72話
ミハエルは再び封印の間へと繋がる扉の向こうへと入り込む。何の妨害もなく既にこの部屋へと何度も訪れていたミハエルは油断していたのかもしれない。
暫くの後、再び壁へと戻ったこの間に姿を表したのもまたあの男であった。ミハエルが消えた事を見届けたのか何もない空間から姿を現したシェイギスは迷いなく壁へと進む。
普段ならミハエルを見届け、己もた姿を消していたのだが今回はいつもとは違う行動。
「本番だ。やるぞ」
背に投げかける言葉。視覚の上では誰もいないが後ろにもまた突如としてフードの男達が現れた。大柄な男と一般的な体躯であり、仮面をつけた男である。
「ジャック、名無しはどうなっている?」
シェイギスが仮面の男へと問いかける。
「問題ない。既に頭文字はいつでも動けるようメシアに配置している。この戦いがキッカケになる」
シェイギスの問に泰然と返した仮面の男。それは、誰もが知る特徴を備えていた。漆黒のローブと白い仮面には歪んだAの頭文字。額から伸びた赤い線は鼻付近から二股に別れている。
「天地破軍はどうだ?」
Aの言葉に頷いたシェイギスは大柄な男にもまた問いかけた。彼にとってもこれから行う事は慎重を期さなければならないものである。
「そんなもん天地将の二人に放り投げた。俺はやりてぇやつと戦うだけだ」
「脳筋野郎が」
「褒め言葉として貰っといてやる」
「今回の敵は手強い。何年にも渡って滅竜騎士だった爺だからな」
「そうだな。ところでガリレウスは目標を理解しているのか?」
名無しのトップであるジャックが尋ねる。
「目の前にいる敵をぶち殺すだけだ」
「はあ、まあ間違ってはいないな」
そう言って歩く彼らは冥府と呼ばれる者達であった。現騎士団長であるシェイギスと名無しトップのA。そして天地破軍のトップはシェイギスの手引きにより難なく潜入する事に成功していた。
「これから全世界と戦争するんだ。気を引き締めろよ」
「分かっている。その為の名無しであり天地破軍」
「ふん、名無しなど所詮は俺らになれなかった出来損ないの集まりだ」
そう言い切ったガリレウスの言葉を否定する者はいない。それは名無しという組織と成り立ちがそうであるからだ。
「竜玊に適合するのは竜の系譜が色濃い者達だからな。いくら俺が手を引いたとはいえ高名な貴族や優秀な奴らを攫うのは面倒だったぞ」
「それも今はもう必要の無いことだ」
しみじみと呟くシェイギス。
「大体は竜玊の負のエネルギーに飲み込まれる失敗作だったが……俺達冥府は違う」
「その力を試せるって訳だ。楽しくなってきたぜ」
ガリレウスの発言には3人ともが同意を示した。
「確か……ここだな」
何度も見た位置に手を押し込みギミックを作動させるシェイギス。壁が変形し扉へと姿を変える。
「第二陣を楽に壊せて、滅竜騎士も削れるとはな」
「たしかにな」
既にミハエルを殺せるのは確定事項とばかりに笑みを浮かべるシェイギス達。彼らはその先の未来へと思考する。そして、必ず障害になるであろう人物が浮かび上がった。
「レグルスはどうする?」
「今はメシアだ。アイツには第一陣を完璧に解放してもらう仕事がある。テルフィナ様達が既に動いている筈だ。俺も終わり次第向かう」
「それと同時に各国を襲撃。エックハルト達はどうやらレグルスに期待しているみたいだが、仮初めの力でサラダール様に勝てるはずもないだろうに」
3人は頷くとその姿を第二陣の間へと進めた。部屋は真っ暗な景色に包まれていたが彼らは迷いなく進んでいく。無限にも続くかと思われた暗闇は先に見える光によって終わりが告げられた。ここから先は彼らにとっても失敗できない作戦である。
それぞれが既に手に持っていた竜具を構える。
「相手は爺いといえど伝説の1人。様子見なんて考えずに初手から全力を出す」
シェイギスの言葉にジャックとガリレウスもまたニヤリと頬を吊り上げた。
「ククク、さあマキナ」
「エイレーネ、久々の本気だ」
「コルセン、暴れるぞ」
何かを捧げるかのように顔に添わした手を動かしていくと、彼らの瞳に冥府の紋章が浮かび上がる。それはレグルスと似た何かの力。
「「「竜力開限」」」
そして、カインツの時と同じような現象が起こる。吹き荒れる力が3人へと流れ込み、瞳孔は蛇のように細く黄金色へと変化していく。さながら竜の眼と言ったほうが早い。
このまま進めば力に取り込まれる筈であった。だが、力に呑まれた姿は彼らには見られない。理性を宿した目のまま、歩みは一定の速度。
「さぁて、冥府が通るぞ」
彼らの背から翼が現れる。冷気を発した白銀の翼を持つシェイギスと陽炎を生み出す紅蓮の翼をもったジャック、空間さえ捻じ曲げる螺旋の翼を纏うガリレウス。
人が竜へと変わりゆく。だが、変化はそこまでであった。吹き荒れていた膨大な竜気は彼らの竜具へと収束していった。数ある裏組織の中でもそのトップのみで構成される冥府。一人一人が一軍とまで言われる彼ら。
そんな彼らが竜の力を宿すなればその実力は計り知れない。
「やはり疲れるな。時間が惜しい」
「ああ」
「さっさと殺す」
顕現した彼らが闇から踏み出した。
「チッ」
シェイギスの盛大な舌打ちの理由。彼らが目にしたものは泰然と立つミハエルの姿だった。
「裏切り者はお前だったか、シェイギス」
シェイギスは辺りを見渡して誘い込まれていた事を認識した。第二陣と呼ぼれる封印らしきものは見当たらず、あるのは広大な部屋のみ。おあつらえ向きに戦闘しやすい広間は彼らの予想を確信へと変える。
「バレていたのか?」
「雑な仕事をすんじゃあねぇぞ、シェイギス」
シェイギスの瞳に浮かび上がる冥府の門を認めたミハエルは険しい表情を作り出す。ましてや、彼らの背から伸びる翼もまた理解の及ばぬ超常の現象である。
ミハエルとて万全の陣営を用意していたという確信があった。だが、その確信もまた目の前に立つ3人の陣容を見て消し飛んだ。
「隣のお主はAか……名無しのトップが冥府だったとはのぉ。そして、お主は天地破軍。全ての裏組織が繋がっていたということか……」
「御託はいい。こっちは冥府が3人だ、滅竜騎士とてちっぽけな障害だ」
その言葉に応えるように膨大な竜気がこの場を圧迫する。
「確かにわし1人なら勝てんだろうが」
ミハエルの横に並び立つように進み出たもう1人の男。リーリガル・オーフェンは確かな闘気を漲らせながらシェイギスを睨みつける。
「その力、どうやらお前さんが俺の息子にちょっかいをかけてたみてぇだな。バカ息子とはいえ仇はとらせてもらうぞ」
「くっくっく、これまた面倒な事になってきたな」
シェイギスが呟く。何故ならリーリガルを筆頭に天雷騎士団の幹部級が勢ぞろいしていたからだ。
「三隊長が勢ぞろい。ファッソにドルネ……それに団長候補のクルト・バーミリオンか」
金髪を撫で付けた男。貴族然とした姿は正に成長したロイスであった。
「お前たちのせいで息子や友人の将来が心配になる。ここでお前達を殺しておくのが吉だろう」
ロイス・バーミリオンの父、クルト・バーミリオンは肉食獣のような笑みを浮かべて竜具を解き放つ。名家の系譜は色濃いものだ。なればこそ聖域一つ、竜具の力をとっても侮れない。
「チッ、事がうまく進みすぎて油断していたな。面倒だが……計画は止められない」
シェイギスが悪態を吐く。騎士団長、カインツ、そして今回の第二陣の在り処。それらが軽快に進んでいた事で油断していたのだろう。人は成功を重ねていると周りを見れなくなり、やがて足をすくわれる事が多々ある。
冥府シェイギスとて例外ではなかった。相手の力量は十分すぎるほどに知っている。
「本気でいくか」
「こうでなくっちゃよぉ!! 力を使えるってもんだぁっ!!」
全身を白銀に包まれたシェイギスと紅蓮に染まるジャック。そして、ガリレウスのガントレットには暴風が渦巻き破壊の螺旋を纏っていた。彼らにとっては障害となりうる存在。
しかし、冥府は選ばれた者たちである。
「ほら来いよ。セレニア」
相手の陣容を見てなお笑うシェイギスが右手を突き出し手招きする。
「一裏組織が国に楯突くものではないのぉ?」
泰然と立つ冥府、そして向かい合う天雷騎士団の面々もまた竜具を構え、ジリジリと距離をつめていく。どちらかが動けばすぐにでも始まる緊迫感が支配する。
そして、最初に動いたのはミハエルであった。
「ふむ……早々に死ぬが良い」
言葉通り、広間の天井に浮かび上がる幾何学模様の黄色い陣。それは1つの閃光が織りなす紋様である。陣を平面とし模様に沿って移動し続ける一筋の閃光は雷速でもって複雑怪奇に移動する。
耳に伝わるチリチリとした音。人間の反応速度では目で追う事すら出来ない高速の陣が彼ら三人を圧殺するかの如く急降下した。ただの雷であれば直線的な動きしか出来ない。
「堕ちよ、帝釈天」
だが、幾何学模様の雷は緻密であり避ける隙間すら無かった。天から堕ちる雷陣は瞬く間に三人を呑み込んだ。
ミハエルが得意とする設置型の竜技。初見で避けることは困難であり、当たれば全身を焼かれ体をズタズタにする技。冥府の三人が立つ位置を起点に広間の半分ほどを呑み込んだ雷陣は消えずにその場で留まり続ける。
まさしく雷が堕ちたと思わせる威力であった。だが、相手はかの冥府であり竜の力を使いこなす者。
雷陣の輝きが薄れ、帯電の迸りが徐々に消えていく。その奔流に耐えられるのは本当の強者のみ。
「流石は滅竜騎士だな」
威力までもは防ぎきれなかったのか、両手を上へと突き出しその場に片膝立ちになる三人の姿。だが、翼に包まれていた3人ともが無傷。ミハエルの背後から息を呑む音が聞こえてきた。
今の攻撃はリーリガルとて驚嘆するものである。そして不敵に笑うシェイギスが立ち上がった。翼がバサリとはためき三人から膨大なプレッシャーが吹き出る。
「次は俺ら冥府の番だ」
「天雷騎士団を舐めるなよ!」
その言葉を合図にリーリガルと隊長達が踏み込んだ。屈指の実力を持つ彼らの戦いが始まる。広間に爆音が響き渡った。




