【獏】‐Baku‐
魔法省の役人達が学校に訪れているため、授業はなく、ほとんどの生徒は各寮の自分の部屋で休んでいることだろう。
騒ぎも落ち着き、静かな夕暮れ時。
──舞台はドラゴネス魔法学校の植物園のような建物。
【魔法薬学】の教室である。
俺は床に押し倒され、動きを止められた。
それなりに勢いがあったのか机がいくつか倒れている。
のしかかっているテレムは動揺しているのか呼吸が乱れる。
これを目撃されてしまったら勘違いがおきそうだが、決してBL小説の書き出しではない。
真実に行き着いた探偵と崖っぷちに追い込まれた事件の黒幕が対峙する場面のはずである。
「全てお前が陰で手を引いていたのだろう。転生者を誘拐し、他人の記憶を保存出来る【黒玉】を製造。そして記憶をいじり『自分こそが黒幕である』と思い込ませたブラックに売らせていた」
「言いがかりはやめてくれよ。オレは潔白だ」
「A:アラック。B:バナモルブ。C:クルガルフェ。D:デエニヒル(兄)。E:デエニヒル(弟)。F:フェー。G:ゴルメス。──こいつらは【ウロボロス寮との魔法戦】で俺達に手を貸してくれた【リヴァイアサン寮生】だ」
「義理堅いよな。それがどうした?」
「ブラックの密売に関わっていた令嬢達の話を聞くに全員【黒玉使用者】だった。お前は【黒玉】に何らかの細工を施して、いわゆる[親友状態]みたいなデバフを付与出来るんじゃないか?」
「推測で物事を語るなよ。オレのコミュニケーション能力あってこそのものだ。それにデバフじゃなくてバフだろ」
証拠能力が薄いと思ったのか、顔の力みと俺の腕を押さえつける力が少しだけゆるむ。
「そもそも前提自体が脈略のない作り話じゃないか。『記憶を保存』だの、『記憶をいじり』だの。そんな高度な魔法は人間に扱えるはずがない。ましてや魔力の放出しか出来ないオレにそんな芸当──」
「何故なら、お前は[獏]だからな」
「……正しい根拠を言え」
うまく隠せていると思っているようだが、あからさまではないか。
「地理に詳しい生徒にとある質問をしたろ」──「何?」──「『ジェレミー・ブレット国はどこにあるのか』」──とっさに考えた架空の国名。──「ああ、したさ。聞いたことなかったしな。で、そんな国ないってさ」
「[獏]という種族は情報に貪欲だ。知らないことは聞かなければ気が済まない」
まるで計算通りといった顔でドヤ顔しているが、あの時点で[獏]が関わっている確信はなかったため、ぶっちゃけはったり。
しかしまったく効果はなかったようでテレムは大口を開けて笑い出す。
「ただの質問で。そんなことで[獏]だって? アルバちゃんて実はおバカキャラですか」
「問題は好奇心ではなく。どうして地理の教師ではなく生徒に聞いたかだ。一対一で話せない理由があるのだろう。例えば生徒のふりをした部外者とかな」
この学校の生徒数は3000を超える。
記憶力の良い教師でも完全に全生徒の顔を憶えることなど不可能だろう。
しかし生徒手帳の確認や、名簿を持ち出される危険があると考えた。
「生徒名簿に【テレム・モリセウス】は載っていなかった」
「見落としだ。なんらかの不備だと思うな。だってそうだろ? それってつまりこの名門学校が部外者を野放しにしてるってことじゃないか。警備は何をしていた。校長は生徒数を管理してるんだろ」
「校長が認知できるのは[人間種]。だからこの学校の生徒は全員[人間]だ。警備に関しては数人[親友状態]を付与しておけばいい」
「なに鼻高々に! オレは人間だ。憶測だけで話すな──……」
拘束された左腕をほどきテレムの頬を擦る。
化粧でもしていたのか汗と一緒に拭き取られる肌色。
現れたのは白と黒の肌。
「水魔法で身体が濡れた時、お前はフードで顔を隠していた。どうだ、決定打を提示してやった。──付け加えるのならお前の魔法属性は水ではない。その手袋、デザインは異なるが魔法道具[水属性変換手袋]だろう」
俺達が【リヴァイアサン寮】に入る際に使った魔法道具。
魔力属性を変えるだけで水属性魔法を扱えるわけではない為、『魔力の放出しか出来ない』とした。
「はは、ここまで詰められちゃ認めるしかないわな。流石は親友。オレの事をちゃんと見てくれていたんだな」
テレムは嬉しそうに微笑む。
──手袋を外すと、黒く濁った青の魔力色に変わる。
【闇系統記憶属性】の[獏]。
「なら認めるんだな。自分が真の黒幕だと。……ダリア嬢はどこにいる?」
「ダリアちゃん。いや、あの根暗女を探しに来たんだったか。大丈夫だ、呼吸の仕方さえ忘れてなけりゃあ、まだ無事だ。ただ、見つけるには厄介な場所にいる。この学校じゃ、オレしか辿り着けないんじゃないかな」
「動機は転生者の記憶。知りえない知識の宝庫だから。記憶を奪い尽くした若者を貧困街に捨てているのもお前か?」
「仕方ないだろ。転生者なんてそう簡単に見つけられるものじゃないんだ。黒髪なんて本当に些細な可能性だ。個体値と色違い厳選をしている気分さ」
「その割には【黒玉】の使用者が多いじゃないか」
「先祖代々コツコツと貯めてきたわけ。涙ぐましいだろ?」──テレムは怒りの感情を露わにさせ、唇を噛む。──「久々に見付けた転生者だってのに、あの女の記憶はカスだった。殺人事件の被害者だぜ? バッドエンディングだ。そんな駄作は商品に出来ない。だから記憶を全部抜き落として、放置するしかなかった」
「そいつは災難だったな」──殴り倒したい衝動に襲われたが、肉弾戦に持ち込めば体力的に負けるのは俺の方。
話を聞いてやっていると見せかけて、相手が気を抜いた時に自由になった左手で指輪を外そう。
「だからさ、その黄金のような記憶をくれよ。アルバート・メティシア・ドラゴネス第三王子」
……この黒幕は俺が転生者であると知っている。
ずっと求めていた獲物をようやく狩れる肉食動物のような瞳でこちらを覗く。
「我は記憶の王。喰らい、犯し、治める者。我が敵の、記憶の城を蹂躙せよ。──【記憶支配】」
──強いめまいに襲われた。
瞬きひとつ、それだけで世界が一変する。
円盤レコードから流れるのはジャズミュージック。
棚にはお気に入りメーカーの紅茶とスコッチウイスキーを中心にした酒瓶。
机には事件の資料と灰皿いっぱいの煙草の吸殻。
そこは紛れもなく、前世に使っていた探偵事務所だった。




