騎士との邂逅
賑やかに人の行き交う町の中でも、私の絶叫は思いのほか大きく響いたようだ。
道行く人々やら、巡回中と思われる騎士やら、皆一様に私に注目している。
(注目するならカネよこせー!ていうかご飯と宿の現物支給でもいいから私に恵め!)
もうこうなったら、いつも会社で見せているようなお上品モードなんて糞くらえだ。
人間ゆとりがあってこそ、上っ面を整えられるというものである。
まぁ彼らがご飯を恵んでくれて、宿をとってくれるのなら話は別だが。
(ギルドの場所もよく分からないしさ。だいたい小説に書いてあった情報だけで、この糞広い町の中をどうやって移動しろっていうのよ!ちゃんと「入り口から何本目の通路を右に曲がった先にある花屋の左隣」とか「中央の噴水広場から王城方面に向かった通路を左折して突き当ったら右に行って2回目の十字路を左に」とか書いてくれないと分かるわけないでしょ!)
私は疲れ切った体を引きずり、なけなしの気力を振り絞ってギルドを探していたが、その結果がご覧の通りだ。
見つかるどころか、体力と気力がどんどん削り取られていっているだけのような気がする。
「失礼ですが」
ふいに声をかけられた気がして、私は「え?」と振り返った。
すぐに目に入ったのは真っ青なマント。それから白銀の鎧。そして―――――――――イケメン。
(うわー、さ、さすが小説…。イケメンも迫力が違うわ)
オレンジ色の短い髪をスッキリと後ろに撫でつけたイケメンは、髪と同じ色をした目を優しげに眇めてこちらを見ていた。
こんなイケメンに、ましてや異世界に知り合いなんているわけがないので、「私?」と声に出さずに自分を指さして首を傾げてみたが、イケメンはうんうんと頷き微笑んできたので、どうやら私に話しかけてきたことで間違いなさそうだ。
イケメンはノイン=カシュベルトと名乗った。
格好を見て分かる通り、騎士団に所属しているらしい。
徐々に集まってきた外野の「ノイン様だ」という呟きから、それなりに地位もある人のように思えた。
「はぁ…。それで、私に何かご用でしょうか」
先にも言った通り、私には異世界の…しかも騎士団に知り合いなんていないし、この世界に降りてからも騎士団が出張るようなイザコザはおこした覚えはない。
しかしわざわざ私に話しかけてきたということは、「ご用」があるとしたら本当に「御用」なのではないだろうかと冷たい汗がこめかみを伝った。
(なんだろう、捕まるようなことしたっけ…?ああっひょっとして白骨死体から服を剥ぎ取ったのがバレた?!それとも公共の場所で大声を出した罪とか??そんなんでもこの国の法律的には罪になるとか?!)
ノインは穏やかな笑みをキープしつつ、私のほうに一歩近寄る。
ドキッとして咄嗟に一歩下がった私に、一瞬ノインの眉がピクリと動いた。
(う、うあーーヤメテェェ、恐いって!)
私の警戒を見てとったのか、ノインは小さくため息をつくと、苦笑しながらも軽く手を上げて「それ以上近寄らない」アピールをしてみせた。
しばらく息を詰めて見ていたが、ノインは本当にそれ以上動かないようだったので私も少しずつ警戒を解く。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、私も恐がらせてしまったようで申し訳ない。ご用というか、先ほどあなたの……その、絶叫が聞えまして。随分困っているように見えたので、つい声をおかけしたのですが」
ご迷惑だったでしょうか?と穏やかに聞かれ、私は一瞬ポカンとすると、慌ててブンブンと首を振った。
(ぬぅおおおおおお!!!ほ、本当に宿とご飯を恵んでくれそうな人が現れた!ていうかイケメン、ありがとう!「私、逮捕されるかも」とか疑ってごめんね!)
女の子らしからぬ雄叫びを心の中で上げ、私は喜びに目を潤ませる。
本当に、心から、私はこんな助けを待っていたのだ!
私だけの力で異世界で生きていけ?そんな無理ゲー、私には無理です!都会っ子を、取り分け体力のない事務職・インドア派を舐めてはいけない。
「め、迷惑なんかじゃないです!ていうか助けてください!お腹が減って、おまけに疲れて死にそうなんですぅぅぅ!」
見せかけじゃない涙を流しながらノインの手を鷲掴んで懇願すると、周囲にいつの間にか集まっていた騎士たちから微かに「あいつ……副長の手を掴んでるぞ……」「半殺しで済めばいいが…」などと物騒な言葉が聞こえてきて、私はその言葉に固まった。
(は、半殺し?)
いかにも親切そうな顔をしているこの男が、半殺し?
この優しい笑顔は、相手を油断させるための罠だというのか。
半殺しの目にあった自分を想像して、私はゾッとする。
私は獲物を捕まえるごとくしがみ付いていたノインからパッと手を放すと、ジリジリと後ずさった。
いざとなったら、力の限り逃げなくてはならない。腹ペコもキツイが、命あっての物ダネというではないか。
すると、私の行動に気付いたノインは、何を思ったのかおもむろに私の手をガシッと力強く握りこむと………周囲の騎士たちに笑みを向けた。それはそれは―――――――黒そうな笑みを。
今までの優しげな笑みとは違う、ゾワッと背筋の凍るような笑みに、私はダッシュでこの場から逃げたくなった。が、手を掴まれているのでそれもできない。うぅぅぅ、泣いてもいいですか…。
このノインの笑み、実際は「この子が怯えるじゃないですか!半殺しだの何だの、聞こえてますよ!変なことを言うのは止めなさい」というノインのアイコンタクトだったのだが、それを受け取るほうも周囲で見ているほうも、そう意味には捉えていなかった。
むしろ「余計なことを言うな。言ったら殺す」とでも言っているように見え、周囲の体感温度を2・3度下げていたのだった。
(ひぃ!やっぱり怖いんだこの人!)
私は恐怖に顔を引きつらせたが、周囲の騎士たちも同じような恐怖を…むしろ視線を向けられているだけに私以上の恐怖を味わっているのだろう、顔を真っ青にしながら10歩ほど後退していった。
私も一緒に後退したい、いや、させて下さい!
「あのぉ…やっぱりいいで―――」
「あぁ周りは気にする必要ありませんよ。あなたは宿が無くて困っているのですよね?……悪いようにはしません、とりあえずついて来て下さい」
勇気を出して「やっぱりいいです」と言おうとしたが遮られ、ノインは私の意見を聞くまでもなく、さっさとどこかへと移動を始めた。私の手を掴んだままで。
(ああぁぁぁこれじゃ逃げられないし!もしかして、物陰に連れていかれてボコられるのかな~~……あっ、だったら性転換魔法解除して女に戻ったら無事に逃げられ――――いやそれはこの状況じゃ逆に貞操の危機に陥るような気がする…いくらイケメンでも心の無いエッチは嫌だ~~……)
半泣きになりながらノインに引っ張っていかれるままについていく。
周りを取り囲んでいた騎士や町の人たちも、気が付けばいなくなっていた。
騎士たちはノインに恐れをなしたのだろう。町の人たちは………まぁ、トラブルには巻き込まれたくないものだよね。
頼れるのは己のみ。いざとなったら物陰に入った瞬間を狙って金的蹴りだ!ともしもの事態に備えて覚悟を決める私の心とは裏腹に、ノインの通る道は明るい大通りばかりだった。いや、物陰に入りたいわけじゃないけど。
元いた場所から、時間にして5分ほど歩いた頃だろうか。唐突に、
「着きました」
と言われて仰ぎ見ると、着いたその場所は意外にも宿屋だった。
しかも連れ込み宿的な汚い宿ではない。規模こそ大きくないものの、観葉植物やら花やらがたくさん飾ってあり、小奇麗で温かみのある宿だ。
てっきりボコボコにされると思っていた私は驚いて辺りをキョロキョロとすると、ノインは小さく笑って、「そんなに珍しいですか?」と話しかけてくる。
「珍しいも珍しくないも、てっきりボコボコにされると思っていまし―――あっ」
どうして私はこう、一言多いんだろう。
いつもはもう少し冷静な私のはずなのに。
もしかしたらお腹が減っているせいか!そうだ、そうに違いない!と思った瞬間、お腹がグォォォォ…と思い出したように大きく鳴り響いた。
時と場所と状況を読まない自分の腹の音に、顔が一気に赤くなる。
恥ずかしさに視線を彷徨わせれば、正面切って笑ってはいけないとでも思ったのか、視界の隅で肩を震わせながら笑っているノインが目に入った。くっ、笑いたければ笑えー。
少し経って、笑いの収まったらしいノインは宿の入り口近くにあった椅子を私に勧めた。
「お腹も減っているでしょうが、まずは手続きだけしてしまいますから待っていてください」
と言ってカウンターに移動すると、受付カードらしきものに何かを書き込み始めた。どうやら部屋をとっているようだ。
ずっと歩き通しで疲れきっていた私は、有難く椅子に座らせてもらう。
いくら性転換魔法で女の時より筋肉が増えたとはいえ、足はパンパンだ。
せっかく妄想魔法があるのだから、治癒魔法的なものは使えるようにならないかなーあとで試してみようかなーでもどうせ使えないんだろうなーなんて考えながら、私はボーッとしていた。
やがて宿の女将さんらしき中年の女性と話を始めたのをぼんやりと見ていると、ノインが急にこちらを振り返った。
(振り向きざまもイケメンだー)
しょうもないことを考えていると、チョイチョイと手で呼ばれる。
椅子から立ち上がりたくなかったが、呼ばれたので仕方なくヨイショッと立ちあがって近寄っていくと「あなたの名前は?」と聞かれ、そういえば名乗って無かったな、と思い出した。
「松村薫です。家名がマツムラ、名前がカオル」
「カオルのほうが名前なのですね。カオル=マツムラですか」
ノインは私の答えに頷くとカードに私の名前を書き加え、女将さんに向かって
「この子が泊まりますので、よろしく。あぁ、それから夕食まであと2刻ほどありますが…少し早目に何か出して貰えませんか?お腹が減っているようなので」
と言った。
「え」
(私が泊まる……ってもしかして今、私のために宿をとってくれてたの?!ボンヤリしてて気付かなかったよ!)
しかしノインのその言葉に御礼を言う間もなく、情けないことに「夕食」と言う言葉を聞きつけた私のお腹がグゥオオオオ…と今までになく強烈なアピールをしてしまい、その場にいた人たちから思わずといった雰囲気の笑いが漏れた。
一度ならず二度までも……!
私の腹は、本当にTPOというものを心得ていないようだ。
隣に立っているノインは…、と見るとやはりまたしても肩を震わせて笑っていた。しかも腹の立つことに、さっきより震えが大きい。
(異世界にきてまで、何たる恥さらし……!)
女将さんにも可笑しそうに「いいですよ。じゃあ、調理場には大盛りにするように伝えておきましょうか」と言われてしまった。
お腹の音は激しく恥ずかしかったが、それでもお腹がペコペコの私には「大盛り」というその言葉が有難く、「ありがとうございます」と小さく返事をすると一緒になってお腹もグォと小さく鳴るので、彼らの笑いはより一層大きなものとなった。
(もう今更だからどうでもいいけどさ…。ノインさん、ちょっと笑いすぎじゃない?!)
笑い声を我慢しすぎて呼吸困難になりつつあるノインに冷たい視線を送り、それでもたった一人で不安と闘っていたさっきまでと比べると格段に心が穏やかになっている自分に気が付いて、私は「あ」と思った。
ノインと出会ってからほんの数分しか経っていないはずなのに、さっきまであれほど荒れ狂っていた私の心は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。
(これって、ノインさんのおかげ?)
考えれみれば何のメリットもないだろうに、わざわざ宿を取ってくれたノイン。
メリット…多分ないだろうが………、しかしもしそこに何らかの意図が隠されていたとしても、今のこの穏やかな気持ちを与えてくれた事実には変わりがない。たとえそれが私にとって不都合なものであっても、やはり私はノインに感謝するだろうと思った。
後ろ向きになっていた思考もいつの間にか「きっと大丈夫」と明日からのことを前向きに考えられるようになっていた。
チラリとノインに目を向ければ、未だに笑いは収まらないようで、その背中は激しく震えており。ちょっとムカついた。……私が素直な気持ちで感謝を述べるには、彼の笑いがすっかり収まるまでは無理そうだ。
「ノインさん。いい加減笑うの止してくださいよ」
「も、申し訳ない……ッッッ」
今の彼は箸が転げても可笑しく感じるらしい。
苦しげに謝罪を述べたものの私の顔をチラリと見ると、何がおもしろかったのか、ノインはついに「ブフォッ」と噴きだすとまた笑いの世界へと旅立っていった。
(こりゃしばらく放っておくしか無さそうね)
やれやれ、と肩をすくめた私の腹が再びタイミングよくグーゥゥ…と鳴り、笑いに満たされたその場を鮮やかに彩るのだった。
***
結局、ノインはひとしきり笑ってから「仕事が残っていますので」と私の掌に銀色のコインを1枚乗せると、頭をひと撫でしてから去って行った。
その子供にするような仕草に、私は何才に見えたんだろうと気になったが、女将さんに「ノイン様はお優しい方でしょう?」と話しかけられて、私は素直に頷いた。
ノインは「ご飯も宿もお金もない」と泣きついた私の言葉を憶えていて、なんだかんだで気が付いたときには5泊分の宿泊代を支払っていてくれたのだ。しかも朝食代と夕食代込みで。
去り際に貰った銀色のコインも、聞けば「銀貨」と呼ばれるものだと知って私は目を瞠った。
銀貨と言えば、小説には「銅貨100枚が銀貨1枚になる」と書かれていた。
この世界の貨幣価値はまだ良く分からないが、ここの宿賃はいくらなのかと女将さんに聞けば「食事つきで一晩銅貨70枚」という返事が返ってきて。……少なくとも初対面の相手に対しては破格の対応だということだけは分かった。
「ノイン様は子供に弱いですからねぇ」と言われて益々自分が何才に見えるのかが気になったが、「子供に見えたから親切にして貰えた」のならば自分の実年齢は黙っておこう、と思いそっと口を噤んだ。
その後女将さんに通してもらった宿の部屋は清潔そうなベッドにテーブル、椅子が2脚の、文明社会からは遠そうな町並みにしては中々の部屋だった。テーブルの上には花が一輪飾ってあるところがまた、宿の心遣いを感じる。
早めに出してもらった食事も見たことのない料理ばかりだったがとても美味しく、大盛りだったというのに私はペロリと平らげてしまった。
宿の従業員には「さすが育ち盛りの男の子ですね」と感心されてしまったが、しつこいようだが実際の私は25歳の女だ。
性転換魔法で男になっていると言っても年齢は変わらないはずなので、育ち盛りではないはずなのだが。本当に、私はいくつに見えるのだろう。
宿には共同の風呂もあったが、男風呂には入るのはさすがに躊躇われたのでタオルとタライだけ借りて、部屋で体を拭いて一息ついた。
体を拭いていて気がついたのだが私の体は随分と汚れていたようだ。
そういえば森では何回も地面に手や足を付けていたし、ましてやぬかるんだ地べたにも直接座ったりしていたのを思い出す。
タオルを水に浸すたびに、タライの水はどんどん汚れていった。……こんな汚かったのかと驚くと同時に、こんな汚い人間とでも普通に接触していたノインや女将さんの度量の大きさに私は感動した。
着ているものも、ほつれはないとはいえ草臥れていて、町の人たちの格好から比べても野暮ったかった上、この汚さだ。あんまり近づきたくない類の人間に見えるだろうに。
ともあれ、二晩目の野宿を半ば覚悟していた私にとって、最早ノインは救いの天使となっていた。
温かいご飯に、柔らかなベッド。
今の私に、これ以上の幸せがあるだろうか。
たとえ昼間に散々腹の虫を笑われたとしても、彼は私の恩人である。
その晩、私はいつもの習慣「ベッドに入ってから眠るまでの妄想タイム」をする代わりに、ノインへありったけの感謝の言葉を捧げた。
(私の感謝の想いよ、ノインさんのところへ届けー!)
一宿一飯の恩義って、こういうことを言うんだろうね。




