59話
レグルス達が襲われている頃、嘆きの大渓谷の調査を元同僚でもあったベルンバッハの頼みとあり滅竜騎士ミハエルは続けていた。
深くシワが刻まれ、心なしか腰が折れているようにも感じる老人。
ベルンバッハとそう変わらない年だが侮ることなかれ。彼こそがセレニアの守り手、ひいては人類の守護者とされる滅竜騎士なのだから。
彼は相棒と共に単独での調査に赴いていた。彼にとって群れぬ竜など相手にもならないとばかりに奥深くへと突き進んでいた。
沈静化した竜王の住処は落ち着いており、その広大さに目を瞑ればそれほど困難なものではない。
「彼奴の頼みで来てみたが、確かにこれはキナ臭い」
『未だかつてこれ程に落ち着いた竜王の住処はありませんしね』
「レグルスと言ったか……俄かには信じられんが……」
手に持った白銀の杖をつきながら会話をしていたのだが、やがて彼らは渓谷の中心部へと出たようだった。
拓けたこの場所には大小の岩がゴロゴロと転がっており左右には断崖絶壁の壁が聳える。そして、渓谷を吹き抜ける風の音がつんざくように響き渡っていた。
その中心部にミハエル達が足を踏み入れた時
「これは!? むぅ……貧乏くじを引いたかもしれん」
禍々しい妖気とも呼べる根源的な恐怖を誘うような気配がミハエル達の身体に纏わり付くようにのしかかって来た。
その力は悍ましく、歴戦のミハエルとて身構えなくてはならない程の重圧を伴っている。
「嘆き迸れ、帝釈天」
ミハエルは咄嗟に仕込み杖から竜具を引き抜く。そして、白銀の剣が姿を現した。白銀に輝く刀身だがその身に秘められた力は絶大である。
プラズマにまで昇華された力は剣の形に保たれているのだ。
ミハエルの動きと同じくして中心部に巨大な陣とも呼ぶべき図形が立体的に展開していく。複雑怪奇な模様を描いた陣は数メートルもの高さまで登っていく。
鮮やかな色合いをした陣を見つめたミハエルは呆然とその景色を眺めている。
「なに!?」
もしもこの場所にレグルスが居たのならば気がついたであろう。その模様がレグルスの持つ竜紋と同じであり、ラフィリアの竜具と同じ翡翠の波動を放っていた。
さきほど感じた禍々しい気配が渦を巻くように吸い取られ、そして神聖なる気配が辺りに立ち込めていく。
目まぐるしく変わる景色。
そして光が収まるとそこには巨大な竜とも言うべきかエメラルドに輝く鱗に捻れる二本の角。そして、神秘的ともとれる気を纏った竜がその場に現れた。
今まで見たどのような竜よりも威圧的であり思わずひれ伏してしまいそうになる程に神々しく、大きな翡翠色の瞳には叡智が宿っているように感じられる。
その姿を見たときにはミハエルは直感的に察していた。
「竜王……」
その呟きを聞き届けたのかギロリと瞳を動かした竜はミハエルを見やった。観察するかのように大きな瞳孔が瞬くと何かを察したかのように頭をミハエルの高さまで下げる。
重く、とてつもなく重い声が響き渡った。
『我は風竜王テンペストなり。我が友である雷竜インドラの因子を色濃く受け継ぐ人間よ、主の名を教えよ』
脳に直接響き渡る声にミハエルは自然とその場に膝をついていた。それは、まるでそうしなければならないのだと本能で理解したように自然な流れであった。
「ミハエル……ミハエルと申します。此方はエリザベートです」
戸惑いよりも早く答えなければという思いに突き動かされたミハエルは滅竜騎士という肩書きも忘れていた。
こうべを垂れた彼は自分の名を目の前の竜王へと告げる。これ程までに緊張したことは未だかつてないとばかりに彼の額には汗が玉のように吹き出していた。
「エリザベートと申します」
『インドラの因子を持つ者とすればセレニア王国の人間か』
「はい」
『何故ここにいる』
「我々が呼称する竜王の住処にて異変を観測した為、その調査です」
『ふむ』
何かを確認するかのような問いにミハエルもまた答えていく。テンペストは考え込むように瞼を閉じて唸る。
そして
『時か来たのか……雷竜インドラの因子を継ぐミハエルよ、これからこの世界は激動の時代の幕開けとなる』
ミハエルの中には疑問が芽生える。激動の時代という言葉にも引っかかりを覚えるがそれよりも
「恐れながら、雷竜インドラの因子とは……?」
もっとも知りたい情報。エリザベートが宿す竜具もまた帝釈天なのだから。
『そうか……知らぬか。我と会ったのも必然か……ならば我ら竜王の子であるお主に教えてやろう。お前達が使う滅竜技、そして竜姫について、と言いたいのだが我にそう時間はない。』
そう言った風竜王の姿は現れた時とは違いその神々しいまでの翡翠のオーラはその規模を小さくしていた。
『お主らがここに来た理由、そして我がこうして封印の咎から解放された理由は分かる。ならばそれを聞かせよう。我らの希望の子レグルス、そして集う5人の
竜姫であろう?』
「それは、なんと!?」
全てを知っているような発言とベルンバッハから聞かされていたレグルスという少年の名が目の前にいる竜王の口から出たことに驚きを隠せないでいた。
驚くミハエルから視線を後方へと向けたテンペストはもう一度ふかく唸る。
『この気配……もはや時間がない。よく聞けミハエル。レグルスと5人の竜姫との契約は我ら五大竜王の封印と繋がっておる。それは、遥か古に我らが封印した5人の竜姫とも関係しておるのだが』
「なにをーー」
『よく聞け。我らの因子を直接与えた5人の竜姫と一体の竜王は邪悪なる道へと落ちた。その力は絶大であり親でもある我らとて五人の竜姫を封印するのが限界であった。その封印を恒久的なものにする為に我と竜姫を抑えつける新たなる5人の竜姫を生み出したのだが……我の封印が解かれたという事は竜姫の1人が解放されたということだ。邪悪なる竜王もまた力を取り戻した。これ以上の契約を止めよ』
紡がれる言葉は焦るテンペストによってかなり端折られたものであった。困惑するミハエルは脳裏で情報を整理していくがその時間も無いとばかりにテンペストは続ける。
『だが、レグルスが既に複数との契約を成しているのならば封印の解放は免れん。即ちレグルスと今代の五人の竜姫を起点とし、邪悪なる竜王と五人の竜姫との決戦に挑むしか道はない』
風竜王が語る内容。テンペストの言葉にミハエルは頷くことしかできなかった。竜王とは人類に仇なす竜の頂点。
いわば敵の首魁とも呼ぶべき存在とされていたのだ。だが、話された内容はまるで人間を守っていたかのようであった。
ミハエルとエリザベートの頭には混乱が渦巻いていたが、不思議と竜王の言葉には嘘がないと感じていた。
『来たる時までレグルスを守り抜け。必ず大きな決戦が起きる……そしてハーローとネル、いや、グレイスとキャロルを頼れ』
「死神……ですか?」
『奴らもまたレグルスと同じ者達だ』
伝える事は伝えたとテンペストは後方へとその巨体を向ける。
『行け。そして伝えよ』
「ですがーー」
『早く行くのだ人間よ。全力でもってこの場から離脱せよ』
吹き付ける風が勢いを増し、躊躇いを見せていた2人へと叩きつけられた。立っているのもやっとの状態の彼らは混乱する頭で情報を得ようと必死に食らいつくが
『最後に我が子らと話せる幸運に感謝しよう』
そして、ミハエル達を運ぶように強風が叩きつけられ、滅竜騎士をもってしても抗えない力に彼らは元来た道へと吹き飛ばされていく。
驚いていた二人であったが風によってそのスピードを上げていく。そして。優しく包み込むような翡翠の風の中で伝えられた内容を再び吟味していた。
その2人を見送った風竜王は渓谷の遥か先を見据える。鋭い眼光はミハエルと相対していた時とは大きく違う。
『ここは通さんぞ』
大渓谷の真ん中にて座し翼を広げた。
『久しいな。ララ・リシュア』
「ええ、ちょうど500年ぶりですね」
妖艶に微笑むその美女はいつのまにか風竜王の眼前へと姿を現していた。
『再会ついでに言っておこう。ここでお主は死ぬぞ』
ララは微笑みながら軽く言葉を受け流す。
「私の父とも呼べる貴方こそ、さようなら」
言葉が終わると同時に莫大な翡翠の光がララを中心に放たれる。それは、ラフィリアやテンペストとは違い禍々しく荒れ狂った翡翠の竜気である。
彼女は微笑みを讃えながら風竜王と対峙する。
『未だ恨みは消えぬか? 我が子よ』
「ええ、この500年のあいだ私なりに色々と考えたんです。そして考えに考え抜いて出た結果は人類の排除とやはり変わりはありません。それに、計画の為にもあの2人を逃すわけにもいかなくなりましたので問答はここで終わりましょう」
そう言って笑う少女の笑みは歪であり三日月のように頬を釣り上げて微笑んでいた。
『そうか……』
テンペストは遥か過去に見た少女の面影が既に失われている事に心の中で深く後悔する。
『なればこそここを通すわけにはいかん。お主らがしようとしている事はかつて友であった天龍王サラダールの願いとは違う』
「サラダール様の名を出すなっ!」
激昂したララの力が更に上がる。その光景を見てテンペストは理解した。
目の前に立つララ・リシュアこそがかつて自分の力の大半を授けた少女である。さらに、既にその半分すらも現代のとある少女に託しているのだ。
そんな残りカスで勝てる相手ではない。だが、友の因子を受け継ぐミハエルとエリザベートが逃げる時間は稼がなくてはならない。
「ふふふ、今の力で私に勝てるとでも? まあ、私も封印が解けたばかりで本調子ではありませんが」
そう言ってララは軽く手を振るった。
ただそれだけで両端に聳える渓谷の壁が爆散した。巨大な球体でもって異常な速度でぶつけられれば出来上がるだろう深い窪みを作っていた。
軽く振るった手から放たれた風圧が加速し巨大化したという簡単なものであるのだが、その実力はとてつもなく、強いという言葉ではとてもではないが表すことが出来ない。
「流石は竜王の力。聖域などというものに頼らなくても良いのですから」
『良かろう。混沌を望むと言うならばお主を殺すしかない』
最後の会話も終わりとばかりに風竜王テンペストはその巨大に漂う翡翠の気を圧縮する。竜という巨大な体躯に纏う気を人型ほどまで圧縮していく。
そして、現れたのは翡翠の髪をもつ美丈夫であった。竜王を形成していた力は人の身に圧縮された事で身に宿る力は莫大なものへと変わっていた。
「覚悟するがいい。ララよ。風王剣テンペスト」
嘆きの大渓谷という名に相応しい風の共鳴が響き渡り形作られる剣。渦を巻くように集まる風が一つの物質へと変換していく。
この世界の自然エネルギーを変換する神のような力の現象。まさしく風を司る竜王とも呼べる超常の能力である。
「流石は竜王ですね、残りカスでもこの強さ。このままでは私も少し危険ですね……」
言葉とは裏腹に微笑を崩さないララ。その答えはすぐにわかった。
「早く」
いなかったはずの少女の声が聞こえて来た。茶髪の少女はララの背中に隠れるように立っている。
「フィオナ・ルーガスか」
「そ」
「地竜王ガイアは既に逝っていたのか」
テンペストの勝率は限りなくゼロに近くなった。だが、彼は己の中にある力を全て放出する勢いで高めていく。
「さあ、始めましょう」
「うん」
二人が軽く腕を振るう。それだけでテンペストの体は大きく弾かれ渓谷へと衝突した。瓦礫が飛び散る音に攻撃がまともに入ったことを理解する。
「あら?」
「弱」
流石に残りカスといえど軽いジャブでここまで食らうとは思ってもいなかった二人は思い思いに口にする。
そこから一方的な展開になっていった。手も足も出ないとはまさにこの状態の事を言うのだろう。
大地を操り風を操る二人の前に既にテンペストは片膝を突き肩で息をしている。
「クハハ」
だが、傷だらけになったテンペストは笑った。
「ふむ、逃げ切れたか」
「なるほど」
「不覚」
そう、二人もまた気がついた。テンペストがその残りの力の大半を使用しミハエル達を逃した事。高まった竜気にテンペストが本気だと錯覚していた二人はまんまと騙された形になった。
「む!?」
「氷王フロスティアの封印も解かれたみたいね」
「同意」
遥か彼方から漂う気配。3人が同時に感じ取ったものはフロスティアの解放とアリエス・メシアの封印が解けた事を意味した。
「レグルスとラフィリアにも危機が迫っておるのか? 既に決戦は避けられんか」
テンペストは己と繋がるラフィリアの危機を察した。そして、残りのすべての力を使いラフィリアへと力の供給を行った。
「お主らともこれで最後だ」
翡翠の粒子が消え去りその場にテンペストの姿は無かった。




