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特別編(26)迷子

「ここ……どこ?」



 ぽつんと一人佇みながら、アイシャは泣きそうな声でつぶやいた。

 アイシャの質問に答えてくれる相手は、今はそばにいない。



 おやつを食べ終えたあと、アイシャは両親といっしょに散歩に出ることにした。

 その前に、誤って魔力を使わないよう、アイシャは魔力封じの腕輪をつけられた。

 アイシャの魔力コントロールが上達したとはいえ、子どもだからふとした拍子に魔力が出る可能性がある。

 強い魔力には耐えられないが、軽い魔力程度なら抑えられる腕輪なのだと聞かされた。


 そうして出かけた異世界の街は、初めて見るものの連続でアイシャを大いに楽しませた。

 だからというべきか、好奇心のままに歩き回っていたら、気づくとひとりになっていたのだ。


 窮屈だからと、手をつなごうとする母を振り切ったことを今さらながら後悔する。


 しばらくうろうろと周囲を歩き回り、父と母の姿を探した。

 しかしどこにも見当たらず、アイシャは悲しくなってその場にしゃがみこんでしまう。

 このまま、見知らぬ世界で一人、生きていかなくてはならないのだろうか。

 祖父母の家までの帰り道すら、見当もつかない。

 絶望的な状況の中、アイシャの瞳からは大粒の涙がぽろぽろ零れ落ちていく。


 いつもなら、いなくなったアイシャをすぐに見つけてくれる父も、今回はなぜかいつまで待っても現れない。



「なんだ?迷子か?」



 不意に、誰かに声をかけられた。

 ぱっと顔を上げると、怖い顔をした2人の男がアイシャを見下ろしていた。


 アイシャは怖くなって逃げだそうとしたが、足がもつれて転んでしまった。

 そして限界を迎え、大きな声で泣き出してしまう。



「ちょ、大丈夫か?」


「ほらほら、泣くな」



 男たちが何か言ってくるが、アイシャはわけがわからず泣き続ける。

 そのとき、アイシャの視界にふわふわの小さな物体が飛び込んできた。



「泣かないで?お父さんとお母さんはどうしたのかな?」



 ぴょこぴょこと細長い耳を動かして、小さなぬいぐるみが話をする。

 アイシャは驚いて、目を丸くした。

 涙も落ち着き、目の前のぬいぐるみを不思議そうに眺めていると、くくっと笑い声が聞こえた。


 声の主を見ると、さっきの怖い顔をした男だった。

 ぬいぐるみは男の手に握られている。

 どうやら、話しかけてきたのはぬいぐるみではなくこの男だったようだとアイシャは理解した。


 先ほどまで恐ろしく見えていた男だったが、よく見ると優しい目つきをしている。

 アイシャは小さい声で「ママとパパ、いなくなっちゃった」と答えた。



「そうかぁ。家の場所、わかるかな?」


「……わかんない……。家は遠くて、おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びにきたの」


「そっか。知らないところで一人になって、怖かったな」



 大きな手が、アイシャの頭をポンポンと優しくなでる。

 そしてその顔を覗き込んで、少し驚いたような顔をした。



「どうしたの?」



 アイシャが訊ねると、男は少し考え込むような顔をして言った。



「君のお名前は?」


「……アイシャ……」


「そう、アイシャちゃん。お父さんとお母さんの名前、わかるかな?」


「えっと……アークヴァルドとユノ」


「……じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんの名前は?」


「……わかんない……」



 恥ずかしくなってアイシャが頷くと、男はまた頭を撫でてくれた。

 そして「ちょっと待ってて」と言い、ポケットから四角い板を取り出す。


 さっき、祖父母の家で似たような板を見たような気がする。

 そんなことを思いながら、アイシャは自分のTシャツの裾をぎゅっとつかんだ。

 するともう一人の男が、アイシャの隣にしゃがみこむ。


 不思議に思ってアイシャが男を見るも、男はポリポリと頬をかくだけで何も言わない。

 アイシャは四角い板を耳に当てて何か話をしている男と、隣にいる男を見比べる。

 どちらも怖い顔をしていると思ったが、隣の男の方が幼い顔をしていることに気付いた。

 そして、二人の顔が似ていることも。



「二人は家族なの?」



 アイシャが問いかけると、隣にいた男は少し驚いた顔をしたが、すぐに「ああ。あっちは俺の兄ちゃん」だと教えてくれた。



「アイシャにもお兄ちゃんいるよ」


「そうなのか?」


「コトラはアイシャより小さいけど、お兄ちゃんなんだってママが言ってた」


「……ん?どういうこと?」



 男は不思議そうに首を傾げる。



「お兄ちゃん、お名前は?」


「俺?俺は蓮」


「レン?」


「そ。で、あっちで電話してるのが新」


「アラタ」



 レン、アラタと何度もアイシャが繰り返すと、蓮は目を細めてアイシャを眺めていた。

 その瞳が優しげで、アイシャはうれしくなって笑った。



「アイシャちゃん、もうすぐお迎えが来るからね」



 新がそういうと、アイシャは目を丸くした。

 両親を知っているのかと問いかけたら「俺は君のおじいちゃんの友だちなんだよ」と教えてくれた。

 その言葉に、アイシャはほっと胸を撫で下ろす。



 その場でしばらく蓮と新とおしゃべりをしていると、祖父が息を切らして走ってきた。

 アイシャは祖父の顔を見るなり安心して、祖父に飛びついて泣き出した。

 祖父はそっとアイシャを抱き上げ、背中を優しくさすってくれる。



「佐々木さん、蓮くん。ご迷惑をおかけして」


「いえいえ」


「え、伊月のとこの子なの?」


「そう、うちの孫。でもよくわかりましたね」


「アイシャちゃんの目を見て、ピンときました」



 佐々木がそう言って、祖父は納得した様子だった。

 アイシャがどうしてか訊ねると、アイシャのように真っ赤な瞳をした人はこの世界では珍しいのだという。

 祖父からアイシャの話を聞いていた新は、もしかしたらと思い、祖父に連絡してくれたようだ。



「ママとパパは?」



 アイシャが祖父に聞くと、祖父は「すぐにくるよ」と笑った。

 どうやらアイシャがさ迷い歩く中で、両親とはぐれた場所から離れ、祖父の家の近くまで戻っていたようだ。



「ほら、きたよ」



 アイシャは祖父の指さす方に視線を向ける。

 泣きそうな顔をした両親が走ってるのを見て、アイシャはするりと祖父の腕から抜け出し、両親のもとへと駆け出した。


 母はアイシャを抱きしめるなり「だめでしょ!」と叱りつける。

 ほんのり汗ばんだ母の肌が、アイシャを探して走り回っていたことを証明していた。


 ごめんなさいとアイシャが謝ると、母はそれ以上叱らず「無事でよかった」と優しく背中を撫でてくれた。

 その手つきが、さっきまで背中を撫でてくれていた祖父によく似ていて、アイシャは安心して目を閉じた。

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