私と友と、異世界と
そもそも私は、幼いころから夢見がちな少女であった。
友人たちがオママゴトや鬼ごっこに興じる中、ひとり物陰で自家製の呪文を唱えて魔法の練習をしているような、痛い子供。それが私だ。
いつか魔法は使えるようになると思っていたし、精霊や魔物がいる世界もあると本気で信じていた。
それだけなら、私は「想像力豊かな女の子」で終わっていただろう。
しかしそれが………………まさか25歳になった今でも信じ続けることになるだなんて、カミサマだって思うまい。
もちろん自分が世間から見れば「変」だというのは自覚しているので、ちゃんと隠してはいる。隠れオタクみたいなものだ。
知っているのは極々親しい友人2人だけ。この友人たちは幼いころから一緒に過ごしてきたので、隠しごとをしようと思っていても何でもバレてしまうのだ。
彼女たちはそんな私をバカにするような人たちではなく、いつだってありのままを受け入れてくれた。さすがに共感まではしてくれないけど、彼女たちの前でなら自分を隠すことなくいられたので私もとても楽だったし、彼女たちのそんな懐の大きいところが私は気に入っていた。
「その小説、そんなにおもしろいの?」
いつものカフェでのお喋り会。
お互い別々の仕事を持ちながらも、休みが重なったときはこうやって集まってお茶を飲むのが私たちの常だ。
その日は華の3連休最終日ということもありお店もいつもより賑やかだったので、私たちは壁のくぼみに嵌り込むような形の席――私たちは特等席と呼んでいる――で隠れるようにしてお茶を飲んでいた。
顎に手を当て肘を付きながら「それ。カオルの持ってる本。いつも持ってるよね」とサヤは重ねて聞いてくる。
それに私は「あぁ、これは特別なの」と返し、手にしている本を軽く撫でた。
「特別?」
「そ。特別。すんごくおもしろいのもそうなんだけど…この本は、なんか手放せないのよね」
「手放せない?どういう意味?」
ミホも不思議に思ったらしい、身を乗り出して聞いてきた。
私は上手く説明できない感情にしどろもどろになりながら説明する。
「だから…うーんと…体から離したくないみたいな…?とにかく不思議な感じなのよ。なんとなく、持ち歩いてると安心する、というか……」
「待って、それってコレ…じゃないよね?」
サヤが手を顔の前でだらりとさせ、幽霊のマネをしてみせる。
幽霊が付いている本だから手放せないのか、と言いたいらしい。
「やめてよー、お気に入りの本なんだからぁ」
私は眉をしかめると、手元の本に視線を落とした。
『異世界少年』というタイトルと、作中の主人公と同じ『黒崎誠司』という名前の著者名だけが書かれた表紙。挿絵も表紙絵もなく、愛想のかけらもないようなそっけない装丁の本だ。古本屋巡りの最中にたまたま目にして、気が付いたらレジに運んでいたこの本は、確かに不思議な愛着というか…何かを感じることはある。けれども私がこの本を手にしたのはたまたまであり、手放せないのはこの本がおもしろいからだろう、と私は思っていた。
「まっ幽霊なんているわけないし。外国のビーグル犬が出てくる漫画でタオルケットを手放せない男の子とか居たじゃない、それと似たようなもんでしょ。依存症的な、さ。携帯依存症とかもあるくらいだし、カオルも気にすることないわよ。ほら!サヤもいい加減にしなさいよ、その手」
わりと現実主義者なミホがそう締めくくってサヤを嗜めると、サヤはフフッと笑って「ごめんごめん」と手をひっこめた。…下を向いていて気がつかなかったが、サヤの手は未だ顔の前でぶらりとしていたようだ。
「…ハァ、それにしてもカオルのその嵌りっぷりは凄いよね。あ、幽霊とかそういう話じゃなくてね。さっきも言ったけど、そんなにおもしろいの?その本」
私はお気に入りの本に興味を持たれたことが嬉しくなり、心底不思議そうに聞くサヤに「もちろんよ!」と宣言すると、さっきまでのモヤモヤを吹っ飛ばすようにその本がいかに面白いかを語り始めた。
あらすじやシーンはもちろんのこと、主人公やその他のキャラクターの裏話、魔法のこと、果ては地名に魔物の話まで。
何回も、いや、何十回も何百回も読みこんでいる大好きな小説だ。一を聞かれたら十を語れるほどに、私はこの小説を愛読していた。
「――――――でねでね、主人公が異世界にトリップしたばかりのときにね―――」
10分ほど休みもなく語り続けたころだろうか、なおも話を続ける私の隣で、静かにジュースを啜っていたミホが「…その質問、地雷だったわね」とサヤに向かって肩をすくめてみせた。
それに対しサヤも同意するようなそぶりで苦笑する。
私は二人の様子を見て、ムッとした。
言うに事欠いて「地雷」だ。甚だ失礼な話である。
「失礼な。二人ともなんで分からないかなぁ、すっごくおもしろいんだから!それに異世界トリップモノだよ異世界トリップ!乙女の夢でしょー!」
「いーや、それは乙女の夢にあらず。カオルの夢でしょ」
「私も同感。本当にカオルは『残念美人』だよね」
サヤとミホに真っ向から否定されて、私は頬を膨らませた。
25にもなって子供っぽいかなとは思ったけど、腹が立ったのでプンと横を向いてしまう。
残念美人、とはこの二人によく言われる言葉だ。
髪の毛は一回も染めたことのないツヤツヤ黒髪ロング、肌の色も白いほう。顔立ちも………自分で言うのもなんだが、そう悪くはないと思う。私の髪型も相まってまるで戦国時代のお姫様のような出で立ちをしているのに、脳内は妄想力(想像力とは言ってくれない)逞しく、日々真剣に「異世界へ行ってみたい」と熱く語る。だから「残念美人」なのだそうだ。
膨れっ面の私を宥めるように、サヤが私の頭を撫でてくる。
「カオルー、そんなに怒んないの」
「そうそう。あ、昨日言ってた『男になってみたい』っていう妄想だけは私も同意したげるし」
そう言ってミホはニヤリとする。
……確かにミホが男になったら、結構なイケメンになりそうな気がする。性格もクールだし、綺麗に耳元で揃えたショートカットの髪や釣り目がちの目がキリリとした雰囲気を醸し出していて、同じ女性から見ても格好いい。
それとは正反対なのが、サヤだ。サヤは背も低いしフワフワに巻いた髪の毛がいかにも女の子然としている。
もしサヤが男になったら、さぞや可愛い「小学生の」男の子になるだろうと思われた。
本人もそう思ったのか、サヤは薄めの眉をキュッと寄せて抗議する。
「えぇーミホはキレイ系だから良いかもだけど私は嫌だわ、結構童顔だから完全お子ちゃまになる気がする。ま、でもカオルが男になったとこなら私も見たい気がするなぁ。ぜったいカオルは若武者タイプになるよね、髪もまっすぐで綺麗だし」
そう言いながらサヤが私の髪をサラッと持ちあげた。
マメにトリートメントをしている成果か、私の髪はサヤの指から静かに零れおちていく。
「本当羨ましいんだけど。カオルの言葉じゃないけどさ、こういうときに『魔法があったらなー』とかは、思うよね」
「『私の髪よ、サラサラ艶髪になぁれ~~~!』みたいな?」
「そうそう!」
サヤとミホは本当に私の扱いが上手い。魔法の話をすればすぐに私の機嫌が直るとよく理解しているのだから。悔しいことにその通りなんだけど。
笑い合っている二人に、私は少し機嫌を直して口を開いた。
「……それさ、もうちょっとカッコ良く言うのもアリなんじゃない?格式ばった感じで」
「え、『我が髪よ、サラリサラリと艶ある髪になりたまへ~!』とかってこと?」
「あはは、それダメって私でも分かるわ!『なりたまへ』はナイナイ」
「うーんでもミホの着眼点はいいかも」
「いいのか」
少しくすぐったい様な可笑しさがあって、私たちは顔を見合わせるとお互いにクスクスと笑い声を洩らしていた。
―――こうしているとまるで女子高生時代に戻ったような気分だ。
就職してお互いの居場所はバラバラになってしまったけれど、3人で集まれば簡単にあの頃の気持ちに帰れる。
こうやって過ごす時間が、私は大好きだった。
しばらく笑い合っていると、突然「あ」とサヤが声を上げた。
「そうだ、カオルが考えて言ってみてよ。そうね、カオルの好きな『異世界』に行く魔法とかをカオル風にさ」
「私風に?」
唐突なサヤの言葉に少し驚きつつも、私はひとつ頷くと「ちょっと待って」と言って目を閉じた。
思い返せば、今まで彼女たちに「魔法を使いたい」「異世界に行きたい」と話したことはたくさんあったけど、呪文を唱えるといった「魔法ごっこ」みたいなことは、幼いころを別にして、1回もしたことがなかったかもしれない。もちろん彼女たちは本気で呪文を唱えるつもりではないだろうが、それでも私は少しワクワクしてきていた。
(どんな呪文がいいかなー。異世界へ行く魔法、異世界へ行く魔法ね……)
少し悩んで。
ふと視線を落とせば、私の膝の上には『異世界少年』と書かれた一冊の本。
(…この小説の中に入る魔法、なんていいかもしれない)
『異世界少年』の中の世界・ロメリヤードは、剣と魔法の世界だ。それは、まさに幼いころから私が行きたいと思い描いていた『異世界』そのもので。
私はロメリヤードの大地に立つ自分を想像して、ニンマリとした。
どうせ唱えるなら、この小説の世界に入り込むイメージで唱えてみようと思った。
「………よし、決まった!では二人ともご静聴くださいませ」
「ははーっ」
「畏りましてございます」
二人もノリを合わせて頭を垂れてくる。
私は笑いをこらえてそれに鷹揚と頷いてみせ、手をスッと頭上に掲げた。
手はグーのままだ。それをゆっくりと開いていく。
イメージとしては「開かれた手から放たれた未知のパワーが私たちを包みこんで、私の膝の上にある本の中の世界へと運んでいく」といったものだ。いつも夜寝る前に「こんな魔法が使えたらいいのに」と妄想してきただけあって、魔法の発動するその瞬間のイメージは明確である。私の仕草もそれらしく見えたのか、サヤもミホも笑いを引っ込めて神妙な顔を浮かべた。
私は渦巻く魔力を頭の中に思い浮かべながら、心に決めていた呪文を唱える。
「いざなえ!我らを!妄想魔法『異世界往路』!」
頭に「妄想」とつけたのは何となくだ。
いつも「カオルはその妄想力が魔法みたいなものだよね」なんて言われていたから、ちょっとした茶目っ気で付けてみただけ。
私だって、いくら妄想力溢れる痛い25歳とはいえ、お茶会のノリで作った呪文が発動するなんて欠片も思っていない。
それが、まさか。
本当に異世界に飛んでしまうなんて、思わなかったのだ。




