幕間:彼との出会い(???視点)
視点:???
その少年に出会ったのは、本当に偶然の出来事だった。
私はノイン=カシュベルト。ワルズガルド王国第二騎士団副長である。
平民出身としては異例の出世だと周囲から多少のやっかみを受けながらもこの地位に着任した私は、それでも平民の性だろうか、団員達の反対を押し切っては新人騎士の仕事である巡回――所謂、町の見回り――にもよく出ていた。
生まれたときからスライシュに住んでいた私には町の住民に顔見知りも多く、幼いころの私を知っている人たちなどは気軽に声をかけてくる。彼らに「困ったことはないか?」と聞いて回り、町の様子を見て回るのが私の習慣だ。
さすがに昔のように呼び捨てではなく「ノイン様」と名前に敬称が付いてしまったことには一抹の寂しさを覚えるが、それでも馴染みの笑顔を向けられれば私の心も温まった。
本当ならば新人騎士たちと一緒に歩き、彼らと町の住民たちとの顔を繋いでやりたかったが……、団長に「お前と一緒だと新人たちが怯えるからどうしても行くなら一人で行け。むしろプライベートで行け」と言われてしまったので、仕方なく町へは休憩時間を見計らって行っている。
どうして自分と一緒だと怯えるのだろうかと首を捻るが、まさか自分にとっての「普通の訓練」が新人騎士たちにとって「地獄の訓練」とされており、また規律を犯した新人騎士たちに課すペナルティの熾烈さから陰で「鬼の副長」と呼ばれていることなど預かり知らない私は、その答えがいつまで経っても分からないのだった。
その日も、町はいつも通りだった。
強いて変化があったとすれば、あと3カ月先にならないと咲かないはずのクズリの花が咲いていたくらいだろうか。
花屋の主人が興奮気味に話していたのを思い出し、私はクスッと小さな笑みを零した。
いつもはムッツリとした顔を崩さない主人の珍しい場面は、こうして思い出すだけでも可笑しさが込み上げてくる。
いつものコースと同じく、巡回の最後にパン屋を営んでいる幼馴染の店に立ち寄って「新作だ」と言われたパンを手に騎士団本部へ戻ろうとした、その時。
――――ふと目に止まったのだ。
最初は、闇の精霊かと思った。
精霊なんてそうそう見えるものではないと頭では分かっている。だが、明るい髪色の多いこの国では見かけない、珍しい真っ黒な髪。その髪が艶やかに輝き、サラサラと背中で揺れるその様子は美しく、まるで人間のものではないように思わせた。正直に、今まで見てきたどんな美姫の持つ髪よりも美しい髪だった。
さらに精霊がこちらのほうを振り向いた瞬間、私は………息が止まるかと思うほどに固まった。
その容貌が、あまりにも異国めいて美しかったからだ。
どちらかと言えば彫は深くないし、鼻も高くはない。だが小さなパーツをちょこんと顔に乗せたような愛らしさは、独特の美しさがあった。
あぁこの唇に紅を引いたらもっと美しかろうに、と惜しく思って、それからそんなことを考えている自分に苦笑した。普段は「カタブツ」と言われるほど淡白なほうなのに、今日の自分は相反している。
精霊の目は、髪の色と同じで深い深い漆黒の色だった。
肌の色は白く、長く黒い睫毛がバサバサとしきりに瞬く様を見ていると胸がキュッと締めつけられたように感じ、私は目をそらすことができなくなった。
気がついたら私は、一歩一歩精霊に近づいていた。
近づいて分かったのだが、精霊は酷く疲れきっているようだった。
さらに注視してみれば、着ているものも少し草臥れた旅人風な格好で、体にはドロや葉っぱがついたままになっている。私はそこで初めて精霊が「精霊」ではないことに気がついた。恥ずかしい話だが、私は本気で闇の精霊ではないだろうかと思っていたのだ。
おまけに今までその顔や髪の美しさに気を取られ気がつかなかったが、よくよく見てみればズボンを履いているし、女性特有の柔らかな胸もない。こうして見てみれば当たり前だが、彼は人間の男なのだった。それもまだ成人もしていないような、少年だ。
私は逆に興味をひかれ、今度は先ほどまでとは違う視線で彼を見る。
精霊――それも女性の――と間違えてしまっただけあって、彼の体は華奢だ。その容貌の美しさと相まって、彼はとても中性的に見えた。しかし近くで見れば骨格はわりとしっかりとしており、服の袖から出た腕には筋肉もそれなりについていそうだった。
(……潜入任務あたりに向いてそうな顔だな)
同じ職場で働く彼を想像して、しかしそんなことを考えている自分自身に思わず苦笑を漏らした。
すぐに仕事を浮かべてしまうあたり、私も大概仕事人間なのかもしれない。
しばらく様子を窺っていると、彼は下を向いて何かを呟いていた。その表情は俯いているためによく見えなかったが、その雰囲気からまるで泣いているようにも見えた。
(私も、おせっかいになったものだ)
何か事情がありそうな様子の少年に、私は「何か出来ることがあれば協力してやろうか」という気になっていた。
別段子供好きというわけではないが、子供が困っているのを見過すことができないのだ。
それはかつて赴いた戦場での或る苦い体験以来のことだったが、それを知るのは私自身と、当時一緒に戦っていた団長くらいだろう。
見れば少年は、さらに背中を縮こまらせて何かをボソボソと呟いている。
その言葉を捉えようと、私が一歩彼に向って踏み出した、まさにその瞬間。
彼は丸めていた背を反り返らせ、勢いよく天を振り仰ぐと
「お腹が減ってるのがいけないんだぁぁ!」
…………と叫んだのだった。




