12 正体
あ。顔を隠していた白猫の仮面を、今日は付けていない……? 私にはまだ顔は見えないけど、この場に現れたレヴィンは、顔を隠していないようだ。
「……これは……僕たち二人のことで、関係ないことだと思いますが」
彼に強い視線を向け怒りを押し殺したエドワードの声に、レヴィンは肩を竦めた。
幼なじみだとしても、私がお洒落しても何をしても、彼にはもう無関係のはずなのに。いきなり乱暴に腕を掴んだり……なんなの。
もしかして、未だに私の事を、親しい幼馴染とでも思っているのかしら。
「ところが、そうではない。俺は」
「もう! 私に関係ないのは、エドワードの方よ! もう、放っておいて!」
私に途中で言葉を遮られて振り向いたレヴィンは、以前に思って居た予想通り……というか、驚くほど美形な男性だったから、ここで言葉をなくしてしまった。
印象的な、青くて美しい目に一瞬目を奪われた。
……その、すぐ後ろ。
私から真正面から見えたエドワードの顔は、何故だかひどく悲しそうだった。傷付けられたかのように項垂れ、感情を押し殺した低い声で言った。
「リゼル。ごめん。冷静に話せそうもないから、ここは出直すよ。レヴィン殿下。失礼します」
エドワードはいつも余裕ある彼らしくなく、気に入らない態度を隠さずに去って行った。
黒い背中がだんだんと遠ざかって行く……さっきの悲しそうな表情が、どうしても気になってしまう。
……けど、ここで私が追い掛けて、その後どうなるの? 違う人と結婚する人になんて、何も話すことなんて、ないのに。
「リゼルはエドワードと、知り合いだったんだね」
エドワードの背中を視線で追っていた私は、レヴィンの声を聞いて、慌てて顔を上げた。
……そうだ。さっき、エドワードはこの人の事を、何って呼んだの?
「あ。レヴィン……殿下?」
エドワードが彼を呼んだ敬称には、私も驚いた。レヴィンは身分の高い男性だろうと、あの時も思っては居たけれど……。
「そうそう。どうも。兄上に求婚する予定のリゼル・フォーセット。俺は未来の義弟になる予定のレヴィン・ラドフォード。近い縁戚になるから、よろしくね」
くすくすと楽しげに笑ったレヴィンを前に、間抜けな私は第二王子の名前が『レヴィン』だった事を、この時にやっと思い出したのだった。
「本当に、わかってなかったの? リゼルは敢えてわかってない振りをしてくれていたのかと思ったよ」
「……わかってなかったです。実は、褒められた事ではないんですが、私は殿下たちのお顔をまだ拝見したことがなくて……」
面白そうな表情を浮かべたレヴィンは、俯いた私の顔を覗き込んだ。
「それは、何故? 夜会に来れば、俺たちの顔を見知っているはずだろう?」
確かに夜会に来れば貴族なのだから、主君たる王族の顔を確認する機会はいくらでもあった。
「申し訳ありません……社交界デビューしてから、夜会にほとんど出て居なくて……」
「……兄上に求婚するんだろう? より出て来ない王太子は見たことがあるのに、俺はないんだ?」
レヴィンがこうして不思議がるのも無理はない。王太子は特別忙しいことは知られているし、殿下たちは当然のごとく、王家主催の夜会には出席している。
「いえ。王太子殿下も、見たことはなくて……」
「え?」
「レヴィン殿下……これには、色々と込み入った事情があるんです」
求婚しようとする相手に王太子を選んだのは、まだエドワード以上の男性は見つかっていないせいだ。身分上では王太子殿下がわかりやすく、公爵令息であるエドワードより上だった。
「レヴィンで良いよ。リゼル。何をどうしたら、君は顔も知らない王太子に結婚を申し込もうと思うのか……ははは。なんとも面白い話だね」
何があったのか事情を話すようにと目で促されたので、私は観念して話すことにした。
「実は、さっきのエドワードなんですが……幼い頃に結婚の約束をしていたと思って居たのは、私だけだったようで」
「ああ……君たちは、幼馴染みなんだね」
「レヴィンも知っての通り、昨年『令嬢ランキング』首位のアイリーン様からエドワードは求婚されまして……」
「え? けど、先に君が居るのなら、断るだろう?」
「そんな訳はありません。アイリーン様ですよ?」
私とアイリーン様を『比較にもならない』と評したのは、エドワード自身なのだ。
「うん……まあ良い。それで、何がどうなったら、リゼルは兄上に求婚しようと思ったの?」
「エドワード以上の男性と結婚したいと思ったんですけど……彼より身分が上なのは、王太子殿下だけでして」
短絡的な考えを披露することになり恥ずかしくなって私がそう言えば、レヴィンは楽しそうに笑い出した。
「ははは! はー、なるほど。それで、会った事もない兄上だったんだね。けど、王族が良いのなら俺でも良いじゃないか。俺は第二王子で未婚だよ」
レヴィンは胸に手を置いて自分を売り込むように言ったので、揶揄われたと思った私が息をつくと背後から高い声が聞こえた。
「レヴィン様! レヴィン様ではないですか!」
「ああ……ブロア伯爵令嬢。お久しぶり」
店から出て来たところレヴィンの姿を見て、名前を呼んだご令嬢は、慌ててこちらに走り寄って来た。
え……あら。もしかしたら、この人。私が『令嬢ランキング』に申し込みに行った時に『野暮ったい』と評した人だわ。
特徴的な癖のある茶色い髪だったので、おそらくはこのご令嬢だと思う。
「レヴィン様。お時間があれば、この後にお茶でもどうですか?」
「すまない。これから公務があってね。では、リゼル。また会おう」
爽やかな笑顔で手を振ったレヴィンは近くにあった馬車の中へ素早く乗り込み、馬車はすぐに駆け去って行った。
動きがテキパキとしてて……逃げ足が速い。レヴィンはこのブロア伯爵令嬢のことが苦手なのだろうと、誰が見てもすぐにわかってしまう程に見事な逃げっぷりだった。
「ちょっと! 貴女『令嬢ランキング』に出る、フォーセット男爵令嬢リゼル様?」
「はっ……はい。あの、どうして」
どうして名前を知っているのだろうと私が聞こうとすると、彼女はフンッと鼻で笑った。
「私はブロア伯爵家のシャーリー。私は『令嬢ランキング』に参加する令嬢なら、全員調べさせて貰ったの。どうせ、貴女もレヴィン殿下狙いでしょう? レヴィン様は絶対に渡さないし、貴女になんて絶対に負けないわ!」
「は? はあ……」
私を指さして言い放つと満足したのか、ブロア伯爵令嬢は去って行った。
え。待って。どうして、そういう事になるの……?
まるで嵐のようなご令嬢から一人取り残されてしまった私は、ようやくフォーセット男爵家の馬車に乗り込んだ。




