36話 心情
春樹の部屋で二人向き合う私と遠藤さん。
「いやー、あの時は本当に傑作だったよな」
正面に立つ私を見ながら、過去の出来事を饒舌に話す遠藤さんを見て……戦慄した。
「おまえもそう思うだろう、深瀬?」
目を大きく見開いて、自分がしてきたことを堂々と彼女は熱弁する。
「玩具って……いうのは……?」
遠藤さんがそう形容している言葉の意味がよくわからなかった。
「ずっとさ、退屈なんだよ。その退屈を、心の渇きを満たしてくれる……そんな存在だよ」
「それが春樹だったってこと、なの……?」
笑みを見せながら過去の出来事を語った遠藤さんを見て私は恐怖した。
……そして思った。
この人は異常だ。
あきらかに普通ではない。
こんな人が……春樹と、ずっと一緒にいたなんて……。
「どうしたよ深瀬。私の話を聞いても、結構落ち着いてるじゃないか?」
落ち着いてなんていない。
頭がパニック状態になりそうだった。
冷静になるように大きく息を吐いて、私たちの間に沈黙の時間が流れる。
「美和と田宮先生が同時にいなくなったのは、遠藤さんが何かしたの?」
少し落ち着いてきた頭を整理してから質問をぶつける。
「いや。田宮が辰巳との関係を自分から学校側に自白して、ああいう展開になった。教師だった田宮は懲戒免職か自主退職を択ばされることになった。辰巳は田宮との関係が親にバレただろうから転校になったんだろうな」
馬鹿な奴らだ、と言葉を続ける遠藤さんは過去の出来事を包み隠すことなく答える。
「まあ、そのおかげで私が後処理をしなくて済んだからな」
後処理というのは田宮先生と美和のことを何らかの方法で口封じするつもりだったことだろう。
さっき聞いた遠藤さんの過去の行動力から想像すると、どんな恐ろしい手段を用いたのか……考えたくもない。
体が震える。
真相がはっきりと浮き彫りになってきて……楽しそうに話をする遠藤さんを見て……段々と怒りが湧いてくる。
「なんで、私の家に海星高校の招待状を……入れたの……?なんのために……?」
田宮先生や千田先輩から遠藤さんの話を聞いて、彼女がとんでもないことを裏で画策していた可能性を初めて感じ取った。
でも、これだけはよくわからない。
なぜ、海星高校の文化祭の招待状を私の家のポストに入れたのか。
その結果、私は絶交されていた春樹と少しだけ話をすることができた。
「あー……別に。忘れたな……」
さっきまであれだけ饒舌に話をしていたのに、この質問にだけは言葉を濁した。
緊張と怒りで呼吸が荒くなる。
再び落ち着くよう大きく息を吐いて……遠藤さんの目を見て私は核心をつく。
「遠藤さんは……春樹のことが……好き、だったの?」
彼女が春樹のことを退屈を紛らわせる、心の渇きを潤してくれる存在だって表現していたけれど……。
異性として好きだったから、彼を独占したかったから、それらの行動を取ったのではないかと私は少し感じていた。
遠藤さんがしてきたことは客観的に見ても許されることじゃない。
でも……春樹のことが好きで、どうしても自分の隣にいてほしくて……。
そんなふうに想っていて行動を起こしてしまったのなら……私に彼女を責める資格があるだろうか?
「ふっ、ははっ……。なんだって……?好き?私が……浅野を?」
恋人である春樹のことを『浅野』と苗字で読んだ彼女を見て、背筋が凍った。
「そんなわけねぇだろうが。今の話聞いて、私が浅野に惚れてるとでも思ったのか?」
さっきまで口角を上げて話していたのに、殺気立った目つきで私のことを睨みつけてくる。
「あいつは……浅野春樹は、私にとって玩具。それ以上でも以下でもない」
それ聞いた直後……私の中で迷いは断ち切れた。
もしかたら、遠藤さんも私と同じなんじゃないのかな?
子供だった故に、間違いを起こしてしまったのかな?
でも……違った。
遠藤さんは私たちなんかよりも大人の思考を持ち合わせていた。
ただその考え方が、恐ろしく幼稚で狡猾で飛躍していた。
「遠藤さん……」
すかさず私は遠藤さんの目の前まで接近し、彼女を睨み返す。
「良い表情してるな、深瀬。そそられるなぁ」
私の憤りを感じているはずなのに、遠藤さんはまったく動じない。
「別れて……」
「はあ?なに?」
もう限界だった。
自然と握りこぶしに力が入る。
全身が震えて、悲しくて悔しくて情けくて涙が溢れてくる。
「春樹と別れてって言ってるの!」
「なんで?どうしようと私の勝手だろう?」
「その勝手が皆の心に傷を作ったんだよ!」
遠藤さんにはまったくと言っていいほど罪悪感がないのだろうか。
私の言葉や態度なんて意に介していない。
「ははっ。勘違いするなよ、深瀬。私の行動が事を荒立てて拍車をかけたことは事実だけど、すべての要因はおまえだろうが。おまえの陰口が、弱い心が、汚い独占欲が、この状況を作ったんだよ」
「わかってるよ!そんなこと!!」
わかってる。上手く利用されたとしても、発端は私自身。
そんなことは理解してるし、言い訳なんてしない。
でも、この人だけは……遠藤さんだけは許すことができない。
「偶然おまえと合コンで再開したって浅野から聞いた時は呆れたよ。昔のことだから気にしていないって、冷静に気取りやがって。あいつはお人好しだからな。いや、ただの馬鹿なのかもしれないな」
「春樹はただ優しいだけ!馬鹿なんかじゃない!」
そう、春樹はただ優しいだけなんだ。
合コンで再開した時も私が昔のことで悩まないように言葉を選んでくれて、気遣ってくれて。
そして恐らく……遠藤さんのことも。
「良かったな、深瀬。100パーセント自分が悪いと思っていたところ、まさかの黒幕が判明して私にすべての責任を転嫁することができる状況が出来上がったんだから」
「そんなこと考えてない!皆、悪いところはあったよ。でも後悔して反省して、前に進もうとしている」
千田先輩も美和も田宮先生も、皆が苦しんだ。
そして、きっと……春樹も。
「自分の欲求を満たしたかっただけの遠藤さんが一番春樹のことを裏切ってる!」
「どうでもいいな。別に浅野にどんなふうに思われようと気にしない」
「じゃあ別れて!春樹と別れてよ!もう彼に近づかないで!」
高ぶってしまった感情をコントロールできずに、遠藤さんの胸ぐらを掴んで大声で叫んだ。
私が涙を流しながら何を言っても彼女には何も響いてないように感じて虚しさが込み上げてくる。
「…………ああ、別にいいけど。別れれば良いんだろう?そうしてやるよ」
遠藤さんのその言葉を聞いて、私の全身の力が抜けた。
掴んでいた胸ぐらを放して、呆気に取られてしまった。
「なんだよ。私の回答が意外か?」
「さ、さっきは……春樹のことを玩具って言ってたじゃない。どうして、そんなあっさり」
「同じ玩具ばかりで遊んでると飽きるだろう?もう浅野とは……7年ぐらい付き合ってるからな」
7年……。私は春樹と10年一緒にいた。
それでも彼と一緒にいる時間が退屈だとか、そんなふうに思ったことはなかった。
もっと一緒にいたい、彼の特別になりたい。
日に日にそんな想いが強くなる一方だった。
「浅野はおまえのこと嫌いじゃないみたいだし、これからまた関係を築いていけば良いんじゃねぇの」
「待って!」
私の隣を通り過ぎてリビングを出て行こうとする遠藤さんの腕を掴んで引き留めた。
さっき聞いた彼女の過去の行いが事実なら、このまま帰すわけにはいかない。
今も何かとんでもないことを考えていて、この後更なる悲劇が待っているかもしれない。
「なんだよ?放せよ」
「なにを考えてるの?」
「はあ?なにがだよ?」
「本当に春樹と別れてくれるの?」
「だからそう言ってるだろうが!」
私の質問に機嫌を悪くしたのか今度は遠藤さんが声を荒げた。
「もう春樹には近づかないで」
「うるせぇな!」
遠藤さんは強引に私の腕を振り払った。
露骨に機嫌が悪い今の彼女は少し冷静さを欠いているようにも見える。
「おまえはこれから浅野とよろしくやっていけばいいだろうが。それとも何かアドバイスでもしてほしいのか?そうだ、あいつの好きな体位でも教えてやろうか?あいつの童貞を奪ったのは私だし────」
部屋に乾いた音が響いた。
遠藤さんが喋っている途中だったけれど、私の頭に再び血がのぼった。
気がつけば、遠藤さんの頬を強く叩いてしまっていた。
「あー……ふふっ。良い表情するじゃないか、深瀬」
私の怒りと悲しみに満ちている表情が面白いのか、遠藤さんは笑みを見せる。
やっぱりこの人は異常者だ。
でも……そんふうに切り捨ててはいけない。
大学で心理学を学んだり、フリースクールや家庭教師で色んな境遇の子供たちと関わってきて、わかったことがある。
この人は過去に何かしらの心の傷を抱えている可能性がある。
それが家庭内なのか学校だったのかはわからないけれど、遠藤さんの心は……もしかしたら……。
「遠藤さん……7年間も春樹と一緒に過ごしてどうだった?」
「はあ?なんだそれ?」
「私はね。春樹と一緒にいた10年間はすごく楽しかったよ」
眉間にしわを寄せる遠藤さんは私に背を向けて歩き出す。
もう話すことはない、とでも言うように……。
「待って、遠藤さん。春樹はきっと」
私は少し悩んでからリビングを出ていった遠藤さんの後を追いかけた。
玄関で立ち尽くしている遠藤さんの後ろ姿が目に入る。
それと同時にもう一人、この部屋の家主を私の視界が捉えて全身に緊張が走った。
いつからそこにいたのか。
さっきの遠藤さんと私の話を聞かれていたのだろうか。
「聖菜……」
遠藤さんの名前を呼んで悲しげな表情をしている春樹の姿を見るのが、私にはたまらくつらかった。
遠藤さんは今、どんな顔をしているのだろうか?
後ろ姿しか見えない彼女の表情を伺うことはできなかった。




