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世界の見る夢は。  作者: 木谷 亮
迷い込んだ世界
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スライシュの町

町は想像していたよりも大きかった。

さすが城下町というべきか、地面はタイルが綺麗に並んで舗装されているし、其処此処に若木が立ち並んでいる。素晴らしい景観だ。

町の入り口近辺では行商人が簡易販売所を立ち上げておりその雑多な雰囲気に異国情緒を感じたが、町の中央へ行けばいくほど整然とした街並みが広がっていて、その対比がおもしろい。ガヤガヤと周囲の人が話す言葉も、全て異国めいて……………………というか全くの異国の言葉だ。


そういえば小説でも、異世界トリップしたてホヤホヤの主人公・黒崎誠司がまず困っていたのが、言葉の問題だった。日本語でも英語でもフランス語でもない謎の言語を、黒崎誠司の場合はせっせと勉強して覚えていたものだ。

小説で読んでいた時は「まったく言葉が通じないところからスタートかぁ……私なら全力でぶん投げる自信あるわ。偉いよ…黒崎誠司!」と、英語すら覚束ない我が身と比較して同情したものだが、考えてみれば彼の場合、召喚された王城で衣食住確保された状況での勉強だ。何も頼るもののない私とは大違いなのである。けっ。


だが!

今の私には、妄想魔法という便利な魔法がある!

(あんまり人前で大声では唱えたくない呪文だけどね……)

なんで呪文の頭に「妄想」と付けないと発動しないんだろう…、と思わず跪いて地面に手をつけたくなってしまうが、呪文が若干恥ずかしいことさえ我慢すれば、実際この魔法は便利な魔法だ。

今のところ唯一まともに発動している性転換魔法で何回か試してみたところ、呪文の頭に必ず「妄想魔法」と付けさえすれば、そのほかはどんな言葉にしても問題なかった。その「妄想魔法」という部分が一番恥ずかしく隠しておきたいところなのだが、そこは隠れてはくれないらしい。

―――――この「妄想魔法」というけったいな魔法。そこに言葉は、おそらく関係ないのだ。

必要なのは私のイメージ、とりわけミホに「その妄想力が魔法みたいなものだよね」とまで言わしめられた、私の「妄想力」なのだろう。


ともかく言語習得魔法を唱えてみる。

目を閉じて、精神を集中する。

この魔法には妄想力が必要なのだ、イメージは明確に作っておきたい。


言語習得魔法のイメージの元は、私の会社の上司。佐藤太郎(43歳)にしておいた。

その地味な名前とは裏腹にコヤツは5ヶ国語を操ることのできるオッサンで、学生時代は海外に留学していたとかいなかったとか。やたらお鼻の高い、自称エリート社員である。プライドが高く、横柄、高飛車な性格をしており、「その鼻、いつかボキッとへし折ってやる」と私が日々恨みを募らせていた男ではあったが、言語習得魔法には丁度よいイメージ材料だ。


あの男が外国語を流暢に話している姿をイメージして、「妄想魔法『ノーモア言葉の壁』」と詠唱する。

(………成功しててよー?!たまには私の役にも立て!佐藤太郎、43歳!)

イメージが良かったのか、はたまた私の念が強かったのか。

思った通り周囲の言葉が異国の言葉から日本語となって聞こえてきて、私はホッと安堵のため息をついた。黒崎誠司のように勉強するゆとりなどない私にとって、言語習得は死活問題なのだ。

魔法の効果をしっかり確認するべく、念のために近くで軒を連ねているお店に目を向ければ、看板に「旅の土産に!スライシュクッキー」などと書いてあるのも読めたし、売り子のお兄さんにかけられた「君!スライシュ土産買ってかない?安くしておくよー!」という言葉も理解できたので、「妄想魔法『ノーモア言葉の壁』」は問題なく発動できたということだろう。


ちなみにこの妄想魔法―――自分で使っておいてナンだが発動条件やら何やら、未だに正確に理解しているわけではない。

二度に渡る魔法の成功に気を良くして、再び火魔法だの風魔法だの試してみたが、結果は森で試してみた時と同じだった。つまり、何も起こらない。

(発動条件は、イメージだけじゃないってこと?呪文も「想像魔法」じゃなくて「妄想魔法」で発動するくらいだし、強い想いが必要だとか?)

確証はないが、それを踏まえて考えてみると今回の妄想魔法「ノーモア言葉の壁」成功の裏には、佐藤太郎のイメージ以外にもキーワードがありそうだ。

(あー……職場の公用語が「英語かフランス語」になっちゃったこともあるかもしれないなー)

私は遠い目をして、元の世界での職場を思い出した。

世界進出だのなんだの騒ぐのは勝手だが、私は日本人で、勤め先も日本国内だ。まさか自分が英語で仕事をする日が来るとは思わなかったが、私のさらなる不運は「上司(佐藤太郎ではないほうだ)の得意としているのがフランス語のほうだった」ということだ。

英語すら若干怪しいのにフランス語!もはや私の耳には異世界語か宇宙語にしか聞こえないレベルだ。

フランス語で為された指示がほぼ理解できず、毎晩「ノーモア言葉の壁ぇぇぇ!!」と枕を濡らしていたことも………………………こうやって異世界に来ている今となってみると、良いことだったのかもしれない。



それにしても、と私は足を止めた。

(スライシュ、ねぇ……じゃあやっぱり、ここは本当にロメリヤードなんだ)

昨日立てた仮説はどうやら合っていたらしい。間違いなくここは小説『異世界少年』の世界ロメリヤード。その中でも今私がいるのはヒョルテ大陸東側を支配するワルズガルド王国の、城下町…ということだ。

そこまで考えて、私は「あ」と声を上げた。

(そういえば、今ってどういう時間軸なんだろう?)

もし小説で読んだ時間軸ならば、私にはこの後起こるほとんどの出来事は知っている。例えば、王城襲撃事件。それからワールの塔消失事件。はたまた新しく生まれる王女の名前、などなど。

現在の時間軸は知りたいが、しかしさすがにこの世界の年号などは私には分からない。そこまで小説には書いてなかったからね……。

今が「いつなのか」なんて、通行人を捕まえて聞くにしても何と聞いたものやら。

またもう一つ増えてしまった問題に、私はハァ…とひとつため息をつくと頭を軽く振った。


まぁ分からないことを悩んでいても仕方ないし、と思索にふけった頭から現実に立ち戻ると、私は抱えていた袋をヨイショッと持ちなおした。

袋の中身は私が元々来ていた現代日本の服、バッグ、その他もろもろだ。

元の姿が見る影もないほどにボロボロになってしまった服や靴は持ってきても荷物にしかならないが、捨てるのも忍びなくてついつい持ってきてしまった。その分袋は重くなってしまったわけだが、男になった自分は体力や筋肉もしっかり増えているので「まぁいいか」と持ってきたのだ。

(放置して、誰かに見つかっても問題になりそうな気もするしね…)


しかし体力は上がった、とはいうものの、今の私は――――――――はい、正直に言います。もうヘトヘトです……。

すでに3食を抜いている計算になるお腹は今にも背中とくっつきそうなくらいだし、そうでなくとも慣れないハイキングをしてきた身だ。

どこかで宿をとって休みたい。何か食べ物も欲しい。余裕があったら酒も飲みたい。呑まなきゃこんな無理ゲーやってられん!

(あぁ…………お金。お金なんて持っていないけどさ………)

日本円じゃ駄目ですか、両替レート低くてもいいですから。

…………と言えたらどんなにいいか。うぅ、お金、お金。ご飯。寝床。

いざとなったら元の世界から持ってきた持ち物を売って換金するしかないだろうが。

元彼のネックレスは良い値段で売れそうだし、そんなに高くないとは言え、身に着けていたアクセサリーは他にもいくつかある。ギルド経由で買取屋を紹介してもらえば、そこそこ良心的な店を紹介してもらえるだろう。

いくらくらいになるか、読めないのが不安を煽るが……。


ともかく、冒険者として稼ぐにしてもアクセサリーを売るにしても、ひとまずギルドには一回行く必要がありそうだ。

私は「もうちょっと!あと1歩前へ!」と疲れた足を叱咤しながら、町の中心地へと向かっていった。


………………。

…………。

……。


「ワルズガルド王国と言えば?」「騎士団!」というくらいこの国の騎士団は有名だけあって、町を歩いていても騎士団に所属していると思われる男性が多く見受けられる。

おのぼりさんのごとくキョロキョロしている私の目にも、右を向けば「おっ騎士だ。ちょっと顔は平凡だけど」、左を向けば「あの騎士はなかなか!…髪の色が蛍光グリーンなのが惜しいっ」、後ろを振り向けば「おお!正統派イケメン!日本人じゃ無理よね、あの彫の深さは」などと、どこを向いても視界に入ってきてしまうほどだ。


騎士団の制服は、真っ青なマントに白銀の鎧。顔の造作云々はともかく、清潔感あふれるその立ち姿は文句なしに格好良い。これがいわゆる制服萌えだろうか。

見た目だけではなく、歩くこと一つをとってもキビキビとした動作をしているし、上官らしき人と話す声にも張りがあって、見ていて気持ちよかった。

こんなときでなければ、いつまでも眺めていたい風景だ。

そう、こんなときでなければね………。

もう私はおなかが減りすぎて、ぶっ倒れる寸前なのだ。

グゥグゥ鳴る段階は通り越し、今は切なく沈黙を守っている腹に、私の眉が情けなくもヘニョっと垂れ下がる。

性転換魔法で男になっても尚艶やかに長く垂れさがる髪の毛すら「食ってしまおうか」と思う程度には私の精神は限界にきていた。


「おなか………減ったよぉぉ………」

みじめだ。

とても、みじめだ。

死体から剥ぎ取った服に身を包み、宿なし文無し宛ても無し。減ったお腹を抱えながら、町を彷徨う女がひとり。あ、今は男か。

頼る人なんていない…どころか、私は一緒に異世界にきてしまった友人二人を探さなければならないというのにこのザマである。自分自身が生き抜くだけでもハードルは高そうだ。

そもそもアクセサリーを売ると言っても、売ったお金で何日生活できることか。お金が尽きればそこまでだ。

餓死、という言葉が頭をよぎり、急激に不安が押し寄せてくる。

そうだ、ギルドに行ったって私のできるような仕事はないかもしれないじゃないか。私に使える魔法といったら性転換と言語理解魔法だけ。生活の役には立っても冒険の役には立ちそうにもない代物だ。しかも呪文は変態くささが漂っていて、人前での詠唱に難もある。こんな魔法でどうやって魔物を倒せと!

サヤとミホを見つけるまで、それこそ生きてさえいられないかもしれないじゃないか。私の未来は、きっとこの服の持ち主と同じ白骨死体になるに違いない。


嫌な想像ばかりが脳裏をよぎり、足がガクガク(これは疲れもあるだろうが)と震え、涙がジワッと滲む。

なんでこんな気持ちになるの。モヤッとするの。涙が出るの。

それもこれも全部――――

「お腹が減ってるのがいけないんだぁぁ!」

――――――と気が付けば私は鬱憤を晴らすかの如く、力の限り叫んでいた。

人通りの多い、大通りの真ん中で。

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