93話
「どうなってんだ?」
視界にあるもの全てが白一色の世界でレグルスは呟く。なんの意味もない問答に返ってくる答えは無い。そして、ふと自分が刺された筈の腹に手をやればそこに傷はなく綺麗な体であった。
不可思議な現象の中にレグルスはいた。
「どうなってる……」
再び呟いた言葉。それは脳を整理する為に反射的に呟かれた言葉であり意味はない。呆然と辺りを見渡していたレグルスだったが、暫くすると落ち着きを取り戻す。
「ふぅ〜。どうにもこうにもどうせアイツ関係になりそうだ」
置かれた現状を再確認しようとする思考が戻ってくる。そして、今までの経緯を思い出し始めたレグルスはふと引っかかりを覚えた。
「あの時……そう、あの言葉」
何が起きているのか分からないレグルスだったが、自分の腹を完全に貫かれたと同時に心に響き渡った声を思い出す。あの時、サラダールもまた違和感を感じていたようだった事は朧気な記憶に残っていた。
『よもやここまで耐えきってくれるとはな。これで我の願いを果たす事ができる』
レグルスはこの言葉の意味が分からない。何かの手掛かりになるのかもしれないが、レグルスにとって情報が無さ過ぎた。
だが、経緯を思い出して確定している事もあった。そう、腹に受けた傷は致命傷だった事だ。
「死んだのか……みんなは……」
そう導き出したレグルスは終わりのない白い世界を歩き始めた。彼の脳裏を過ぎるのは残してきた幼馴染達やカエデにローズ。だが、ここからでは何もわからない。
「守るって約束したんだ」
どれほど歩いても終わりのない白い世界を前に焦燥感だけが募っていく。歩きから速歩きへ、駆け足から疾走へと変わる。
守るという意識だけが先行するだけで、白い世界に変化はない。
「くそっ!!」
レグルスが死んだとすれば残された彼女達がどうなったのか。それを考えれば考える程にレグルスの顔は歪んでいく。叫びだしたい衝動を押さえつけてレグルスは走り続ける。
だが、彼の感情など知った事かと白い世界は永遠と続いていた。
そうして、どれだけの時間歩き続けたのか記憶も曖昧になりかけていた。ふと視線の先に現れた扉。白い世界にポツンと現れた扉は異質で違和感だらけのものである。
しかし、レグルスは訪れた変化を前に躊躇いなく扉を開き中に入っていった。
「来たか」
唐突に聞こえてきた声。聞き覚えのある声に勢い良く頭を上げたレグルスは目を大きく見開いた。それは忘れるはずもない長身の男。
「サラダールっ!!」
サラダールであった。何故ここにいるのか? 何をしているのか? 様々な疑問すら飛び越してレグルスは臨戦態勢をとる。しかし、対峙して分かる気配の違い。目の前に立つサラダールは絶望を振りまいていた者とは大きく異なる気配を纏っている。
身構えるレグルスを前にしてサラダールは動かない。何よりレグルスに向ける表情は優し気なものだった。
「初めまして、と言うのは些か難しいだろう。お主は今の今まであのサラダールと戦っていたのだからな」
まるでレグルスと対峙していたサラダールとは違うとでも言いたげな言葉だった。困惑と共にレグルスは質問する。そうしなければ何も始まらないような気がしていたのだ。
「……。――お前は誰なんだ?」
真っ先に思い浮かぶのはこの質問しかない。眼の前にいるサラダールの姿をした存在は考え込むような仕草を見せたあと口を開いた。
「そこから説明した方が良さそうだな。我は英雄と呼ばれていたサラダールだ。お主に宿ったラダールの概念意識の一部。人を助けようとしたかつてのサラダールである」
「英雄? 一部……?」
「そうだ。堕ちる前のサラダールの意識とでも言った方が良いだろう。まずは感謝をしよう。お主のお陰でその一部がこうして生まれたのだ
何を語っているのか分からないレグルスは混乱した様子で目の前のサラダールを見つめていた。
「こう言っても今は分からないだろう。お主には順をおって話すことにしよう」
そう言い終わるとサラダールが指を鳴らす。
「なっ!?」
レグルスが驚きの声を上げる。何故なら彼らが立つ中央の白の世界が変化していくのだ。そして、サラダールとレグルスの間に波打ちながら現れる椅子と机。
サラダールはそのまま椅子を引くと腰を下ろした。そして、レグルスに向け手で座るように促す。
「まずは掛けたまえ」
「何が目的なんだ? ここから戻せるのか?」
「お主に危害を加えるつもりはない。そして何も心配はいらん。全てを話し終えたらお主をあちらに戻してやろう。故に今は掛けたまえ」
言われるがままに席についたレグルス。
すると、またしても気が付けば机の上にカップとティーポットが現れていた。
「お主も飲むといい」
それを自然な動作で注ぐサラダール。上質な茶葉を使っているのか心地よい匂いが漂ってくる。
視線で飲むように促されたレグルスは躊躇いつつも口に含んだ。
「さて、落ち着いたか?」
「ああ。もう大丈夫だ……話を続けてくれ」
レグルスは今すぐ戻りたいという気持ちが強い。残してきた彼女達との再会を望む故に話を急かす。
「そうしよう。まずサラダールの歴史は知っているか?」
その唐突な質問にレグルスは聞いていた歴史を反芻する。
「意思なき竜から人を守る為に人に滅竜の力を与えたが、その後は邪悪に堕ちて封印されたって事か?」
伝え聞いた歴史を話したレグルス。
「それが正解だ。当時、人の負から生まれた意志なき竜への対抗手段として人に滅竜の力を与えた。そして、我の行いに反対した竜とも戦い人を救ったのだ。そこから人は改心し、暫し平和な時が続いた」
どこか遠くを見つめるような仕草を見せたサラダールだった。歴史を見てきたのだろう彼からは様々な感情が渦巻いているようだった。
そして、再び口を開く。
「しかし、人の業は肥大化した。超常の力を手に入れた彼らはその力を同族達に向け始めたのだ」
かつての世界は今のように平和では無かった。知性なき竜が猛威を奮い逃げ惑う人々は明日を迎える事に必死であった。そんな日々を耐え忍ぶ人類だったが、現れたサラダールと五大竜王達の協力によりようやく安寧の日々を手に入れた。
それが英雄サラダールとして崇められた歴史。
「力を手に入れた人同士の争いは見るも無残な程に壮絶な戦争だった」
しかし、それは長く続かなかった。滅竜と呼ぶ力を手に入れた人類は戦争を繰り返す。それも、竜を滅せる程の力が人に向かえばどうなるかなど想像に難くない。
戦争によって奪われた者はさらなる力をもって復讐する。憎悪や負の連鎖。そして、新たなる領地、権力、富、名声を得ようと争いの火は広がっていった。
「我は止めようとした。しかし、同族の竜よりも優先する程には我は人を好いていた。矮小なる種でありながら彼らは支え合い、高め合い、驚くような物やシステムを作り出す。人という種に魅了された我が彼らに直接手を下す事はついぞできなかったのだ」
サラダールはその戦火を食い止めようと最も信頼し力を与えた6人の竜姫達と共に奔走した。だが、既に巨大な国家へと変貌していた六つの王国は劣る他国を征服することをやめなかった。
止まらない狂気を止める為、身内であった各国の王族達に対して六人の竜姫――六王姫は何度も何度も国に訴えた。
しかし、その努力は無駄に終わる。
「我らを邪魔に思ったのだろう。人は我や六王姫に刃を向けた。人は我すら倒せると思い上がった結果、カレン、アリエス、フィオナ、ニーナ、ララ、テルフィナは遂に反逆者として母国に裏切られ捕らえられたのだ」
「そこまで愚かとはな」
「そして、人の未来を想い行動していた我らは何度も裏切られ、高まった負のエネルギーはやがて我を飲み込んだ。そこからはお主が知るサラダールよ。人を恨み滅亡させようとする我らは何とも皮肉な物語よ……我らという新たな驚異を前に人類は皮肉にももう一度団結した。そして、そんな我らを見かねた五大竜王により封じられたというのが真実だ。そんな人類の汚点は歴史を捻じ曲げて伝わっていたそうだがな」
サラダールの過去は何とも悲しいものであった。同じ人という種であるレグルスはどう言っていいか分からない。全ての元凶が人であったのだから。
「なに、気にするな。他に質問はあるかな?」
「何故ここに現れた? それにここはどこなんだ?」
それは只の疑問だった。このサラダールの話しぶりから見て、彼は負に呑まれる前の意識だという事が分かる。それが何故こうしてレグルスの前で会話しているのかと。
「ここが何処かと問われればここはお主の精神世界だ。お主は覚えておるか? 力を使用したときに感じた何かに呑まれるような感覚を」
「感覚? ああ、あれか。最近は感じなくなったんだが……」
それは身に覚えのあるものだった。まだ誰とも契約する前、ふと自分が何かに呑まれるような感覚に襲われていた。それが何なのか、自分でも分からないままにいつの間にかその症状は消えていた為に最近は意識する事がなかったもの。
「お主は我の転生体……いや鍵としての役割を持っていた。封印を解く鍵としての役割を持たされたお主はサラダールと繋がる者。お主は死神により封印が弱まった後に生まれた鍵だった故、負のエネルギーがお主に流れ込んでおった」
「それで乗っ取られそうになっていたのか?」
「負が高まれば人間は堕ちる。そうなればサラダールの復活は更に容易なものとなった筈だ。しかし、お主は堕ちなかった。更にはこうして負の一部を浄化するまでに至った。……何故だか分かるか?」
サラダールは痛快そうな笑みを浮かべて質問する。まるで答えが面白いものであるかのような態度であった。返事を待つサラダールにレグルスは考える素振りを見せる。やがて、考えるのに疲れたのか催促するように目で促した。
「答えの一つはな……ふふ。お主が真正の怠惰という事よ」
その答えに面食らったレグルスは首を傾げる。
「怠惰って俺の事か?」
「そう怠惰。怠惰とは人間の業深き罪に数えられる大罪だ。そして、お主の怠惰がサラダールから流れ込んだ負に打ち勝ったのだよ。負すら吹き飛ばす程の怠惰のお蔭で我が戻ったという何とも痛快で奇天烈な要因。これを笑わずして何を笑えというのか。……ふははははっ!!」
そう言うと盛大に笑い始めたサラダール。肩を震わせる笑いから次第に机を叩き出す程の豪快な笑いへと変じていく。当然ながら笑われたレグルスはむすっとした表情で睨みつけていた。
「いや申し訳ない」
謝りつつも肩が震えているサラダール。彼にしてみれば長年に渡り蓄積された負のエネルギーがまさか怠惰というたった一つの性格に負けるという結果に我慢ならないのだろう。
「俺だってそんなに怠惰じゃないぞ」
そう言ったレグルスに対してサラダールは指を鳴らした。すると右側に突如として様々な光景が流れ始めた。景色から見てモルネ村だと判断できるのどかな光景。
ある映像には草原で寝たまま一日中を過ごすレグルスの姿。またある光景ではサーシャが何度も起こしに来ているのにも関わらず彼女がうっすらと涙を浮かべるまで寝続けるレグルス。ラフィリアのお手製料理を食べつつ船を漕ぐレグルス。
他にも村総出で畑仕事を始めるという日に隠れ潜んで村から脱出し眠りこけるレグルスの姿。そして、最後に流れたのは竜式の日に草原で眠っていたレグルスの襟を引きずるアリスの姿であった。
そのどれもが眠っていたり、仕事を放棄して隠れていたりと、怠惰ではないとは言えない数々のものであった。
「これを見て自分が怠惰では無いとは口が裂けても言えんだろう。確かに最近のお主は怠惰からかけ離れていたが、そもそもお主の行動理念は怠惰生活を取り戻すという目的が第一にあろう?」
「ま、まあそう言われれば否定できないんだが……」
ぶすっと顔を顰めたレグルスだったがサラダールの言葉を否定できるだけのものは用意できなかった。幸せそうに眠る自分を見て少しばかり羨ましく感じたのもまたそういう事だった。
「そう怒るな。お主が怠惰だった故に一部とはいえ我がこうして戻ってこれたのだ。恐らく負に呑まれた我の心の奥深くでは抗っていたのかもしれん。何故ならお主というどうしようも無い程に怠惰な者を鍵としたのだからな」
「そう言われると素直に喜べないぞ……」
封印が弱まったサラダールであれば簡単に墜とす事が出来る者を鍵とするのも容易であった筈なのだ。それなのに、レグルスを鍵とした理由を述べたサラダール。
そして、彼は真剣な表情を作り出すと頭を下げた。
「我が言うのは筋違いではあるが、願いを叶えてくれ……全てを憎むサラダールを倒し、六王姫と人類を救ってくれ」
心の底から絞り出された言葉であった。
「ああ、勿論だ」
「このような事態に巻き込んだ事、本当に申し訳なかった。最後にお主に会わせたい者がおる――」
そうして姿を現した者を見てレグルスは再び目を見開くのだった。




