7.10.棲み処
地伝と衣笠は、イドラの案内の元獣人の住処へと向かっていた。
話によればここからそう遠くない場所に棲み処があるようだ。
どうやらイドラは人間の臭いがしたので、一人で確認しに来たようだった。
もし少しでも棲み処の方へと近づくのであれば仕留めるつもりだったらしい。
「姿だけ見せれば逃げる人間も多かったんで……いけるかなって思ったんですけど」
「相手が悪かっただけだな」
そういいつつ、地伝を見る。
彼は鼻で軽く笑い飛ばした。
イドラの獣姿は巨大な虎。
確かに普通の人間であれば姿を見ただけで慄いて逃げてしまうだろうが、鬼である地伝にそれは効かない。
衣笠も森での生活が長い為、逃げる算段こそ頭の中で構築していたが相手を刺激しないために細心の注意を払う。
それが堂々とした振る舞いをしているように見えたのかもしれない。
と、そんな適当な会話をしながらではあったが、衣笠はイドラを心配していた。
彼は素直すぎるのだ。
やはり彼は人間とこうしてコミュニケーションを取ることはしたことがなかったのだろう。
生活を維持し、その日暮らしをしているだけなのでそれ以外に頭を使う必要はない。
なので仕方がないといえばそれまでなのだが……。
獣人の歴史を知り、生き証人までもが傍にいて話を聞いておきながら、衣笠のたった一つの何の根拠もない台詞を簡単に鵜呑みにして獣人の棲み処に案内するというのはいかがなものか。
警戒心が足りないというかなんというか。
とはいえ、これを今教えてやる必要はない。
このまま気付かせずにしておいて、しっかりと棲み処へ案内してもらおう。
しばらく歩いていくと、音を聞いた。
どうやら四体の足音がこちらに急接近しているらしい。
いや、四つ足であることを考えれば二体だろう。
なんとも早い足音だろうか。
相手は獣の姿をした人間……。
人間よりも五感に優れているはずなので、こちらに人間が接近してきているということに気付き、慌てて二体が飛び出してきたといったところだろうか。
地伝はこの事に気付いていないようだが、イドラは鼻で仲間の匂いを嗅ぎ取った様だ。
「なんか怒ってる……? なんで?」
「当たり前だ。手前ははたから見れば人間を棲み処に案内している馬鹿なのだからな」
「……え? ええええ!?」
「獣人は人間との接触を嫌うのだろう? だのに相談もせず、独断で人間を連れてきているのだ。怒るに決まっている」
「騙したな!?」
「騙してはおらぬ。手前の思慮欠けていただけの話。イドラとの約束は守る」
遠くの方で雪を巻き上げながら接近してきている獣を目視した。
地伝もようやく話の内容を理解したらしい。
次はどんな奴が出て来るのか、と少しばかり期待しながら到着を待っている様だ。
なんと呑気な……。
という言葉を飲み込みつつ、衣笠は前に出て二体の到着を待つ。
そしてやって来た獣は……大きな白虎と豹だった。
なんと美しい毛並みだろうか。
人間が欲するのもよく分かるほどの美しさだ。
手触りは良いに違いない。
白虎と豹は脚に装備を付けており、それらにはやはり刃が取り付けられていた。
ただ胴体を守る防具はないらしい。
体の動きを制限しないためにわざと付けていないのだろうか。
すると、白虎と豹が左右に分かれる。
完全に獣の姿となっている二体の速度はやはり早い。
衣笠は瞬時に目を動かしてどれ程の距離を移動したか確認する。
あとは音を聞けばいい。
二匹が着地した場所の雪が踏み固められる音をしかと聞いた瞬間、更に強く踏みしめる音が聞こえたので前転して回避を試みる。
二匹は挟撃をしようとしたらしいが見事に回避されてしまった。
若干動揺しているようだったが、すぐに距離を取って牙を剝く。
「やはり時間の無駄ではないのか? こやつらが素直に話を聞くとは思えぬぞ」
「可愛がり甲斐があるではないか。構ってやれば懐くというもの」
「ただの畜生ではないのだぞ」
そんなことは分かっている。
衣笠は手を振って話を切った後、一振りの小太刀を抜き放つ。
するとその間にイドラが割り込んできた。
「ちょちょ! ちょっと待ってって!」
「「グルルル……!」」
「いや姉さん誤解だよ誤解!」
『イグル! あんた何考えてんの!』
『人間をこんな所まで連れ込んで!』
白虎と豹が言葉を発した。
と、いうことはやはり彼女らも獣人のようだ。
さて、非常に面倒くさいことになりそうだが……イグルがこの状況を打開できるとは思えない。
さすがに助け舟を出さなければ決着が付くまで戦う羽目になる。
まだ戦う時ではない。
衣笠はイドラの側に近寄る。
それと同時に敵意を示さないように小太刀を納刀した。
更に紐で鞘が抜けないようにしたまま、手の中でクルクルと遊ばせる。
「話を聞くつもりはあるか?」
「「グルルル……!」」
「なさそうだな……。ではここからは独り言だ。まず手前らでは私に勝てぬ」
「え!?」
『『!?』』
「私に付いて来るのであれば、一族繁栄の道を手助けしよう。こんな辺境の地でくたばりたいならば話は別だが」
「ほぉ」
大した自信だ、と地伝は感嘆する。
だがそれを持たぬ者は己の口にした言葉すら叶えることはできないだろう。
衣笠は、その道があると確信めいているようだ。
彼の言葉に一切の嘘偽りはない。
しかし……血気盛んな二匹の雌に、その言葉は挑発でしかなかったようだ。
『だったら……!』
『試してみろ!!』
白虎と豹は一斉に飛び掛かる。
衣笠はイドラを押しのけてから構えを取った。




