ、フェルノートさん」
思考に沈みかけたところで、知り合いから声がかかった。
フェルノートさんは先ほどの僕のように、道を歩くのではなく水中を泳ぐようにしてやってくる。
あたたかな印象のある茶色のサイドテールを魚の尻尾のようになびかせて、彼女は僕の隣へ着地。水の中でも圧倒的な存在感を持つふたつの胸が、無重力にも似た空間でふわりと揺れた。
「揺れますね……」
「ええ、そうね。髪が揺れるから、いつもよりきちんとくくってあるのよ」
髪のことでは無かったのだけど、訂正するとまた過剰に反応しそうなので放置しておくことにした。
「ふふ、そう。アルジェったらそういうのが分かるようになったのね……いいことだわ、うん。女の子ですものね」
よく分からないけど、満足げなフェルノートさんに水を差すのも、ちょっとはばかられることだし。
とりあえず、相手は僕のところに来た。だとしたら、なにか用があるということだ。聞いてみるとしよう。
「ところでフェルノートさん、なにか御用ですか?」
「いえ、特に急ぎの用はないのだけれど……はい、これ」
そう言ってフェルノートさんが、あるものを手渡してくる。
緩やかな風のような海流の影響でゆらゆらと揺れるのは、小さなマスカットに似ている海藻だ。
異世界での呼び名は知らないけど、僕の知識に当てはめると、それは覚えのあるものだった。
「海ぶどう……」
「あ、もう知ってたの? なんでもここで栽培しているらしいのだけど、美味しいからアルジェが気にいるかなと思って」
どうやら言語翻訳の効果で、うまく伝わってくれたらしい。
渡されたものを口の中に入れると、ぷちりと弾ける食感が楽しい。さっぱりとした味は物足りなくも感じるけど、まだ口の中に残っていた魚の味が流れてくれるので、気分がすっきりした。
「良いところね、ここは」
「フェルノートさんも、そう思いますか?」
「ええ。平和だし、きちんと町として整備されている。貧富の差も健全な範囲だし、孤児も見当たらない……正直、深海には危険な魔物も多いし、もっと荒れていてもおかしくないと思ったのだけど」
フェルノートさんも僕と同じ意見だったようで、しきりに周囲を見渡している。
「海の底に、こんなにしっかりした町があるなんて……世界のすべてを知っているなんて驕ってはいなかったけど、驚きだわ。世の中広いわね。初めて見るものばかりで、正直言って楽しいわ」
感嘆したような声を出すフェルノートさんの隣を、小さな魚が泳いでいく。
匂いも感じられるし、息もできて、視界も十分にひらけている不思議な海底。風が流れるようにして、海流が肌を撫でていくのが心地いい。
フェルノートさんの言うとおり、この町ははじめて見るものばかりだ。
なのにどうして、僕はこんなにも既視感を覚えているのだろう。
「アルジェ、どうしたの?」
「……いいえ、なんでもありません」
原因不明の違和感を覚えながらも、僕はフェルノートさんにそれを言わなかった。
もしこれが前世に関係することなら、彼女に言っても仕方がないことだから。
少なくとも、違和感の正体が分かるまでは黙っておいたほうが良さそうだ。




