日露戦争 奉天開戦と日本海開戦
前回、日本が旅順要塞を死闘の末に陥落させたことをお伝えしました。
しかし、旅順の北に位置する「奉天」では、ロシアの陸軍が37万人も待ち受けており、まだまだ強大な戦力を持っていました。
そこで、この「奉天」の地で日本陸軍25万人とロシア陸軍37万人の総力戦が開始されます。
これが、1905年に起こった「奉天開戦」です。この戦争では、戦力差があるなかで奇跡的に日本が勝ちます。
実は、当時のロシア側の総司令官である「クロパトキン」は、「乃木希典」を徹底的に恐れていました。
何故なら、ロシアの最強要塞を攻略した軍司令であったので、乃木希典の部隊こそが敵の主力に違わないだろうと考えるのです。
そこで、クロパトキンは乃木希典の部隊を過剰に警戒し、10万もの兵を引き連れて戦いに挑みます。
この時、乃木希典の部隊を切り崩せない状況に焦りを感じて、一つのミスを犯します。
それは、撤退命令です。実際はロシア軍が有利だったのに、このまま行くと、包囲されたときに退路がなくなるのではないかということを「クロパトキン」は恐れたのです。
しかし、この撤退命令によって、ロシア軍の足並みが崩れます。この隙をついて、日本軍はロシアに勝利するのでした。
一方、海においても東郷平八郎らがバルチック艦隊を迎え撃ちます。
これが「日本海海戦」です。
東郷平八郎は、参謀である秋山真之の考案した「新型丁字戦法」を駆使して、バルチック艦隊撃破します。
※丁字戦法とは、敵艦隊が縦一列にならんでやってくるのに対して、自軍の軍艦を横一列にならべて丁字をつくって迎え撃つ戦略です。
※砲弾は軍艦の横に積んであるので敵の正面の軍艦に対して、横一列の軍艦から集中砲火を浴びせられる利点があります。
※以前もこの戦法で戦って隊列に拘りすぎて失敗しているから、「新型」といってます。旧型との違いは、簡単にいうと敵にギリギリまで近づいてから、艦隊を横一列にするというもので、タイミングがずれると逆に敵から総攻撃を受けるリスクがありました。
こうして、奉天開戦と日本海開戦に勝利することで日露戦争における日本の勝利が確定したのでした。




