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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
11/75

東方問題① ギリシャ独立戦争とエジプトトルコ戦争

東方問題にいよいよ入りますが、19世紀のロシア外交史の中でもっとも複雑な問題であったと考えています。


フランス革命が、世界史の教科書で非常に長々と語られるように、東方問題もきちんと語ると、負けないくらいボリュームがある話と考えています。


その理由は、各国の思惑がとても複雑に絡み合った問題だったからです。


そんな東方問題を分かりやすく語れるのか?ドキドキしていますが、本稿に入ります。


宜しくお願い致します。



前回、ロシアはニコライ一世の頃から、各国に積極的に進出するようになるというお話をしました。


そして、ロシアは南下政策によって、ロシアが本格的に不凍港を目指すようになったという話もしました。


この不凍港獲得は、ロシアの悲願であったとも言えます。


軍事を行うにせよ、小麦を輸出するにせよ、ロシアの港は冬に凍ってしまうのです。


そこで、ロシアにとって不凍港を獲得する最短ルートが黒海進出でした。


しかし、このルートは、イギリスが植民地インドに向かう時にロシアとぶつかるルートでもありました。


従って、イギリスはロシアのこの動向を東方問題と呼んで警戒し、対立を深めるようになるのです。


※東方というのは、イギリスから見て東方という意味であることも知っておくといいでしょう。


なお、大学受験をする人は地図も確認していただきたいのですが、ロシアが黒海から地中海方面に出るためには、その中継の海峡である「ボスフォラス海峡」と「ダーダネルス海峡」という二つの海峡を獲得する必要がありました。


これは、当時、オスマントルコが支配していた海峡です。従って、これら二つの海峡をオスマントルコから奪い取ることがロシアの目標となっていたのです。


一方、オスマントルコという国は、名前の通りトルコ人が支配する国家でしたが、その実態は多民族国家でした。


何故なら、当時のオスマントルコは、ギリシャやセルビアやエジプト等、トルコ人以外の人々を多数支配することで成り立っていた国家だったからです。


そんな中、ギリシャやエジプトで民衆の独立運動が盛んになりました。そして、その独立運動にロシアは付け入るようになります。


初めに、ロシアが介入したのは、1821年にギリシャ-トルコ間で行われたギリシャ独立戦争でした。


介入の目的は、簡単に言うとギリシャに恩を売ることでギリシャを自分の手先にし、不凍港を獲得することでした。


しかし、ギリシャ独立戦争にはイギリスやフランスも介入します。特に、イギリスはロシアの不凍港獲得がとにかく嫌だったのです。


結果は、ロシアの不凍港獲得は失敗に終わります。


次に、ギリシャの独立を見ていたエジプトの総督ムハンマド=アリーは、トルコが弱体化している隙をついて、シリアを領有しようとします。


当然、オスマントルコはこれを認めることができません。そこで、1831年にオスマントルコとエジプトの間で第一次エジプト=トルコ戦争が勃発します。


ロシアはこの戦争にも介入を行います。しかも、今度はエジプトではなくトルコ側につきました。


目的は、トルコをロシアのいいなりにして不凍港を獲得することです。


やはり、イギリスやフランスやオーストリアもロシアの強大化を怖れてこの戦争に介入します。


この時、イギリスやフランスやオーストリアは、エジプト側を支援したことも覚えておきましょう。


結果はトルコの敗北であり、エジプトはシリア地方まで領土を拡大します。


しかし、敗北してもトルコに恩を売った(と思い込んでいる)ロシアはどさくさに紛れてトルコに「ウンキャル=スケレッシ条約」という条約を結ばせます。


これは、ダーダネルス海峡の自由航行権を認めるものでした。


また、暗黙の了解でボスフォラス海峡も通ることをオスマントルコはロシアに認めています。


当然、この動きには、イギリスだけでなくヨーロッパ各国が動揺します。


そんな中、野心家であったムハンマド=アリーは、シリア領有のみではなく、世襲でエジプトとシリアを統治する権利をオスマントルコに求めます。


やはり、これもオスマントルコは認めることができなかったので、1839年に再び戦争が開始します。


これが第二次エジプトトルコ戦争です。この戦争もエジプトが勝利します。


この状況に乗じて、イギリスはロシア、オーストリア、プロイセン等とロンドン会議を開きます。


ロンドン会議では、トルコが平和である限り、外国軍艦にたいしてボスフォラス海峡やダーダネルス海峡を開いてはいけないことか決定されます。


更に、トルコに関する問題は四か国で話し合うことが決定されました。※これがロンドン条約です。


このイギリスのロンドン会議によって、「ウンキャル=スケレッシ条約」が破棄されて、ロシアの南下政策は挫折するのです。


これらの結果から、ロシアは外交ではなく武力によって直接、不凍港を獲得しようと考えるようになるのです。


そして、ロシアの不凍港獲得の野望は後のクリミア戦争へとつながります。※かのナイチンゲールが、有名になった戦争です。


そこで、次回はクリミア戦争のお話をさせていただきます。


以上。
























ギリシャ独立戦争は、教科書にかいてありませんが、ギリシャ愛護でヨーロッパが支援した戦争ではありません。


南下を狙うロシアと、それを阻止したいイギリスの思惑が背景に存在していました。


それともう一つ。


第二次エジプトトルコ戦争後のロンドン条約によって、結局エジプトの世襲統治が認められました。


しかし、エジプトが目指していたシリアの領有は達成されませんでした。


エジプトのシリア領有は、イギリスのインドへのルートの障害になるからです。


こうして成立した王朝がムハンマド=アリー朝です。


また、この時のイギリスは外交で完全に勝利しました。この外交の立役者がイギリスのホイッグ党出身、パーマストンであったことも覚えておくといいでしょう。



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