スターリン② スターリン独裁体制 大粛清と第一次五ヵ年計画
遅くなってごめんなさい。
前回お話ししましたように、トロツキーが、1929年にソ連を追放されるとスターリン個人の独裁体制の時代に入ります。
スターリンが最初に行ったのは、「大粛清」です。スターリンは、敵と見なした人物を次から次へと処刑します。
まず、共産党員や党幹部を容赦なく断罪していきます。1934年の時点では党の代議士が1996人いましたが、1108人を処刑しました。
※レーニンの時代の革命の同志も、多数処刑されます。カーメネフやジノビエフ、ブハーリン等が代表的ですが皆処刑されました。
また、秘密警察のメンバーも3000人を粛清します。軍に至っては、第二次世界大戦でナチスがソ連軍を殺した人数よりも、多くの軍人がスターリンによって殺されるのでした。
更に、1930年代は百万人単位での処刑が行われました。これは、一般国民が対象となりました。
このときは、密告者を紛れ込ませて密告があったものを処罰しました。
この制度によって、人々は互いに疑心暗鬼になりました。
更に、密告者には報酬も与えられたため、密告はエスカレートしました。
結果、互いの密告により沢山の罪のない人民が処刑され、その数は少なく見積もって百万人といわれています。
粛清をすすめる一方で、スターリンは1928年から第一次五ヵ年計画を実施します。
この政策は、年ごとに達成すべき経済目標を決めてその実現に向けて取り組んでいく内容です。
特に力を入れたのが、重工業です。炭鉱の開発やコンビナート形成に注力を行い、ソ連はアメリカに次ぐ二番目の工業大国になるのです。
※なお、この工業化の時代に、モスクワに地下鉄ができます。地下鉄の完成を、スターリンは五ヵ年計画の成功として喜ぶのでした。
また、農業集団化にも力を入れました。これは、農民をコルホーズと呼ばれる集団農場に入れて、集団労働させることで、農業の効率化を成しとげようとした政策です。
もっと簡単にいうと、「種を巻く人、土を被せる人、耕す人、水を与える人」といった感じでものすごく細かく役割分担を集団で行い、農業を機械的に行った政策です。
しかし、農業集団化の本当の目的は、農民を集団化することで支配しやすくすることでした。更にはレーニンが廃止した穀物徴発を復活させることも目的となっていました。
スターリンは、新経済政策でクラークやネップマンといった実業家が誕生した矛盾に疑問を感じ、「もの」の生産、流通などのプロセスは国が管理する必要があると考えたのです。
こうして農業の集団化が進められると、ソ連は穀物をどんどん輸出して外貨を獲得し、工業化実現を目指しました。
そう、「スターリンは、穀物を外貨獲得の手段にして工業化を成し遂げたのです。」
これが何を意味するか?
確かに前述した通りに、ソ連は工業大国の仲間入りをするのですが、農村では穀物徴発によって、飢饉が多発します。
その飢饉が最も凄惨な状況になっていたのが、ウクライナだったのです。
そこで、次回、ウクライナの飢饉を解説しようと思います。




