ザック・テイラー 後編
エベラルドが騎士になったのと同じ年に、伯爵令息という異質な存在が入団してきた。
「わたくし、ティンバートン伯爵が次男、ライリー・ティンバートンと申します。王立騎士団の皆さまにおかれましては、よろしくお導きくださいますよう、よろしくお願いいたします」
ザック達と同じ第ニ大隊第一中隊所属の第一小隊に現れた彼は、軍人というより貴公子の仕草で、おおよそ場違いに優雅な挨拶を披露してみせた。
後から考えてみれば、彼も緊張していたのだ。当然だ。当時ライリーは十五歳、大事に大事に箱の中で育てられたお坊ちゃんだ。
彼はまったく勝手の分からない環境に放り込まれ、自分の知り得る一番丁寧な態度をとることにした。その選択が間違っていたのだ。
ライリーの貴族然とした言動は周囲を無駄に困惑させ、また苛立たせ、彼が頑張れば頑張るほど悪循環しか生まなかった。
彼は剣の腕は立つし、馬の扱いも巧い。このまま成長すれば、立派な騎士になる未来は目に見えていた。
だが、彼はまだ従騎士なのだ。従者ほどではないが、騎士団の下働きの仕事もたくさんある。
老騎士の従者を務めていたライリーは、人間が生活する術を何も身につけていなかった。
簡単な料理も洗濯も何ひとつとしてできない彼は、とりあえず従者の仕事から覚えろと命じられ、歳下の少年に混ざって下働きを始めた。
みなと同じく、ザックもエベラルドも、ライリーには関わろうとしなかった。五つも下の子どもを虐めるつもりはなかったが、ただ面倒臭いと思った。
下手に関わって彼の機嫌を損ねたら、父伯爵に言い付けられて将来を潰されるのでは、という自己保身も働いた。
歳上の貴族のお坊ちゃんに仕事を教えてやれと言われた従者達はいい迷惑だったことだろう。
お坊ちゃんは案外素直に上官命令に頷き、自分より小さな少年達の言うことを真面目に聞いているようだった。いかにも不器用な手付きで包丁を握るライリーを見て、さて彼はいつまで耐えるかと、賭けの対象にする者もいた。
ライリーはいつもひとりだけ別の仕事を言い付けられ、騎士団のなかでぽつんと孤立していた。
エベラルドはそんな彼に特段関心などないように見えた。
だから、鍛錬の帰りにライリーに近付いていくエベラルドを見たとき、ザックは驚いて咄嗟に物陰に隠れた。
ライリーはひとりで斧を構え、全力で薪割りに取り組んでいた。
「おい、なんで薪割るだけでそんな息切れしてんだよ」
エベラルドが近付くのに気づいていただろうに、ライリーは声をかけられるまでそちらに視線を向けなかった。
「……分かりません」
仕方なくというふうに無感動な目を一瞬だけエベラルドに向けて、ライリーは再び斧を構えた。
「下手くそ。薪割りもしたことねえのかよ。ほら、貸してみろ」
エベラルドは少年から斧を取り上げると、すぱんっと景気良く薪を両断した。
「こうやるんだよ」
「……え、どう?」
周囲の人間から遠巻きにされている少年は、自分に感情があることを久しぶりに思い出したような顔をした。
存外幼い、普通の子どもの顔をして、ライリーはエベラルドの手元をぽかんと見ていた。
「薪が安定しないならこうやって支える。斧に慣れてないなら無理するな。振りかぶらずにこうやってコツコツやったって簡単に割れるから」
「へええ」
騎士としての素養だけなら上々の成績を上げる少年は、驚きと感動が混ざった表情でエベラルドの指導を聞いていた。
なんだ、可愛いもんじゃないか。
ザックは今更出ていくこともできなくなって、覗き見を続けた。
「ほらやってみろよ。さっさと済ませないと夕飯食いっぱぐれるぞ」
「はい、ウッド様。ご指導ありがとうございました」
その場を去りかけていたエベラルドは、嫌そうにライリーを二度見した。
「なんだそれ、やめろ。ここには様とか言ってる奴いないだろ」
「……ですが、わたくしは」
「それもだよ! 伯爵様ってのは普段からワタクシとか言ってんのか?」
ライリーは不可解な顔をして一瞬黙った。目上の人間に丁寧に接して何が悪いのだと、考えてでもいるのだろう。
「…………僕は従騎士なので、騎士の方は敬うべきかと」
「限度があんだよ。馬鹿にされてるみたいでムカつく」
「……はあ」
貴族のお坊ちゃんは指摘を受け止め、頭を下げてエベラルドを見送った。
「それでおまえは、そこで何してんだ」
「あ、バレてた?」
物陰にしゃがみこんでいたザックを見下ろして、エベラルドは呆れ顔になった。
「どいつもこいつも、ガキひとりに怯えすぎだろ」
「いや、だってさ」
すたすたと歩いて行くエベラルドを慌てて追いかけて、ザックは言い訳を始めた。
別に関わりがなかっただけだと言うこともできたが、確かにザックも、ライリーを避けていた。
「怖いじゃん、伯爵って。あいつ怒らせたらどうなるか分かんねえじゃん」
「あいつは別に怒ってないだろ。ただの普通のガキじゃねえか」
「うん、まあ」
理不尽とも言っていい扱いに、黙って耐える姿を意外に思い始めてはいた。ザックだけでなく、他の奴らもそれは同じだ。
「おまえらしくないな。軽薄男」
「騎士団一のスケコマシに言われたくねえよ」
大事に育てられ、従者時代にも苦労を経験することなく、ただ騎士修行だけに励むことを許されてきたライリー。
不公平じゃないか。
誰よりも騎士となるべきエベラルドは、騎士になるために誰よりも苦労を重ねてきた。
そんな彼を、伯爵家の人間というだけで軽々飛び越えていこうとするライリーに、ザックは苛立ちを抑えられなかった。
ライリーは、エベラルドを差し置いて騎士団長となるべく入団してきたのだ。
噂を聞いたときは、自分でも持て余すくらいの怒りが湧いてきた。
そんな理不尽が許されるのか。王立騎士団は、ただ強い者だけがのし上がっていける場所ではなかったのか。ここは最初からすべてを持っている男が来ていいところではない。
「別に貴族の坊やがどんな扱い受けてても、俺には関係ないけどな。下のもんにろくな指導もしないのは違うだろ」
「……エベラルドは、あんな恵まれてる奴に腹が立たないのかよ」
ザックの尊敬する男は、これまでで一番呆れ返った顔をして、なんの意味もなさない笑いを漏らした。
「俺から見れば、おまえだって他の誰だって恵まれてる。いちいち妬んで、嘆きながら生きていけってのか」
「……あ、そうか」
「そうか、じゃねえよ。貧乏人舐めんなよ」
割と本気の平手を後頭部に喰らって、ザックはつんのめった。
やっぱりエベラルドはかっこいい奴だった。
それからもライリーは不器用に、淡々と与えられた仕事をこなしていた。一度手を差し伸べたエベラルドにすがるようなことはせず、意地になったように目の前の職務にだけ集中していた。
遠巻きにする人間の声など、彼には聞こえていないようだった。
それはそうだろう。ライリーが正しい。
直接何か言うでもするでもない人間の存在など、気にするだけ無駄だ。
ライリーは従者の仕事を覚えろと言われれば歳下の少年に愚直に教えを乞い、従騎士として鍛錬に参加しろと命じられれば全力でそれに臨んだ。
無き者として扱われても不満は漏らさず、たまに見兼ねて声をかけるエベラルドには丁寧に接した。
ライリーが下を向いている姿を、ザックは見たことがない。
彼はいつも背筋をぴんと伸ばし、前を向いていた。その美しい立ち姿は、やはり彼はきちんと教育を受けて育った貴族の子息なのだと、周囲に改めて思い知らせた。
前を見据えたまま、かいてもいない顔の汗を拭ったあとの彼は、必ず強く奥歯を噛みしめていた。はたから見てそうと分かるほど、顎が強張っているのだ。
懐かない猟犬のようなライリーが、エベラルドの男前振りに陥落する日は近いな、とザックは他人事として見ていた。
生活力は皆無でも、従者のなかに放り込まれればライリーが最年長だ。時に泣く子を助けてやり、時に喧嘩の仲裁をしたりとしているうちに、彼は従者の少年達に一目置かれる存在になっていった。
従騎士のなかにも少しずつライリーと言葉を交わす者が出てきた。彼はそんな連中がこれまでしてきた扱いに腹を立てるでもなく、彼にとっての当たり前の態度を返した。
エベラルドに場違いな言葉遣いを指摘された後、ライリーは周りの会話を聴いて、騎士団に相応しい言葉の使い方を学んだようだ。
「おいてめえらやめろ! 喧嘩なんかしてんじゃねえ」
従者同士で揉めている場に通りかかったエベラルドは、目を剥いて全力でライリーの後頭部をはたいた。
「てめえがやめろ!」
ライリーはどつかれた頭を押さえて振り返ると、反抗的な目でエベラルドを見上げた。
揉めていた従者達は、驚いて動きを止めてしまっている。
「なんなんですか」
「染まり過ぎだ。伯爵が卒倒するだろうが。加減てもんを知れ」
「えええ……。俺は言われた通りに」
「おまえは貴族の坊ちゃんだろう。自覚を持て」
「意味が分かりません!」
反抗したライリーに向かって、今度は拳が飛んだ。彼はそれを軽くかわして、間髪入れず拳を返した。
もちろんエベラルドは子どもの拳を喰らうことはなく、あっさりと片手で反撃を握りつぶした。
エベラルドは自分が掴んだ拳を見ると、いかにも愉快げに唇を歪めてにやりと笑った。
「坊やが言うようになったじゃねえか」
ライリーに関節技をキめるエベラルドを、従者達がおろおろと制止する。先ほどとは立場が反対だ。
「あああの、エベラルド様、そのくらいに」
「っ様! 様って言ったこいつらも! ……ぃいいってええ! 無理やだ無理無理無理!」
「こいつらは従者だから当然だろ」
「分からん! あんたらのしきたりなんざ知ったことか!」
「知っとけよ。おまえここの従騎士になったんだろ。そら、そろそろ降参しとけ」
「ぎゃああああああっ!」
そろそろやばいな、と近くで見ていたザックは思った。ライリーの腕はすでにだいぶあり得ない方向に曲がっている。
「あれそろそろ折れますよ! やばいです! ザック様も止めてくださいよ!」
「えー。大丈夫大丈夫、ほっとけよ。好きでやってんだから」
伯爵令息、従騎士ライリー・ティンバートン。
彼がいつまで王立騎士団で踏ん張るか。半年以上、に賭けた者はいただろうか。
(元締めに確認するか。これは大穴狙いのひとり勝ちだな)
賭けの結果が出て、大穴狙いの賭け事師が配当金をごっそり手にした日の夜である。
「おい、ライリー。おまえ酒は飲めるか」
食堂に向かうところだった少年は、エベラルドを見上げて曖昧な返事をした。
「葡萄酒を一杯? くらいなら」
大人を相手に少し恥じるように申告したライリーの肩を、エベラルドは上機嫌に抱えて向きを変えさせた。
「いい、いい。まだ十五歳だもんな。麦酒ならいけるだろ。林檎酒飲んでてもいいぞ。おにいさんが奢ってやるから、今日は飯も城下で済まそうか」
「えー、いいなー。ライリーだけですか?」
羨ましげな他の従騎士を、エベラルドは適当にあしらう。
「おまえらに奢る理由なんかないだろ」
「理由?」
ライリーは、自分が奢られる理由ってなんだ、と思いながら、酒場まで引き摺られていった。
騎士団一金に困っていたエベラルドが、伯爵令息に酒を奢ることの奇妙さを、誰も指摘しなかった。
エベラルドの懐が膨れた理由をみなが知っていたからだ。この頃にはライリーが実家から小遣いをもらうでもなく、従騎士の俸給だけで慎ましく暮らしていることが知れ渡っていたこともある。
蒸留酒をあおるエベラルドは、終始ご機嫌だった。
「いやあ、こんな大勝ちするとはな。今日の飲み代を引いて残ったぶんは、馬代返す金に充てるかな」
「……エベラルドおまえ、賭けのためにライリーに手ぇ貸してたのかよ」
「そんなせこい真似するかよ。ライリーは最初っからできる子だったぞ、なあ?」
確かにエベラルドは、ライリーに声をかけるときは素っ気ないくらいの態度で、それを見た他の騎士がつい同情してしまうくらいだった。
にこにこして頭を撫でてくるエベラルドを、ライリーは気味悪そうに横目で見た。
「このひと、今日はどうしたんですか?」
「んー? おにいさんは、ライリー君が騎士団に入って半年記念日を祝ってやりたいんだって」
賭け。半年記念。ライリーに奢る理由。育ちのいい坊やも、ここまで材料が揃えば察することができたようだ。
ライリーは酒精の弱い麦酒を一気に飲み干して、据わった目で呟いた。
「大人なんて……!」
「よしよし。おまえは真っ直ぐ大きくなれよ」
ザックは、すっかりそこら辺の少年と同じ扱いを受けるようになったライリーの頭を適当にかきまわしてやった。
騎士団ってのはすごいところだ。
格好いい男がそこら中にごろごろ転がっている。
ザック?
彼は軽薄な男だ。
王都巡回をすれば、道行く女性に一目惚れしたと追いかけて、警邏隊に取り押さえられるような男だ。
いつもへらへらと隊務に向かい、緊張感のない顔のまま戦場に立つ。
あとは、自分は格好いい男にはなれないからと、尊敬できる男の道を切り拓く手伝いをさりげなくするくらいだ。
最初はいけすかないと思っていたお坊ちゃんが結婚に失敗したと聞けば、心配して娼館に引き摺っていくような優しさを持っていたりもする。
彼は常に周囲をよく見ている。だが見えていないこともある。
なんであのひとは、こんなくそ辛い鍛錬をへらへら顔でこなせるんだ。超人か。と若い騎士が首を傾げるのには、案外気づきはしないのだ。
ザックは戦場に在るときも、常に一歩退いて周囲をよく見ていた。
危ないところを彼に助けられる者も多くいたし、上官も彼の意見にはよく耳を傾けた。
市街戦となったときにも、彼は些細な変化によく気づいて、エベラルド率いる小隊は何度も危険を回避できた。
親とはぐれた幼い少女に剣を向ける味方を見つけたときは躊躇なく蹴り飛ばして、彼には珍しく怒声を浴びせた。
「馬鹿野郎! よく見ろ、子どもだ!」
錯乱状態だった若い騎士の背中を叩いてやり、次いで呆然と立ち尽くす小隊長に視線を向ける。
「……おい、どうしたエベラルド。何突っ立ってんだよ?」
エベラルドははっとしたように頭を振り、ザックにぶつかった。
なんだ、これは。エベラルドに縋りつかれている?
周囲に敵の姿がないことを確認してから、混乱しながらもザックはエベラルドの背を支えた。
「…………った……」
「なんだって?」
エベラルドが泣いている? 嘘だろう?
ザックは我等が小隊長は怪我でもしたのかと、慌てて確認しようとした。
彼が顔を覗き込んだときには、もういつもの冷静なエベラルドに戻っていた。
「……悪い。ちょっと間違えた。もう大丈夫だ」
ずっと前から、エベラルドに忘れられない過去があることには気づいていた。
彼はその過去のために騎士になり、がむしゃらに上を目指している。
ザックは何があろうとも、エベラルドを応援しようと決めていた。いつだって、彼が行く道を拓く手伝いに駆けつけるつもりでいる。
「大丈夫ならいい。小隊長、次はどうする」
「どうもこうもねえだろ。おい、ばらけるな、固まって動け! 端から一軒一軒暴いて炙り出していくぞ!」
ザックは重い過去なんか抱えていない。苦労することも知らないから、重々しくは生きられない。
女が好きだが、それとは違う意味で、格好いい男も好きだ。
故郷の英雄譚に憧れながらも、英雄になれない自分を知って、せめて英雄を助けることができたら、と思って生きている。
彼にとっての英雄は、故郷の救世主とエベラルド、それからもしかしたらそのうち、最近ずいぶんと調子に乗っている赤毛の騎士もそのなかに加わるかもしれない。
騎士道物語の主人公だって、時に誰かの手を借りながら強敵と闘っているのだ。
ザックはその誰か、になることを夢見て騎士団を目指し、キャストリカの隅っこから長い距離を歩いて王都までやって来た。
辺境に住む十三歳の少年にとって、ひとりで王都を目指すだけでも大冒険である。
子どもだけでは宿に泊まれないこともある。貧相な子どもの懐を狙う野盗だって珍しくない。例え金目のものなど持っていなくとも、ちょっとでも見目のよい子どもであれば、異国に売り払われてしまう。
そんな時代に生まれた少年にとって、騎士は特別な存在なのだ。
彼らが持つのは勇気と武勇だけではない。慈愛と寛容の精神でもって、弱者を救うのだ。
記憶が薄れるくらい昔、幼少期に飢えを経験するなかで、大人の邪魔にならないよう、間引きの対象にならないようにと、常に笑顔でいることを自分に課したザック。
彼のような子どもばかりの故郷に、救世主は現れた。
彼は特別な騎士だった。
実際に憧れの騎士団に入ってみれば、そこにいたのはザックの英雄のような騎士ばかりではなかった。
それでも、やっぱりなかにはいるのだ。
ただのお題目と化してしまっている騎士道精神を持つ男は、確かに存在した。
ザックには無理だ。そんな男にはなれない。
だからせめて、と思うのだ。
本物の騎士が強敵を倒す、その一助になれたらと。
それが軽薄な男ザックの、生涯をかけて叶えたいと願う、ささやかで壮大な夢である。




