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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
32/75

レーニン⑤ ソヴィエト社会主義連邦共和国の成立とレーニンの死




戦時共産主義によって、内乱と対外的脅威を乗り越えたロシア共産党でしたが、この政策を実施してから穀物の生産数が7400万トンから3000万トンに激減します。


国内における農業は、穀物徴発によって疲弊して壊滅的なダメージを受けるのでした。


また、1921年になるとクロンシュタット軍港で水兵達が反乱を起こします。これをクロンシュタットの乱といいます。クロンシュタットの水兵たちは、殆どが農村出身者であったため、故郷の農村の過酷な穀物徴発が許せなかったのです。


ちなみに、多くの参考書では、クロンシュタットの乱を小さく紹介しています。しかし、このクロンシュタットの乱こそ、レーニンが戦時共産主義政策に限界を感じたきっかけになったのです。


水兵たちは、ロシア共産党の一党独裁を否定し、労働者による民主化が必要と考え、共産党にその要望を提出します。


結局、レーニンは反乱した水兵たちを処刑するのですが、水兵たちの訴えを重く受け止めます。同時に政策の方向転換を決意しました。


そこで、同年1921年にレーニンが始めたのが、新経済政策(ネップ)です。


この政策のもとで、穀物徴発制が廃止され、食物の余剰生産物の自由販売が認められるようになりました。


また、中小企業の私的営業も認められ、部分的に資本主義が認められるようになりました。


レーニンは、ロシアの社会の現実を見たときに、社会主義国家実現は緩やかに行う必要があると考えたのでした。


※なお、この政策により、努力すれば結果が出るわけですから、頑張って富を持つものが出てきます。それがネップマン(都市の富裕者)やクラーク(富農)です。この用語も余力があれば覚えておきましょう。


こうして、ソヴィエト=ロシアの経済は少しずつ回復していきました。国内が安定化すると、レーニンはその成果に満足します。


そして、ネップ開始の翌年1922年にレーニンはソヴィエト社会主義連邦共和国樹立を宣言します。


革命から5年がたち、漸く皆さんがご存じの「ソ連」が成立するのでした。


しかし、レーニンはこの1922年に脳梗塞になって喋れなくなってしまいます。そして、二年後には死亡してしまいます。


ソ連は、レーニンの死後に党内争いが起こり、スターリンの時代を迎えるのでした。




レーニンの死体は、防腐処理が施させれていて、今も生きた当時の姿のまま、モスクワに安置されています。


また、レーニンは、新経済政策を実施しますが、熱心に学校設立に注力します。


教育によって、社会主義の理想を理解させることが大事だと考えたからです。

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